第2話

「へえ、いなくなったペット探しか。そんな漫画みたいな仕事、本当にあるんだな」

 水瀬は窓を開けてタバコの灰を落とす。坂道を上がり、高級住宅街の並ぶ桜ヶ丘団地へBMWを進める。どの家も高い塀や柵で囲まれ、広い庭には手入れが行き届いた立派な樹木、駐車場には高級外車が並んでいる。


「本当にあるから漫画のネタになるんだよ」

 火鳥は縁なし眼鏡を押し上げる。

「そんなに大事な猫なら、首輪に紐でもつけておけばいいだろ」

 猫を紐で繋ぐなど聞いたことも無いが、水瀬の言うことはもっともだ。火鳥も鼻で笑った。


 櫨色の高い塀に瓦つきの立派な門構えの家の前に車を停める。表札には達者な筆文字で「神原」と書かれている。ここが組長の自宅だ。

「助かった、俺は団地を捜索して帰りは電車で帰る」

 火鳥はこれから行方知れずの猫探しだ。

「おう、じゃあな」

 水瀬は手土産を持ち、インターホンの前に立つ。組長の自宅というアウェイな環境に一人で飛び込むのはどうも気が進まない。


「あ、ヒロシじゃん」

 呼び捨てにされ、水瀬は眉根を寄せながら振り向いた。そこには制服姿の木島真里と組長の娘、美鈴が立っていた。

「なんだ、真里か。おっ、お嬢さんお疲れ様です」

 水瀬は美鈴に会釈する。美鈴も水瀬に丁寧におじぎした。

「なんで態度が違うのよ」

 真里は水瀬に向かって唇を尖らせる。

「当たり前だろ、組長のお嬢さんだぞ」

 真里は火鳥の従妹にあたる。態度がでかいのは血縁かよ、と水瀬は心の中でツッコミを入れる。


「火鳥さん」「遙兄」

 真里と美鈴に呼び止められ、火鳥は足を止める。

「真里と美鈴ちゃんか」

 真里は美鈴に本を借りるためにここへ立ち寄ったという。

「せっかくなので、どうぞ」

 美鈴に勧められて、火鳥も神原家の敷居をまたぐことになった。ヤクザの組長の家に上がるというのは気が進まないが、真里の友人でもある美鈴の誘いを無碍に断ることもできない。水瀬は思わぬ道連れができて、気が楽になったようだ。


 広い和室に通され、皮張りのソファに座れば身体がずぶっと沈み込んだ。壁には大きなウミガメの剥製が飾ってある。大理石を嵌め込んだテーブルに、備前焼のカップに入ったコーヒーと笹の葉に乗ったつやつやのわらび餅が出てきた。


 組長の神原は血色も良く、元気そのものだ。昨日まで入院していたようには思えない。

「おおご苦労、心配かけたのう」

 神原は紺色の着物に身を包み、白髪交じりの髪に豊かな顎髭を蓄えている。背筋を伸ばして座る姿は小さな組なれど、頭領の威厳があった。


「オヤジ、お疲れ様でした」

 水瀬が恭しく頭を下げる。手土産と、スーツの胸ポケットから取り出した快気祝いののし袋をテーブルに置く。神原はうむ、と頷いてそれを胸元にしまい込んだ。


「この間は娘が世話になったようだな」

 以前、水瀬は美鈴と真里が塾の帰りに輩に絡まれていたところを助けたことがある。水瀬に黙っておくよう言われていた美鈴はバツが悪そうに肩を竦めた。水瀬は照れ隠しで頭をかく。


「あんた、探偵社をやっとるとか。あんたの話も娘に聞いておる」

 神原が火鳥に興味を示した。

「ええ、閑古鳥の鳴く事務所ですけどね、あんな手狭な事務所でも俺の大事な城なんですよ」

 事務所を地上げしようとしたヤクザの組長だ、あまり良い印象の無い火鳥はわらびもちを頬張りながら皮肉めいた返事をする。水瀬が火鳥をひじで小突いた。火鳥は平然としている。


「ゆっくりしていってくれ」

 組長は襖を開けて出て行った。奥の床の間には立派な虎の剥製が飾られているのが見えた。極道は見栄を張ることも大事だが、自分達が駆けずり回って集めた上納金が亀や虎に化けたのかと思うと、水瀬はやるせない気持ちになった。


「ところで、遙兄はどうしてここにいたの」

 火鳥はこの団地でいなくなった黒猫を探しにきたと説明する。真里はそれを聞き、手伝いたいと言い出した。火鳥は探し猫のチラシを真里に手渡す。

「かわいい黒猫ね」

「私もご一緒してもいいかな」

 美鈴も乗り気だ。


 神原家を出ると、日が傾きかけている。周辺の環境を確認して、隠れ場所のマーキングと地元住民への聞き込みをして終わりといったところだろう。水瀬も夜の店の用心棒の仕事まで時間があるというので、付き合うことになった。

「俺は犬派なんだけどな、付き合ってやるぜ」

「お前は見るからに柄が悪いから、少し離れてくれ」

 水瀬は火鳥に文句を言おうとしたが、それもそうだと大人しく引き下がった。


「この辺りは大きな庭がある家が多いから、隠れ場所には最適かもしれませんね」

 美鈴の言う通り、生け垣や立派な木、倉庫の下など涼しい隠れ場所には事欠かない。しかも塀が高く、警備会社のセキュリティも万全とくれば足で探し出すのは骨が折れそうだ。

「猫の縄張りは約200メートル程度だ。そう遠くには行ってないだろう」

 マダムの自宅付近を中心に歩いてみることにした。道すがら出会う犬の散歩をする老婦人やジョギングの男性にチラシを見せて聞き込みをする。


「茂みから出てくるのを見たわ」

「塀の上を歩いているのを見かけたよ」

 目撃情報はマダム自宅付近がほとんどだ。学校帰りの学生には真里と美鈴が声をかけた。見たことがあるという話は聞けるものの、決め手には欠ける。


「猫で思い出したけど、ちょっと変な子を見たわ」

 女子高生の一人が気になることを教えてくれた。高校生くらいの男子が嫌がる猫を無理矢理掴まえようとしているのを見たという。逃げだそうとする猫を乱暴に持ち上げるのを見た彼女が声をかけると、自分の飼い猫だと答えたらしい。

「あんなに嫌がっていたし、おかしいなと思ったんだけど」

 無愛想な男を不気味に思い、それ以上は関わらずに帰ったという。


「この辺に住んでいる子なのかな」

「私はここにずっと住んでいるけど、見たことないわ。近所付き合いが希薄だから知らないだけかもしれないけどね」

 火鳥は腕組をしながら考えている。

「ねえ、この塀の上によくいた茶トラと黒ぶちの子、しばらく見ないね」

 連れの女子高生が気になることを言い始めた。

「あ、本当。夕方よくこの塀の上に2匹座ってた。最近いないねえ」


 火鳥は高校生男子の背格好を彼女たちから聞き出し、別れを告げた。

「遙兄、その男子が猫を掠っていったのかな」

「その可能性はあるな」

 聞き込みの際に、マダムの黒猫の他にもよく見かける猫の特徴を聞いたが、周辺を歩いているときに猫の姿を全く見なかった。

「世の中には猫を捕まえていじめる悪趣味な奴がいるらしいじゃねえか」

 火鳥も水瀬と同じことを考えていた。黒猫ではなく、その男子を探すことが近道かもしれない。

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