第2話

 初対面の智也と美鈴は年齢が近いこともあり、和気あいあいと会話している。

「真里のお兄さんなんですね、話はよく聞いてますよ。神社や史跡巡りが好きなんだって」

 美鈴と真里は同じ高校の同級生だ。

「そうなんですか、なんだか恥ずかしいな」

 智也は照れ笑いを浮かべた。

組長の姪は玉緒たまおという名前らしい。人見知りをしない元気な5歳児だ。


「おじちゃん、次あれに乗る」

 ソフトクリームを食べ終えた玉緒が水瀬の膝からストンと降りた。指さす先はメリーゴーラウンドだ。

「もう三回目だろ、仕方ねえな。うおっ、冷てっ」

 立ちあがってみれば、黒いスラックスに玉緒が落としたソフトクリームがべったり落ちている。

「すまねえ、連れていってくれないか。俺はズボンを洗ってくるわ」

 水瀬がチケット綴りを美鈴に渡し、水道を探して去って行った。


「じゃあ行こっか」

「うん」

 美鈴が玉緒の手を引く。ペンキが剥げたボロボロのメーリーゴーラウンドでも子供には楽しいのだ。玉緒と美鈴はカボチャの馬車に乗り込んだ。

「俺たちは帰るか」

 火鳥があくびをしながら伸びをする。お目当てのマジックハウスが閉鎖されていては調べようもない。事務所に帰り、古いが効きの良い業務用クーラーでガンガンに室内を冷やして、ソファで昼寝でもしたい。

「そうだね」

 智也も頷く。


「お、美鈴と玉緒はどこにいった」

 ズボンについたソフトクリームを洗い流した水瀬が戻ってきた。周囲を見渡すが、2人の姿はない。

「さっきメリーゴーラウンドに乗るといっていたぞ」

 火鳥の言葉に、水瀬は周辺を歩き回るがやはり見当たらない。

遊園地の奥にある屋外ステージの方から賑やかな音楽が聞こえてきた。ピエロが二人、風船とチラシを来園客に配っている。


「どうやら屋外ステージでマジックショーをやるようだ。もしかしたらそっちへ行ったんじゃないか」

 火鳥がピエロからもらったチラシを水瀬に渡す。マジックショーを目当てに人が流れていったので、周囲にはすっかり人影がない。

「そうかもしれねえな」

 水瀬はやっと一服できる、とタバコを口にくわえた。灰皿を探していると、妙な光景に目を細めた。

「なあ、あれおかしくねえか」

 火鳥は水瀬の指さす方を見る。風船を持った、緑と紫の水玉模様の服を着たピエロが小さな子供と手を繋いで歩いている。微笑ましい光景にも見えるが、何かおかしい。


「親はどこだ」

 客はほとんどマジックショーの方へ行ってしまった。遊具目当ての親子連れが5組ほどいるが、子供の親は見当たらない。迷子なら総合案内へ連れていけばいいのに、園の奥へ向かっている。

