第3話

 すっかり日が落ちて、街灯が点り始める。

「探偵のお仕事を体験できて楽しかったです、ありがとうございました」

 美鈴は火鳥に礼を言って自宅へ帰っていった。

「ヤクザの娘にしておくのは勿体ない、良いお嬢さんだな」

 火鳥はその後ろ姿を眺めながらぼやく。水瀬が肘で火鳥を小突いた。実のところ、水瀬も同意見ではある。


 真里が笑顔で水瀬を見上げている。水瀬はその意図を理解して、唇をへの字に曲げる。

「もう暗くなったったし、送ってくれない」

「そう来ると思ったぜ」

 仕方ねえな、と言いながらBMWの後部座席のドアを開ける。

「ヤクザを尻に敷くなよ」

 火鳥が呆れている。

「だって、ヒロシはいいヤクザだもん」

 真里は悪びれる様子はない。カバンを抱えて後部座席に乗り込んだ。火鳥も助手席に乗り込む。


「お前もかよ」

 水瀬はエンジンをかけながら渋い顔を向ける。

「駅まででいいぞ」

 火鳥は革張りのシートにゆったりと倒れ込み、足を組む。中古とはいえ、高級外車は乗り心地がいい。

「チッ」

 水瀬は舌打ちをして車を発進させた。


 高級住宅街を通り抜け、鬼首神社への坂道を下る途中、火鳥は歩道を歩く学生に目を留めた。黒い詰襟の学生服を着て、黒縁眼鏡をかけた高校生だ。背中にリュックを背負っている。どこにでもいるような男子高校生だが、その行動が気にかかった。

「水瀬、悪いがこの先で車を停めてくれ。俺はそこで降りる」

「何だよ、駅はすぐそこだぞ」

 火鳥から返事が無い。水瀬は火鳥がサイドミラーに映る男子高校生に注目していることに気が付いた。水瀬は神社を通り過ぎ、左折してドラッグストアの駐車場にBMWを停めた。


「遙兄、どうしたの」

 真里が不思議そうな顔で火鳥を覗き込む。

「ちょっと用事を思い出した」

 火鳥はシートベルトを外し、ドアを開けようとして前を見る。先ほどの男子高校生が目を前を通り過ぎていく。奇妙なことに、しきりにリュックを気にしている素振りだ。そして後ろ手にリュックを殴りつけている。その異様な様子に、真里は驚いて目を見開いた。

「あいつか」

 水瀬がタバコを挟んだ指で男子高校生を指さす。

「もしかしたら」

 火鳥は頷く。


「真里を送ってやってくれないか」

 火鳥はドアを開けて出て行こうとする。

「私も一緒に行く」

 真里も車から降りる。水瀬は頭を抱えてため息をつきながらタバコを揉み消した。

「真里、荷物は置いていけよ」

「え、いいの」

「あいつをとっ捕まえて話を聞くだけだろ」

 すぐに終わるから付き合ってやる、と車の鍵をロックした。


 男子高校生はドラッグストアを通り過ぎ、真っ直ぐ歩いて行く。火鳥と水瀬、真里は勘づかれないように一定の距離を保って高校生の後をつける。長身に派手な柄シャツの強面のヤクザと細身で眼鏡をかけた一見真面目そうな優男、ブレザー姿の女子高校生という謎の組み合わせは異様に目立つが、振り向かれなければ気にすることもない。

 しかし、男子高校生は周囲を警戒しているのか、辺りを見回しながら早歩きになった。この先は町工場の多い地区だ。この不景気ですでに明かりを落としている工場も多く、通りは薄暗い。


 男子高校生は小さな公園のトイレに入っていく。

「さっきコンビニもあったのに公園のトイレでわざわざションベンか」

 水瀬が首を傾げる。火鳥は黙って様子を見守る。

「ねえ、男子のおしっこって、こんなに時間がかかるの」

 真里が水瀬と火鳥の顔を見比べる。そう言えば、高校生がトイレに消えてから5分は経っている。水瀬が大股で歩き出し、男子トイレに入っていく。


「いないぜ」

「やられた」

 火鳥がチッと舌打ちをする。コンクリート造りのトイレの向こうには公園の出口があった。3人の追跡に気が付いていたのだ。

 公園の出口の先には工場が点在しており、そのいくつかは廃業しており、雑草が生える駐車場にバラックが残っている。そのどこかに潜んでいると思われるが、敷地も広く手がかりもなく探し出すのは困難だ。

