第3話

 草むらをかき分けてくる足音に気が付き、火鳥と水瀬は振り返る。そこには昼間海の家で騒いでい男子高校生が立っていた。唇を一文字に引き結び、緊張した面持ちで拳を握りしめている。

 火鳥は彼が観音像を海に投げ捨てた男子だと気が付いた。確か、奏太と呼ばれていた。水瀬は奏太に睨みを効かせている。

「何だ、お前」

 長身で強面の水瀬に一瞬驚いた様子だが、奏太は絞り出すように話し始めた。


「俺が、この社の中の石・・・ご神体を海へ投げ捨てました」

「クソガキ、お前か。なんてバチ当たりなことしやがる」

 水瀬の剣幕に肩を竦めるが、奏太はすべてを話さなければという使命感で、その場から逃げ出さずにいる。火鳥が無言で水瀬を諫めた。宮司も静かに奏太の話に耳を傾ける。


「高校の同級生六人で三週間ほど前にここへ肝試しに来たんです。暗い神社の雰囲気にみんなテンションが上がって、この社を見つけました」

 奏太は仲間の前で格好をつけたい気持ちもあって、社を暴きご神体である石の観音像を海へ投げ捨てたという。

「みんな笑っていました。俺もそのときはいい気になって、でも」

 奏太は俯きながら涙を拭う。


「竜王海水浴場でよく人が溺れるって噂が立ち始めて、聞けば俺がご神体を投げた辺りで事故が起きていると・・・。それで怖くなって。本当にすみませんでした」

 奏太は宮司に頭を下げる。宮司は渋い顔をしていたが、小さくため息をつき奏太の肩を叩いた。

「君たちがやったことは許されることではないが、正直に話してくれたことは立派だ」

 穏やかな表情で諭され、奏太は顔を上げる。


「お前のせいだな。よし、観音像を拾いに行くぞ」

 容赦ない火鳥の言葉に、奏太は目を見開く。水瀬は海から伸びる白い手を思い出し、身震いした。きっと観音像はあの辺りに沈んでいるに違いない。しかし、あの付近には絶対に近づきたくはない。

「俺、怖いんです」

 奏太が唇を噛む。火鳥はそんな奏太を冷ややかな目で見下ろす。

「お前が遊び半分で観音像を投げ捨てたせいで、像に縋り付いていた水難者の霊がこれからも海で仲間を呼び続けるぞ。今日は子供が溺れかけた」

 火鳥の言葉に、奏太は弾かれたように顔を上げる。そして、真っ直ぐに火鳥の目を見つめた。


「・・・俺、やるよ。今から観音像を探しに行く」

「おい、もう日暮れだ、明日でいいんじゃないか」

 さすがの水瀬も奏太に同情し、助け船を出す。

「よし、兵は神速を尊ぶだな。行くぞ」

 火鳥が踵を返す。奏太は深く頷き、火鳥について歩き始めた。本殿の裏手に出たところで、奏太の友人たちが待っていた。

「奏太、俺たちも手伝う」「私も」

 五人の高校生たちが奏太を出迎える。奏太は涙を振り切って神社の階段を降りていく。


 日が暮れて、真っ暗な海が目の前に広がる。昼間の賑やかな海水浴場とは打って変わって、果てしない闇のような不穏な雰囲気を醸し出している。幸い波は穏やかだ。六人の高校生たちは波打ち際に並んだ。奏太が海に足を踏み入れようとする。

「みんなで手を繋ごう」

「じゃあ、俺が一番沖に行く」

 六人が手を繋ぎ、奏太が一番前を進む。もし、引き込まれてもみんなで助けるぞ、と誓いを固くする。火鳥と水瀬は波打ち際で彼らを見守る。だんだんと沖に進み、奏太は立ち泳ぎの状態だ。


