第2話
まかないの大盛り焼きそばをパックに盛り、冷えたビールを煽る。午後二時をまわり、客足も落ち着いてきたので水瀬と火鳥は遅めの休憩を取っていた。
「ビールは麦茶だからな」
厳密に言えば、勤務中ではあるのだが、そう豪語する水瀬は2本目を開けた。水瀬の作る焼きそばは確かに焼き加減が良く、ソースも均等に滲んでおり美味い。若い衆の頃は夜店でよく焼いており、厳しく仕込まれたと自慢していた。
「あんちゃんたち、これサービスだよ」
「お、ありがとさん」
隣のブースのおやじが山盛りのかき氷を持って来た。勝手にブルーハワイといちごのシロップをかけてあるのは二人のシャツの色を見てのことだろうか。火鳥はいちごシロップを手にして食べ始める。
隣のテーブルに高校生らしき集団がやってきた。髪を茶色に染めており、いかにも悪ガキグループといった感じだ。男子三人と女子三人でかき氷を食べながらはしゃいでいる。
「この間の肝試し、面白かったな」
「お前、めちゃくちゃ怖がってたくせに」
高校生たちの肝試しという言葉に興味を引かれ、火鳥は彼らの会話に耳を傾ける。
「
茶髪の男子がそう言うと、笑いが起きた。しかし、一人だけ口の端を強張らせている者がいる。
「奏太、どうしたんだよ」
奏太と呼ばれたのは、短髪にサイドを刈上げた強気な顔立ちの少年だ。
「ああ、何でもねえよ。ほんと下らねえ・・・」
肝試しの話題はそこで終わりだった。高校生たちはかき氷をたいらげて、また海へ戻っていった。
「おい、そう言えばさっきよ」
水瀬が深刻な表情で語り始めた。
「海の中に白い手が見えたんだよ」
「ワカメの見間違いじゃないか」
「馬鹿野郎、白いワカメがあるか」
水瀬がツッコミを入れる。火鳥は目の前の海を見つめている。
「その白い手が子供に絡みついてたんだよ・・・うおっ、今思い出すだけでも怖ぇ」
父子には幸い、それが見えていなかったようだ。水瀬は霊感は全くないはずなのだが、火鳥が近くにいるときだけ共鳴するように何故か見たくないものが見えてしまう。
「もう一度確かめに行くか」
火鳥が真顔で訊ねる。
「冗談じゃねえよ」
水瀬は身震いしながらビールを煽った。
「この辺に神社があるんですか」
かき氷屋のおやじに礼を言うついでに訊ねてみる。ここまでの口ぶりからおやじはおそらく地元の人間だろう。
「ああ、この崖の上にあるよ。竜王明神っていったかな。海を見下ろす小さな神社だ。漁業を見守る明神さんで、地元の漁師はよく参ってるよ」
高校生たちが肝試しに行ったのは竜王明神だろうか。火鳥はスマホで木島智也にメッセージを送った。
火鳥がキャベツや肉を切り、水瀬が焼く。焼きそば屋はその後も客がやってきて、思ったよりも早めに材料が無くなってしまった。まだ夕方四時だが、今日はもう上がりでいいという。
「あー、久しぶりで疲れたぜ。結構売れたな」
水瀬は伸びをしながら満足そうな表情を浮かべている。この後は海沿いの民宿で扇風機に当たりながらビールを飲んで昼寝ができる。
民宿の部屋に荷物を置いたあと、火鳥は出掛けるという。
「俺も夜のビールとつまみを仕入れに行くか」
どうせこのあと夕食まで暇だ。水瀬も付き合うことにした。海岸沿いを進み、木々に囲まれた階段を上っていく。水瀬は上機嫌で今日焼きそばを買いに来た水着の女の話をしている。
「なんだよ、この先に何かあるのか」
水瀬がはたと足を止める。どこに連れて行かれているのか、今はじめて疑問に思ったようだ。目の前には鳥居がある。この先は神社らしい。
「竜王明神という神社がある。心霊スポットとしても有名らしいぞ」
火鳥が意地の悪い笑みを浮かべる。水瀬が一気に青ざめる。まだ日は落ちていないものの、夕暮れ時に鬱蒼とした木々の落とす影はどことなく不気味に感じる。もの悲しいひぐらしの声がそれをさらに助長する。
