第3話
「よし、先へ進もう」
火鳥が道を空ける。水瀬は一歩踏み出して立ち止まり、眉根を寄せた。
「ん、何で俺が先なんだよ」
「今、ピエロをぶっ飛ばすとか豪語してただろ、その意気だ」
火鳥は水瀬の肩を力強く叩き、ひとり頷いている。
「得体の知れないオバケ屋敷でなんで先陣切らなきゃなんねえんだよ、お前が先に行け」
「知らないのか、こういう時ホラー映画では後ろの奴からいなくなるんだぞ」
「じゃあ、並んで進めばいいじゃねえか」
サーカスの陽気な曲が流れてきた。火鳥と水瀬は大人げない言い争いを一時中断する。どこかとぼけた調子外れのラッパ、古いレコードのようなノイズが不協和音となり妙に耳障りだ。
目の前の鏡に影が過ぎる。あのピエロだ。ピエロが一輪車に乗っておどけている。
「クソ、舐めやがって」
水瀬は恐怖よりも怒りが先に立ったらしく、大股でピエロに向かって歩き始めた。火鳥も警戒しながら後についていく。
先ほどまで薄暗かったマジックハウスの中は、いつのまにか無数の電球が点っていた。鏡に挟まれた通路は合わせ鏡となり、自分の姿が幾重にも反射している。
「この野郎」
ピエロに追いついた水瀬が白い
「鏡だ。今見えていたピエロはこの先の通路にいたんだ」
火鳥が曲がり角の先を見れば、長い舌を出してこちらを挑発するピエロの姿が見えた。
「あいつ、俺たちをバカにしてやがる」
水瀬は頭にきて、狭い通路を走り出した。
ピエロに追いつき、殴りかかる。水瀬の拳は鏡を打つ。ピエロはまた身をかわした。鏡が斜めに配置されており、ピエロはさらに折り返した先の通路でおどけている。その姿が周囲の鏡に反射して、どこに本体がいるのか判別できない。
「ちくしょう、どこに行きやがった」
水瀬は鏡を殴った拳をさすりながら周囲を見回す。ピエロがどこからともなく取り出したトランプを手にした。それを器用な手つきで捌いている。
「何をするつもりだ」
水瀬は首を傾げる。ピエロの目が光り、トランプカードがその手を離れて宙に浮く。
「な、なんだあれ、手品か」
ピエロの奇妙な動きに水瀬は呆気に取られている。
「危ない、避けろ」
火鳥が水瀬を突き飛ばす。宙に浮いた無数のトランプカードが猛スピードで飛んで来た。火鳥と水瀬はかろうじてそれを避ける。カードは背後の鏡に当たって床に散らばった。
「何だありゃ、刃物じゃねえか」
トランプカードの縁はカミソリのような鋭い刃になっていた。水瀬は背筋に冷たいものが落ちるのを感じた。ピエロは大きな口を開けて肩を揺らして笑っている。無数の尖った歯が不気味に蠢いている。
ピエロは誘い込んだ子供を抱き上げ、その頬を長い紫色の舌でべろりと舐めた。そして口を大きく開く。その口はみるみる広がり、子供の頭ほどの大きさになった。
「ま、まさか、やめろ」
水瀬と火鳥はピエロに向かって駆け出した。
ピエロはニタリと笑い、子供を頭から飲み込んだ。そのままゴクン、と喉を鳴らす。大きくなったお腹をゆすりながら奥へ向かって逃げて行く。
火鳥と水瀬は勢い止まらず正面の鏡に激突した。
「あいつ、どこ行きやがった」
水瀬が叫ぶ。正面は鏡で、ピエロはその奥へ逃げた。振り返ってみるが、ピエロの姿はない。
「あの人喰いピエロはどうやら鏡の中を移動しているようだ」
火鳥がずれた眼鏡をかけ直す。
「なんだって」
「さっきからピエロの本体を探していたが、映り込みじゃない。奴は鏡の中だ」
水瀬は呆然と鏡の奥を見つめた。
「そんな、どうやって鏡の中にいるやつを倒すんだよ。お、そうだこの鏡を割りまくるか」
水瀬は鏡の壁を蹴り飛ばした。しかし、鏡はびくともしない。腹を立てた水瀬はさらに蹴り続ける。
「どうやら無駄のようだな」
火鳥は唇を噛む。
「ぐうっ」
突然、目の前の水瀬が首を押さえて苦しみ始めた。水瀬は顔を歪めてもがいている。鏡に映る水瀬の首をピエロが締め上げている。
水瀬はピエロを殴りつけようとするが、その拳は宙を泳ぐだけだ。鏡の中のピエロにはダメージがない。
「どうすりゃいいんだよ」
水瀬が首を押さえながら苦しげに呻く。火鳥は咄嗟にスマートフォンを取り出し、カメラのフラッシュを鏡の中のピエロに向けた。
「ギェッ」
叫び声を上げてピエロは怯んだ。水瀬を掴んでいた手を離す。
「ぐっ、ゲホッ」
「逃げるぞ」
火鳥は水瀬を立たせて鏡の迷路を走った。鏡の反射に惑わされ、何度かぶつかりながらも先へ進む。ピエロと距離は取れたはずだ。
「た、助かったぜ」
水瀬は肩で息をしている。首回りにはくっきりとピエロの手の跡が残っている。鏡に映るそのアザを見て、水瀬は青ざめる。
「しかし、なんでフラッシュで撃退できたんだ」
「鏡の中にいる化け物に物理攻撃は通用しないだろ。鏡は光の反射で物を映す。光そのものが飛び込んだらどうなるか、賭けだった」
おそらく、ただのフラッシュがピエロにとっては目も眩むほどの眩しさだったのだろう。