「うわぁ」

 奏太が叫び声を上げる。

「手、白い手がぁ」

 水瀬が見たものが奏太にも見えたようだ。他の高校生たちには何が起きているか分からない。奏太の慌てようを見て混乱している。

「うわあああ」

 奏太が意を決して水底へ潜っていく。手を振り回して海底を探る。しかし、昏い水底から伸びる白い手が身体に絡みつく。恐怖に思わず息を吐き出した。肺の中の酸素が一気に枯渇する。奏太の手は水底の砂を掻く。どこだ、どこにある。白い手が身体を引きずり込もうとする。奏太は消えゆく意識の中でもがき続ける。


「おい、さすがにやばいだろ」

 水瀬がシャツを脱ぎ捨て、海に入ろうとする。火鳥がそれを止めた。

「俺が行く」

 水瀬は目を見開いた。

「お前、泳げないんじゃ」

「俺は泳げないぞ。だが、潜水はできる」

 火鳥は堂々と腰に手を当てている。とんち野郎か、こいつは。水瀬は思わず顔を歪めた。


「お前、竜王明神でお守りを買っていただろう」

 火鳥に言われてポケットからお守りを取り出す。

「これ、安産祈願じゃないか」

 火鳥が呆れている。水瀬もお守りを二度見した。神社で適当に買ったお守りは安産祈願と刺繍されている。

「まあ、いい。神社で祈祷したものだ。何かしら助けにはなるだろう」

 火鳥はそう言いながらお守りをズボンのポケットに入れ、海に向けて歩き出す。海に足を踏み入れ、泳ぐこともなく真っ直ぐ進んでいく。


 火鳥の頭が波に隠れてみえなくなった。高校生たちは潜った奏太が戻ってこないことでパニックになっている。火鳥の頭が何度か波間から見えたが、そのうち見えなくなった。

「クソっ」

 できることならあの恐ろしい白い手を見たくは無い。しかし、目の前で人が溺れるのを指をくわえて見てもいられず、水瀬は海に駆け出す。


「奏太」

 高校生たちが叫び声を上げる。奏太が海上に顔を出した。皆で奏太の身体を引っ張り、海岸へ引き上げる。奏太は飲んだ水を吐き出し、咳き込んでいる。憔悴してはいるが、命に別状は無さそうだ。


「あの、眼鏡の人が助けてくれた」

 そう言って奏太は海を指さす。火鳥はまだ戻らない。水瀬は沖に向かって泳ごうとした瞬間、海坊主のように火鳥が海から上がってきた。泳げない火鳥は海底を歩いて来たらしい。

「見つけたぞ」

 火鳥の手には石ころが握られている。それは竜王明神の社にあった観音像だった。

「あ、ありがとうございます」

 奏太を始め、高校生たちは火鳥に何度も頭を下げた。これからすぐに社に戻り、像を奉納すると階段を駆け上がっていった。


***


 民宿では夕食に磯料理が並んだ。漁師が釣り上げた新鮮な鯛の刺身や鯛飯、海老や帆立の天ぷらと豪勢なラインナップだ。一風呂あびた水瀬はビールを美味そうに煽る。

「しかし、見直したぜ。損得勘定でしか動かないお前にもいいところがあるじゃん」

 水瀬が上機嫌で火鳥を持ち上げる。

「俺はいつでも善人だ」

 火鳥は真面目な顔で鯛飯をかき込んでいる。そして、縁なし眼鏡をくいと持ち上げて口角を上げてほくそ笑む。


 ***


 翌朝も真夏日で海水浴場には大勢の客がやってきた。水瀬と火鳥は海の家に出向く。今日でバイトは終わりだ。

「おはようございます」

 奏太が待ち構えていた。仲間の高校生たちも一緒だ。

「お、早いな。じゃあまずキャベツを切ってくれ。鉄板には油を敷いて」

 火鳥がテキパキと指示を出す。高校生たちは焼きそばを作り始めた。

「昨日取引したんだ。俺が石、いや観音像を拾ってくれば海の家を手伝うって」

 偉そうに指示を出す火鳥を見て、やはりタダでは動かない奴だと水瀬は呆れている。今日も暑くなりそうだ。


 事務所へ戻り、火鳥は竜王明神の観音像の概要をレポートにまとめ、海の家の給与明細とともにKファイルに綴じ込んだ。

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