鏡の迷宮と人喰いピエロ
第1話
久しぶりに火鳥探偵社に顔を出した木島智也はこの夏も史跡巡りのフィールドワークにいそしんでいるらしく、よく日焼けしていた。ほどよい褐色の肌に、引き締まった身体はスポーツマンのようだ。従兄に当たる火鳥遙に彼女はできたのかとからかわれるが、意外とオタク気質の智也は趣味に夢中でそんな暇は無いという返事をするのが常だった。
「ずいぶん焼けたな」
火鳥はアイスコーヒーをグラスに注いでテーブルに置く。火鳥はコーヒーにはこだわりがあり水出しの手間を惜しまないため、風味が良い。
「うん、これでも日焼け止めをしているんだけどね」
智也は白い歯を見せて笑う。
「俺、いま
狸穴遊園地は町に古くからある遊園地で、火鳥も幼い頃に両親に手を引かれて連れて行ってもらったことがある。空中ブランコやメリーゴーランド、観覧車と、子供が喜ぶ大型遊具が設置されている。敷地内の大半は公園になっており、町民は入場料が無料になる。遊具に乗りたければチケットを買うシステムだ。
「まだつぶれないんだな」
中学生のカップルでも行かないような子供向けの遊園地だ。遊具は火鳥が子供の頃から変わっていない。ときどきペンキくらいは塗り直されているようだが。
「夏休みだから、そこそこ親子連れが入るんだよ。お金がかからない公園で遊んで帰るパターンが多いけどね」
智也は大学の夏休みを利用して、遊園地の短期バイトをやっているらしい。入り口のチケット販売や園内の掃除、遊具でのチケット回収など、少人数で運営しているため業務内容は雑多らしい。
「遙兄、聞いてよ。狸穴遊園地にはマジックハウスっていうのがあるの知ってる?」
火鳥の記憶では、お化け屋敷しか思い浮かばない。中でお化けに扮した人間が驚かすタイプのベタなものだった。
「お化け屋敷も同じパターンだと流行らないだろ。それがマジックハウスになったのがここ三年のこと」
「マジックハウスって一体なんだ」
火鳥が首を傾げる。
「予算が掛けられない遊園地だから、できることは知れているよね。手間がかからない鏡張りの迷路だよ」
壁が鏡になっている迷路だ。鏡を並べておけば、自分の姿がいくつも映り込む不思議な空間を演出できる。
「俺も一度入ってみたことがあるけど、迷路自体は単純だよ。でも鏡の錯覚せいでなかなか抜けられない。小さな子供は怖がってよく泣いてる」
それで、とここからが本番だと智也は人差し指を突き出す。
「そのマジックハウスには噂があって、三年間で子供が五人も行方不明になってるんだって」
智也は真面目な顔になる。それを聞いていた火鳥は思わず吹き出した。
「なんで子供が五人も行方不明になってマジックハウスはそのまま残っているんだよ」
子供が消えるなど、そんな重大な問題のある施設なら立ち入り禁止か、解体されてしかるべきだろう。
「冷静に考えたらそうだよね、でも狸穴遊園地は広い公園があるだろ。その背後には山のような丘もある」
智也は狸穴遊園地のパンフレットをテーブルに置く。遊園地と公園の空撮写真が掲載されていた。火鳥はパンフレットを手にする。
「そうだな、他にも子供がいなくなる環境は整っている」
火鳥は縁なし眼鏡をクイと持ち上げる。
「そう、マジックハウスで行方不明になったかどうかは定かでは無いんだ。でもまことしやかに囁かれている」
地元の中高生の怪談話でよくネタにされているらしい。古い遊園地の老朽化した施設には噂話はつきものだ。
「俺がこの間、掃除をしていたらマジックハウスから出てきた子供が大泣きしてたんだ。幼稚園児くらいかな。その子が怖いピエロがいたって泣き叫んでいて、よほど怖いものを見たんだろうね」
「マジックハウスというからにはピエロがいたんじゃないのか」
火鳥の言葉に智也は首を振る。
「館内は鏡張りの迷路というだけで、ピエロを雇ってびっくりさせるなんてことはしていないって」
「興味深いな」
お盆休みといっても、何も予定の無い火鳥は、週末に智也と狸穴遊園地に向かうことにした。