「へえ、お前頭良いな」
水瀬が心底感心している。
「まあ、それでダメなら俺だけ走って逃げるつもりだったけどな」
火鳥は縁なし眼鏡をクイと持ち上げる。
「この外道」
水瀬は舌打ちをした。
鏡に影が走る。
「追ってきたな」
火鳥と水瀬は背中合わせで周囲を警戒する。四方が鏡に囲まれたスペースでピエロが縦横無尽に走り回っている。鏡の中で攻撃をされたら防ぎようがない。ピエロは突然立ち止まり、直立不動になった。背後から風船を取り出す。赤色の風船はふわりと宙に浮く。
「な、何をする気だ」
「気をつけろ、殺人アイテムだぞ」
火鳥の言葉に水瀬は息を呑む。
ピエロは風船をいくつも宙に浮かべる。気がつけば、火鳥と水瀬の近くにも無数の風船が浮かんでいた。それが一つ割れた。パン、と音がして爆竹を鳴らすような小さな爆発が起きた。連動して誘爆が起きる。
「うわっ」
頭上でいくつもの風船が割れ、火薬の匂いが立ちこめる。身を縮めて爆発をかわす様子をピエロはくるくる踊りながら大笑いして見ている。
「あんな化け物、どうやって倒せばいいんだよ」
水瀬が半ギレで大声を上げる。
不意に電子音が鳴り響く。水瀬のスマートフォンのコール音だ。
「お嬢か」
相手は美鈴のようだ。水瀬は身を屈めながら通話ボタンを押した。
「おじちゃん、手品面白かったよ」
玉緒の声だ。
「おお、そりゃ良かったな」
「迎えに来てー」
「ああ、わかったよ。ちょっと待ってな」
そう言って水瀬は通話を終了した。しかし、ここから無事に出られる保証はない。美鈴と玉緒をほったらかしにしたとなれば、組長に切腹を命じられかねない。一体どうしたら、水瀬は頭をかかえた。
火鳥は何を思い立ったのか、起ちあがる。
「どうするんだ」
「お前のおかげでヒントが見えた」
火鳥は不敵な笑みを浮かべる。そして、おどけるピエロに向かって走り出す。風船の爆発を避けて鏡の中のピエロに突進する。ピエロは紫色の舌を出して挑発する。
火鳥は背中に隠していたスマートフォンを取り出した。今度はピエロを画面内に確実に捉える。ピエロの顔色が変わった
「せいぜい笑え!はい、チーズ」
カシャッ。
シャッター音とともに、風船が消えた。鏡の中のピエロの姿もない。
「い、一体どういうことだ」
目を見開いて驚く水瀬に火鳥はスマートフォンの画面を見せる。
「な・・・こいつはいいぜ」
水瀬は画面を見て大笑いする。火鳥のスマートフォンの画面の中に、驚愕の表情を浮かべたままのピエロの写真が収まっていた。火鳥はすぐに電源を落とした。
「鏡の中のピエロをカメラで捕らえたというわけか」
「さっきのフラッシュは眩しいだけではなく、カメラが怖かったんだ。お前がスマホを取り出したときにピエロが一瞬取り乱したのがヒントになった」
ピエロが消えた場所に小さな男の子が倒れていた。ピエロが飲み込んだ少年だ。
「良かった、生きてる」
火鳥は少年を抱え上げる。
「行こう」
火鳥は少年を背負う。水瀬は頷いた。迷路を奥に進むにつれ、室内の温度が上がっていく気がする。ドンドン、と定期的なリズムでドラムの音が聞こえる。
「急に暑くなったぞ、それになんだこの音は」
水瀬が周囲を見渡す。いつの間にかライトはピンク色に変わっていた。
「妙なライティングだな」
火鳥がふと天井を見上げると、脈打つ肉の壁に覆われていた。肉の壁はてらてらと光り、蠕動している。
「なんだこりゃ」
水瀬が叫ぶ。
「ここは、ピエロの体内だ。まさに人喰いピエロだ。急げ、消化されるぞ」
火鳥は走り出す。腰を抜かしかけた水瀬もなんとか立ち上がり、後に続く。肉の壁がだんだん迫ってくる。二人は必死で走った。目の前に光が見えた。
「遙兄!」
智也が叫ぶ。前方の扉が開き、火鳥と水瀬は転がるように飛び出した。
「大丈夫?」
智也が心配して駆け寄る。二人は疲弊しているが、命に別状は無さそうだ。
「ああ、何とか生きてる」
火鳥の背後にいた少年が大声で泣き出した。その声を聞いた両親が走ってきた。少年を抱きしめ、涙を流している。火鳥と水瀬に何度も礼を言い、子供の手を引いて帰っていった。
「無事で良かった」
智也はホッとしているが、火鳥は不満げな表情を浮かべている。
「人捜しの代金をもらい損ねた」
「お前、それで必死でガキを助けたのかよ、がめつい奴だな」
水瀬は呆れている。背後でマジックハウスが音を立てて倒壊していく。入り口のピエロの顔は押しつぶされて見る影もなくなった。向こうで笑顔の美鈴と玉緒が手を振っていた。
事務所へ戻り、火鳥は鏡の迷宮と人喰いピエロの概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込む。電源を落としたままのスマートフォンは引き出しにしまい込んだ。
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