第4話

「こどく?お前、孤独だからここで猫を集めているのか」

 水瀬は訳が分からず首を傾げる。火鳥は鼻にティッシュを詰めたまま真顔で鉄の容器を見つめている。真里はその只ならぬ気配に押し黙ったままだ。

「やはり、蠱毒こどくか」

 火鳥が口を開く。

「何、それ」

 真里が火鳥を見上げる。


「蠱毒は古代中国の少数民族に伝わる呪術だ。それには犬や猫などの動物を使う」

 不穏な話に、水瀬と真里が顔を見合わせる。

「犬や猫、もしくはムカデや蛇などの動物をたくさんひと所に集めて閉じ込める。その中で生き残ったものには強い力が宿るという。その力を使い、呪いをかけるんだ」

 火鳥は、団地で猫が多数いなくなっていることから真里の兄、智也にラインで調べ物を依頼していた。智也は大学で民俗学を専攻しており、オカルト方面の知識も強い。その返事が蠱毒だった。

「え、それってもしかして、この中で動物たちは」

 真里は鉄の容器を指さす。

「共食いをさせているってことか」

 水瀬は吐き捨てるように言う。


「何故こんなことをする」

 火鳥は静かに訊ねる。男子高校生は肩を揺らして笑い出した。

「ママがいけないんだ。いつも言うことを聞きなさいって。成績が落ちたら僕よりも猫の方がかわいいし、賢いっていうから。それと、クラスの奴ら。僕を殴りつけて、金をせびっている。蠱毒で僕は力を得る。みんな、みんな呪ってやる」

 一見、大人しそうな男子高校生は親による抑圧と学校でのいじめで精神が歪みきっていた。

「お前らも邪魔をすれば、呪う」

 高校生は火鳥を指さす。小動物をいじめて悦に入り、自分が一番偉いと錯覚しているのだ。


「蠱毒なんて存在しない。迷信だ。閉じ込めた猫を解放しろ」

 依頼主の黒猫が生きていたら成功報酬だ。火鳥は必死だった。

「うるさい、みんな呪ってやる呪って・・・」

 男子高校生がぶつぶつと呟いている。背後の鉄の容器から黒いもやが立ち上ってきた。それを見た水瀬は背筋を震わせる。

「おいおいなんだあれ、おっかねえ」

 真里には何も見えないようだ。もやはだんだんと濃さを増し、真っ黒な煙になった。その中に二つの金色の目が光り、水瀬はとうとう腰を抜かす。


「猫だ、あれは殺された猫の怨念か」

 火鳥は黒い煙を注視している。高校生にもそれは見えていない。煙がすうと高校生の口の中へ吸い込まれていく。間も無く高校生は身悶え始めた。

「何だ、暑い、暗い、何も見えない」

 高校生は頭をかきむしる。顔中自分の爪でひっかき、みるみる血塗れになっていく。真里はその尋常でない様子に、水瀬の腕にしがみつき、怯えている。この少年は本当に蠱毒の力を得るのか、火鳥は警戒しながら見守っている。


「ニャーゴ」


 男子高校生が猫の鳴き真似をした。その声は猫そのものだった。突然、火鳥の方を振り向く。その目は瞳孔が開き、金色に光っていた。

「ね、猫人間!?」

 水瀬が真里と手を取り合って飛び上がる。錯乱した高校生は突然、鉄の容器に頭から勢いよく突っ込んだ。ゴン、と鈍い音がして鉄の容器を支えていた鉄の柱が一本ボキリと折れた。長い間放置されて根元が腐食していたのだ。


 男子高校生はその場にぶっ倒れ、動かなくなった。火鳥が近づいてみると、呼吸はあるようだ。額から血を流して気絶していた。

 傾いた鉄の容器の蓋が落ち、中から痩せ細った猫が力無く出てきた。茶虎、黒ぶち、最後に出てきたのは黒猫だ。恐る恐る容器を覗き込めば、半ば腐敗した猫の死体が20体は押し込められていた。ここに閉じ込められ、死んでいったのだろう。彼が得たのは蠱毒の力ではなく、猫の怨念だったのだ。


