第3話

 雑居ビル3階の事務所に戻った火鳥は、すぐさまパソコンにかじりついて調べ物を始めた。火鳥は熱中し始めたら周囲が何も見えなくなる。その集中力は目を見張るものがあった。

 智也は冷蔵庫から火鳥が作り置きしている水出しコーヒーをグラスに注ぎ、応接テーブルに置く。


「お、サンキュ」

 送ったついでにコーヒーでも飲ませろとやってきた水瀬は、上機嫌でアイスコーヒーにシロップを注いでいる。大股開きでソファにどっかり座る水瀬の向かいに智也も腰を下ろした。長身でガタイの良い強面のヤクザとコーヒーを飲むことになろうとは。火鳥の交友関係は謎が深い、と智也は思う。


「蓬莱院交差点はここ最近事故が多発しているな」

 オーク材の机に肘をつきながら、火鳥はパソコン画面を眺めている。

「5歳の男の子が横断中に車にはねられて、その後幼稚園児から高校生まで3年間で7人。・・・妙だな、子供の事故が多い」

 火鳥は唸りながら腕組をする。

「今日轢かれそうになったのもガキだろ、まるで友達を呼んでいるみたいだな」

 水瀬が迷惑そうな顔で肩を竦める。

「遙兄が交差点で見た人たちの面影は、もしかして」

「そうだ、犠牲者の年齢に重なる」

 火鳥は深く頷いた。水瀬は交差点で見た亡霊を思い出し、思わず身震いする。


「お地蔵様の前掛けも気になるね」

 智也がスマホで撮影した地蔵の写真をまじまじと見つめている。

「智也、写真を俺のスマホに送ってくれないか。ちょっと調べる当てがある」

「分かった」

 智也はすぐにスマホを操作して蓬莱院交差点周辺の写真を火鳥に送った。智也はフィールドワークが趣味で、写真撮影の捉えどころを心得ている。火鳥は智也の記録写真の手腕を信頼していた。


「ごちそうさん」

 水瀬はアイスコーヒーを飲み終えて、立ち上がる。

「水瀬、もう一度あの交差点に行こうと思う。お前も来るか」

 火鳥がドアノブに手をかけた水瀬を飛び止める。

「誰が曰く付きの交差点に行くかよ。今後一切あそこを避けて通るぜ」

 水瀬は顔を歪める。

「誰が事故を誘発しているか、知りたくないか」


「何だと」

 低い声で叫び、水瀬は眉根を寄せる。挑発に乗ってきた。火鳥はニヤリと笑う。水瀬が近くにいればこの世のものではないものが見える。その能力は役に立つ。

「いや、興味ないぜ」

 水瀬はポケットからタバコを取り出し、口に咥えたままドアを閉めて出て行った。タバコの向きは逆だった。怖いものが心底苦手な水瀬は、亡霊だらけの交差点になど近づきたくはないだろう。


「遙兄、事故の黒幕の心当たりがついてるの」

「ああ、まあな」

 火鳥は浮かない顔をして答える。

「お前にも手伝って欲しいことがある」

「うん、いいよ」

 智也は火鳥に頼られるのは嬉しい。探偵の助手をしている気分になる。それから火鳥はまたパソコンに向かって調べ物を始めた。智也が帰ったあと、送ってもらった地蔵の写真をカラーでプリントする。火鳥はそれを手に事務所を出て、階段を降りていった。


 翌朝、火鳥と智也は蓬莱院交差点にやってきた。早朝5時。初夏の朝は日の出前だが、すでに蒸し暑い。2人は一仕事終えて交差点の脇で様子を覗う。

「なるほど、これで地蔵に執着する犯人が姿を現わすって訳だ」

 智也は火鳥の悪知恵に心底感心する。

「そうだろう、気が付いたらすぐ行動に移すはずだ」

 火鳥は縁なし眼鏡を押し上げて、にんまりと笑う。日が登る頃には、交差点は通勤の車や通学の子供たちで賑わい始めた。


 ***


 深夜二時、蓬莱院交差点に人影があった。車通りのほとんどない時間帯だ。信号機は点滅式に変わっているのを良いことに、猛スピードで通り過ぎる車のヘッドライトがその姿を照らしだす。白いカーディガンに淡いピンクのブラウス、サマーブルーのスカートを履いた若い女だ。