「親のところに連れていってあげてる、とか」

「いや、あの方向には閉鎖中のマジックハウスしかないぞ」

 火鳥と智也は顔を見合わせた。二人はピエロを追って走り出す。

「なんだよ、あいつら」

 ただならぬ雰囲気に水瀬も後を追う。


 先ほどまで見えていた青空は低い黒雲に覆われていた。今にも雨が降り出しそうな湿気が肌に絡みつく。ピエロは閉鎖しているはずのマジックハウスへ向かっている。

「あんなところに親がいるか」

 火鳥の言葉に、智也は首を振る。ピエロは子供をどこへ連れていこうというのか。

「なんだよ、お前ら急に走り出して」

 二人に追いついた水瀬の声に、ピエロが振り向いた。その白塗りの顔に水瀬は腰を抜かしそうになる。


 真っ赤な爆発パーマの髪に、白塗りの肌、黒い目張りに左目には涙のペイント、大きな丸い赤い鼻、そして耳まで裂けた大きな唇。

「お、おっかねえな。ピエロってあんなに怖かったか。あれじゃ子供は泣くだろ」

 水瀬はその顔を見て身ぶるいした。ピエロがニタリと笑う。大きく裂けた赤い口の中には無数の牙が見えた。

「あれはこの世のものじゃない」

 火鳥がピエロの足元を指さす。薄曇りの太陽が作り出しているのは子供の影だけだ。ピエロには影がない。

「あいつには実体がない」

 智也がゴクリと息を呑む。水瀬は恐怖に硬直している。


 ピエロは三人を嘲笑いながら、マジックハウスの扉を開ける。

「鍵がかかっていたのに」

 智也が声を上げる。子供もこちらを振り返る。何かに操られているかのように虚ろな目をしていた。

「ここはあいつの住処だ。閉鎖されたから外に出て、子供を攫いにきたんだ」

 火鳥はピエロに向かって走り出す。ピエロは子供の背を押して、マジックハウスに入るよう促した。子供はゆっくりとピエロの口の中へ進んでゆく。ピエロはおどけて笑いながらポケットから赤、青、黄色のボールを取り出した。それを弄んでいたと思えば、火鳥に向かって投げつける。


 火鳥の足元でボールが炸裂した。

「うわっ、ゲホッ」

 周囲に赤、青、黄のボールの色をした煙幕が立ちこめる。

「遙兄、大丈夫」

「火鳥生きてるか」

 水瀬と智也が慌てて駆け寄る。煙幕が晴れると、そこには赤、青、黄に染まった火鳥が呆然と立っていた。煙幕はチョークの粉のような粉末が含まれていたようだ。

「ふざけた奴だ」

 子供とピエロが消えたマジックハウスを睨み付けながら火鳥がギリ、と歯噛みする。眼鏡にかかった粉をハンカチで拭き取る。


「だがこれで中に入れるぞ」

 火鳥がマジックハウスの扉に手をかける。しかし、扉には鍵がかかっていた。頭にきていた火鳥は一歩下がって扉を蹴りつける。扉はまったく動かない。智也も一緒になって肩で扉を押す。

「ダメだ、全然動かない」

 智也は額から流れる汗を拭う。

「しかたねえな、どけ」

 水瀬が手を触れた途端、あっけなく扉が開いた。扉に手を触れていた火鳥も一緒にマジックハウスに転がり込む。扉はバタンと閉まり、智也だけが外に取り残された。


「マジかよ、おまえらグルだったのか」

 水瀬は火鳥と智也が扉が開かないフリをしたのではないかと怒り出す。

「違う、お前と俺とでここの扉が開いた。いつもの霊的な共鳴かもしれない」

 火鳥は立ち上がり、縁なし眼鏡をクイと持ち上げる。水瀬はまた巻き込まれた、とぼやきながらヤンキー座りで頭を抱えている。

火鳥の母はこの世のものでない者が“見える”人だった。その血を受け継いだ火鳥も多少の霊感があった。よく背後にこの世のものでない者をつれているが、全く鈍感な水瀬が近くにいると不思議と霊感が強くなる。ついでに普段何も見えない水瀬まで見たくないものが見えてしまうのだ。


 背後の入り口の扉はすでに開かない。鍵をあけようにもびくともしない。目の前には薄暗い鏡張りの廊下が真っ直ぐに伸びている。あのピエロと子供の姿はすでに無かった。

「クソ、こんな場所早く出ようぜ。進めばあのガキも見つかるだろう」

 水瀬は震える指でタバコに火をつけ、スパスパと煙を吹かす。それで気分を落ち着けているのだろう。

「ピエロは好戦的なやつだ」

 火鳥はカラフルな煙幕にやられたのを根に持っているようだ。まだ頭は原色の粉をかぶっている。

「見つけたらぶっとばす」

 水瀬はタバコを床に投げ捨て、靴先で揉み消した。

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