「お、俺宿に戻るわ」
後ずさる水瀬。
「お前、白い手を見ただろう。お祓いでもしてもらった方がいいんじゃないか」
「うっ・・・」
そう言われるとそんな気もする。仕方なく水瀬は火鳥について階段を上っていく。
従弟の智也から火鳥にメッセージの返信があった。竜王明神は心霊スポットだという噂はあるようだが、根拠の無いものだという。海沿いの神社というのはどことなくもの悲しい雰囲気が漂うもので、どこからともなくそんな噂が立つことはよくあるらしい。
高校生たちもそんな噂に踊らされて肝試しを行ったのだろう。
階段が途切れた先には立派な屋根の門が待ち構えていた。竜王明神と木彫りの看板が掲げられている。お参りを終えた老夫婦にすれ違う。丁度良い散歩ーコースなのだろう。初詣や七五三参りのポスターも掲示してあり、地元の人には心霊スポットなどではなく馴染みの神社なのだ。
境内には樹齢の古い大きな樫の木がそびえ立ち、社務所、御札所、本殿が並ぶ。
「呪われませんように」
水瀬は必死で頭を下げている。財布から札を出して賽銭箱に投入していた。ご丁寧にお守りまで購入している。火鳥は掃除をしている宮司を見つけて声をかけた。
「この奥には社があるんですか」
「ええ、本殿の奥にありますよ」
宮司は本殿の裏手を指さす。
「そこには何を祀っているんです」
「海難事故の慰霊のための社です」
火鳥の縁なし眼鏡の奥の瞳が光る。
「最近、社から何か取られませんでしたか」
「そんな話は聞いていませんが」
宮司は首を傾げる。火鳥は宮司に社に案内してもらうことにした。水瀬も仕方なくついていく。
本殿の奥にある小さな鳥居をくぐり、草むらをかき分けて細い道を進む。とても整備されている感じではない。普段、わざわざここまでお参りにくる者はそういないのだろう。20メートルほど進むと、絶壁の上に立つ小さな社があった。目の前には海が広がっている。海水浴場を眺めることもできた。
「おお、高いな」
水瀬は海を見下ろしてその高さに目を見張る。
「社の封印が解かれている」
社を見つめながら宮司が呟く。恐る恐る木の社の扉を開けると、中には何もなかった。
「ご神体が、ない」
宮司は眉を顰めた。
「罰当たりなことをする奴がいるものだ」
「そんなに価値のあるモンが収められていたのか」
水瀬が訊ねる。
「ここのご神体は石で作られた観音さまでした」
宮司が海を見つめながら語り始める。
彼がここにくるずっと昔の話で、当時社ができたばかりのときに祀られたのは石造りの観音像だった。不思議なことに、この付近で海難事故が起きるたびに観音像の形が変化していったという。
「それは一体、どういう」
「だんだん形が無くなっていくんですよ。ぼんやりしていくというか」
「なんだよそれ、おっかねえ」
水瀬は身震いする。
「海難にあった魂を観音さまが身を削ってお救いくださっているんじゃないかという話です。私が昨年見たときにはほとんど石ころのような形でした」
石ころ、と聞いて火鳥は高校生たちの話を思い出す。彼らは社の石を海に投げたと言っていた。
火鳥が身を乗り出してみれば、眼下に海の家が見えた。あの正面の海の中で水瀬は白い手を見たという。
「ここから石を投げたらあの辺まで飛ぶだろうか」
「おう、俺ならもっと飛ばせるぜ」
火鳥の問いに水瀬が胸を張って答える。火鳥の真剣な眼差しに、その意図に気がついて、水瀬は海を覗き込む。
「まさか、ここから石、いや観音像を投げ捨てたんじゃ」
水瀬の言葉に宮司は罰当たりな、とぼやいている。
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