 火鳥は黒猫を抱き上げた。しばらく飢餓状態にあったことと、他の猫とやり合ったのだろう、毛並みはぼろぼろ、ところどころ怪我もして腐敗臭が染みついていた。首には白い石のついた首輪をしている。

「ムーンストーンだ。お前はマダムの猫、ルナちゃんだな」

 火鳥は黒猫を隣の工場の水道で洗ってやる。遠く、救急車のサイレンが聞こえてきた。気絶した男子高校生の位置を伝えたので、もうすぐここへやってくるだろう。そして、容器の猫を死体をみれば、警察も動く。


「彼、確かうちの学校の特別進学コースの男子だわ。目立たないし、欠席しがちだから気が付かなかったけど」

 真里がサイレンの赤色に照らされる廃工場を見つめる。父親は大手総合商社のエリートサラリーマンで海外出張が多く、主婦の母親は教育熱心で過保護な傾向があったという。

「あいつ、この先どうなるんだろうな」

 タバコに火を点けながら水瀬が呟く。廃工場から担架が出てきた。救急隊が事件性を確認したのか、まもなくパトカーのサイレンが近づいてきた。

「人生をやり直せるかどうかは、本人の気持ち次第だろう」

 火鳥は鼻に詰めたティッシュをゴミ箱へ放り捨てた。


 翌日、火鳥探偵社に黒猫探しの依頼人、マダム貴子がやってきた。相変わらず香水を浴びるようにつけており、事務所は甘ったるい匂いが充満している。また鼻の穴にティッシュを詰めたいところだ。火鳥はポーカーフェイスを心がけながらゲージを開けて黒猫のルナをマダムに引き渡す。


「これはうちのルナちゃんじゃないわ」

 マダムは顔をしかめる。確かに痩せて毛並みは乱れているが、あれほど可愛がった猫が分からないのだろうか。火鳥は思わず眉根を寄せた。

「なんだか臭いし、これはうちの子じゃありませんわ。どこかから拾ってきたんでしょう」

 報酬が欲しいために偽装した、と言いたいのだ。


「それじゃあ、捜索を続けますか」

 火鳥は縁なし眼鏡をくいと持ち上げる。この猫がルナじゃないとしたら、このさき永遠にルナは見つからないだろう。ルナはマダムの顔をじっと見上げていたかと思うと、火鳥の事務机に飛び乗り窓から出て行ってしまった。マダムはそれを興味無さそうに見送り、火鳥に向き直る。

「いえ、もう結構よ。料金はお支払いしますわ」

 そう言って、マダムは颯爽と事務所を出て行った。


 マダムが立ち去った後、火鳥はやるせない気持ちで窓を全開にしていく。ルナもあのマダムに飼われるよりも自由気ままに野良で暮らした方が良いのかもしれない。ふと、一階の中華料理店の匂いが漂ってきて、思わず食欲が刺激される。

 火鳥が事務所のドアを開けると、そこには水瀬が立っていた。

「おう、昼飯を食いに来たんだけどよ。こいつが離れなくてな」

 水瀬の足元にはルナがいた。丸い金色の目でこちらを見上げて鳴いている。水瀬はルナを抱き上げた。ルナは大人しく抱かれている。

「かわいいな、お前」

 水瀬の目尻がデレデレに下がっている。先日は犬派と言っていたが、宗旨替えしたらしい。自分の家では飼えないから事務所で面倒みてくれと頼みにきたようだ。


「この事務所も厳密には動物は飼えないからな、まあでもここに餌を置けば自然に居着くだろう」

「そうか、良かったなお前」

 水瀬は抱かれたルナはごろごろと喉を鳴らしている。火鳥は思い出した。ルナは蠱毒の生き残りだ。生き残ったものには力が宿るという。ルナの目がキラリと光った気がした。


 真里からのラインで男子高校生は精神科病院へ搬送されたという話だ。火鳥は黒猫探しの概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込んだ。火鳥の足元にはルナが眠っている。

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