「ここで諦めるのも癪だな」

 火鳥は腕組をしながら考える。ふと、水瀬の足元に黒猫がまとまりついているのに気が付いた。

「お、猫か」

 水瀬が足元に目をやる。黒猫は逃げる様子もなく、水瀬の足もとに身体をすり寄せている。水瀬は犬派だが、こうして懐かれると猫もかわいいものだ。


「ねえ、ヒロシ頭大丈夫?」

 真里が怪訝な顔をして水瀬を見つめている。

「何だよ、俺が猫を可愛がっちゃおかしいのか」

「猫なんて、いないよ」

 真里の顔が青ざめる。水瀬もそれを聞いて、足元をもう一度見る。黒猫は街灯の明かりを受けてぼんやりと透けていた。

「ヒエッ、おっかねえ」

 水瀬は思わずその場から飛び退いた。黒猫は前方に歩き出す。


「俺にも見える。もしかしたら、黒猫の霊なのか」

 追ってみよう、と火鳥は黒猫を指さす。水瀬は口をあんぐり開けたまま、涙目で頷いた。

「そっか、二人とも霊感があるんだ」

 真里は合点がいった。真里には見えない黒猫は、すでにこの世のものではないのだろう。

「俺は鈍感なんだよ、でも火鳥が近くにいると何故かハッキリ見える。呪われてるぜ」

 自分より頭一つ巨漢の男でも平然と殴り倒す武闘派の水瀬だが、オカルト的なものに対しては人一倍怖がりでいつもビビっている。


 黒猫は細い路地を進み、廃工場の跡地で姿を消した。雑草が人の背丈ほども生い茂り、建物は崩壊寸前の古い工場だ。月明かりに照らされて不気味に佇んでいる。

「臭うな」

 火鳥が眉根をしかめる。真里も鼻で息を吸い込んでみて、草いきれの中の異臭に気がついた。

「何かが腐ったような匂いだ」

 高校生が近くにいるのだろう、水瀬は声を落とす。獣の匂いと腐敗臭が濃密に入り交じりった、思わず鼻をつまみたくなるほどの匂いだ。日が落ちて気温は下がりきっていない。生ぬるい湿った空気がそれを運んでくる。何が起きているのか、想像に難くない。


「あの男のリュックの中身は生き物だろうな、桜ヶ丘団地での聞き込みからすると猫だろう。小動物を殺して日頃の鬱憤を晴らすという話はよくあるからな」

 火鳥は匂いに顔をしかめながら縁なし眼鏡をくいと持ち上げる。真里はハンカチで鼻と口を押えて気分が悪そうだ。

「真里、お前はドラッグストアに戻るか」

 火鳥の気遣いに、真里は首を振る。

「猫をいじめるなんて許せない。私も一緒に行く」

 水瀬はそれを聞いて、フンと鼻で笑った。今時の女子高生は物怖じしせず、気骨がある。


 壁の半分を蔦が多う廃工場へ足を踏み入れる。トタンの壁は一部崩壊して出入りを自由にしている。異臭はどんどん強くなる。作業場のさらに奥に部屋があるようだった。音を立てないよう足を忍ばせて進む。

 割れたガラス窓から覗き込むと、先ほどの男子高校生がリュックから猫を乱暴に取り出すのが見えた。まだ生きている。白黒模様の猫はか細い声でニャーと鳴く。

 高校生が背の高さより少し低い、錆び付いた鉄製の風呂釜のような容器の蓋を開けた。その途端、強烈な異臭が周囲に充満した。中からは弱々しい猫の声が聞こえる。それも1匹ではない。


「こいつはひでぇ、吐きそうだ」

 水瀬が目を白黒させながら口元を肘で抑える。火鳥はポケットからティッシュを取り出し、捻って両方の鼻の穴に突っ込む。鼻血を出した小学生じゃあるまいに、平然とそれをやってのけるのがコイツだな、と水瀬はしみじみ感心する。

 男子高校生が手にした猫を容器に入れようとしている。猫は暴れているが、お構いなしだ。割れた天窓から射し込む月の光に、その顔はひどく醜悪なものに見えた。


「おい、やめておけ」

 隠れていた火鳥が男子高校生の前に姿を見せた。高校生は上手くまいたと思っていた様子で、ここを発見されたことに驚いている。

「なぜ猫をいじめる」

 火鳥の問いに歯茎が見えるほど唇を歪めている。鼻にティッシュを突っ込んだ間抜けな姿だが、高校生を断罪する姿勢に躊躇いはない。水瀬と真里も火鳥の背後に立つ。


「お前たちには関係ないだろ」

 薄笑いを浮かべながら男子高校生は低い声で呟く。

「いや、俺は仕事をしている。桜ヶ丘団地から黒猫がいなくなった。お前、知らないか」

「知らないよ、いやもしかしたらここにいるかもね」

 男子高校生は容器に手を触れ、不気味な笑みを浮かべる。

「まさかそこで猫を飼ってるわけじゃないだろ、何だよそれは」

 まどろっこしいやりとりが面倒になったのか、水瀬が切り込む。

「これは、蠱毒こどくだ」

 間を置いて、男子高校生は得意げに口を開いた。

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