***
空を見上げれば青空に大きな入道雲が沸き立ち、街路樹にとまった蝉が忙しなく鳴いている。
「まったく夏だな」
何もしていないのに汗が額に滲む。火鳥は忌々しそうにぼやく。“まみあなゆうえんち”と古くさいポップ文字で書かれたゲートをくぐる。この町の住人だと示すものを提示すれば、二百円の入場料は無料となる。火鳥は運転免許証を見せた。ここでバイトをしている智也は顔パスだった。
緑のカラーアスファルトはところどころめくれてボロボロ、メリーゴーラウンドの鉄柵は錆びて馬の顔もペイントがはげかかっている。これに乗っている子供たちは遊具がただ回るのが楽しいのだろう。かわいいはしゃぎ声が聞こえてくる。
「観覧車の支柱はガムテープで補強しているなんてジョークがあるよ」
智也は笑っているが、まんざらでもないかもしれないと火鳥は思った。不穏な噂のあるマジックハウスよりもホラーだ。
火鳥と智也はマジックハウスの前にやってきた。
「確かにピエロだな」
「そういえばそうだね」
智也は火鳥に言われて気がついた。マジックハウスの入り口はおどけたピエロの顔になっている。小さな黄色い帽子を被り、目は左右別々の方を向いて赤い丸鼻に大きく開いた赤い口。ピエロの口が入り口の扉となっていた。外から見ると子供向けの迷路とあって、建物はそう広くはなさそうだ。
「入り口に張り紙があるね」
智也が近づいてみると、マジックハウスの入り口は施錠され白いコピー用紙に“調整中 入らないでね”と書いてある。
「入れないのか」
「そうみたい、昨日まで入れたのになあ」
近くにいたベテランスタッフのおばちゃんに訊ねると、マジックハウスに入った子供が異様に怖がることを受けてしばらく休館するのだという。ひやかしで通りかかった高校生くらいのカップルが、ここは“出る”らしいよとまことしやかに話していた。
「遙兄ごめんよ、せっかく来てもらったのに」
智也が申し訳なさそうな顔をする。
「いいさ、暑いしちょっと休憩しよう」
売店コーナーは子供連れで意外と賑わっている。火鳥はかき氷を2つ買ってきた。テーブルを探すが、空席がない。
「あっちのベンチは空いているけど、炎天下だね」
智也も辺りを見回すが、涼しい日陰となるテント下の席はすべて先客がいる。
「お、あそこ空いてるぞ」
火鳥が前方のテーブルを指さす。しかし、そこには赤色の柄シャツの男が頬杖をついて大股を開いて座っている。よりによってそんな柄の悪そうな男と相席をするのか、智也は眉をしかめる。
「ここ、いいだろ」
火鳥は構わず赤い柄シャツの男の隣席に座り、智也を手招きする。
「ああ、俺が座ってんのが見えねえのか・・・げっ、火鳥」
赤い柄シャツは神原組若頭補佐心得という中途半端な中間管理職の水瀬博史だった。智也は遠慮がちに会釈しながら席につく。水瀬は火鳥の事務所によく顔を出す強面のヤクザだ。火鳥はまったく物怖じしない。火鳥は足を組んで、澄ました顔でかき氷を食べ始める。
「女とデートか」
火鳥の言葉に水瀬は椅子からずり落ちそうになる。
「アホか、誰がこんなショボい場所でデートするか」
水瀬は苛立ちながら貧乏揺すりをしている。その様子に隣のテーブルの親子連れは思わず目を背ける。
「おじちゃん」
声がして、水瀬の顔が瞬時ににやけた。向こうから5歳くらいの女の子が手を振りながら走ってくる。背後にいるのは、両手にソフトクリームを持った神原組組長の娘の美鈴だ。
「オヤジの姪っ子のお守りを手伝わされてるんだよ」
水瀬はめんどくさそうに言うが、姪っ子はなついているらしく、膝の上に乗ってソフトクリームを食べ始めた。
「火鳥さんもいらしていたんですね」
神原美鈴はヤクザの組長の娘だが、育ちがいい。にこやかに火鳥に挨拶をする。
「ええ、散策がてら。こっちは従弟の木島智也」
火鳥は美鈴に智也を紹介した。子供が消えるマジックハウスを調べにきたというのは隠しておく。
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