 女は草むらの地蔵の前にしゃがみ込んでいる。そして手にした真新しい鮮やかな赤色の前掛けを地蔵の首に結びつけた。


「誰かが邪魔をしている、許せない」

 女は忌々しそうに呟きながら、次の角の地蔵の元へ急ぐ。その様子はどこか焦りが見える。4カ所の地蔵に赤い前掛けをつけ終えた。女はホッと息をつく。

「お仕事ご苦労さん」

 その声に振り向けば、眼鏡の男が立っていた。女は驚いて目を見張る。

「結界を張っていたのはあんただったのか」

 その手には先ほど地蔵に取り付けた赤色の前掛けが握られている。女は顔を歪め、前掛けに飛びつかんとする。


「それを返せ」

「そうはいかない」

 火鳥は女から距離を取る。背後にいる智也は女の異様な雰囲気を息を呑んで見守っている。

「地蔵をつかって、子供の魂を閉じ込めているだろう。何故だ」

 四辻に置かれた4体の地蔵。古い石像に力を与えたのは前掛けに記した呪詛だった。火鳥は地蔵の写真を2階の胡散臭い占い師、金村琴乃に見せた。彼女は強欲なインチキ占い師だが、オカルト方面の知識は突出したものがある。


「颯太の供養のためよ」

 女は急にしおらしくなる。目には涙を溜めている。火鳥はその様子を冷静に見つめている。

「どういうことだ」

「颯太はこの交差点で居眠り運転の車にはねられて、死んでしまった。私は悲しくて、毎日ここへやってきた。お地蔵様に前掛けをつけて颯太が成仏できますようにって、ずっと祈っていたのよ」

 女は唇を噛む。子供を亡くした哀れな母親の嗚咽が深夜の蓬莱院交差点に響き渡る。火鳥は腕組をしたまま女の言葉に耳を傾けている。


「でも、ここに来れば颯太に会える。成仏なんてしなくてもいい」

 女の表情が一変した。血走った目を見開き、口元を歪めて壮絶な笑みを浮かべている。

「だから、友達を呼び込むよう仕向けたのか」

「そう、最初は颯太と同じ年の子。でも遊び飽きてちょっとお兄ちゃんを仲間に入れたわ。この間は大学生と女の子を逃がしてしまったから、早く次を見つけないとね」

 女は低い声で笑い出す。交差点にいた子供の亡霊たちがじっとこちらを見ている。火鳥だけでは気配を感じるだけで、姿は見えないがここに縛られた苦しみを訴えている。


「お前が颯太くんに執着してここに縛り点けているから、彼は悪霊と化して他の人間を引き込んでいる。解放してやれ」

「嫌よ、あんたに何が分かるの!私は颯太を愛しているのよ」

 女は鬼のような形相で怒鳴る。火鳥は沈黙を守っている。

「自分勝手な妄執は周りを不幸にするだけだ」

 火鳥の言葉に重みを感じて、智也はその背中を見つめた。女が足元にあった手の平ほどの大きさの石を拾い上げる。それを火鳥目がけて振り下ろした。不意をつかれ、火鳥の側頭部に石が掠り、血が流れ出す。


「遙兄!」

 智也が慌てて火鳥に駆け寄る。女はなり振り構わず石を振り回す。火鳥は智也を遠ざける。

「お前は最後の一体に、早く」

 火鳥は地蔵から離れるように女を誘う。錯乱した女は火鳥に飛びかかった。アスファルトに倒れた火鳥の上に女が馬乗りになる。両手で石を持ち、それを高く掲げた。

「邪魔をする奴は許さない」

 女が石を振り下ろそうとした瞬間、車のヘッドライトが光った。女が目が眩み、ひるんだ隙をついて火鳥は女を突き飛ばして立ち上がる。


「お前、非力にもほどがあるぞ」

 黒いBMWから降り立ったのは水瀬だった。女に組み敷かれていた火鳥を見て呆れている。

「水瀬か、よく来たな」

「おう、寝坊したんだよ」

 水瀬は気まずそうに頭をかく。火鳥は額から流れる血を拭った。

「準備できたよ!遙兄、大丈夫」

 智也が火鳥を心配して駆け寄る。女がゆらりと立ち上がった。恨みの籠もった目でこちらを睨み付けている。手には石を持ったままだ。それを振り上げようとしたそのとき。


「ママ」

 不意に男の子の声が聞こえた。女が振り向くと、交差点の真ん中で颯太が泣いている。女は手に持った石をその場に捨てた。そしてふらふらと呼ばれるままに交差点に近づいていく。

「ま、待て」

 火鳥が走り出す。スピーカーから爆音を轟かせながら、猛スピードで交差点に進入してくる乗用車が見えた。坊主頭の運転手は隣の彼女と話をしており、前を見ていない。ドン、と鈍い衝撃音がして、横断歩道に躍り出た女の体は宙を舞った。遅れて甲高いブレーキ音が響く。


 その場にいた誰もが言葉を失った。雑草の茂る空き地に跳ね飛ばされた女は地蔵に頭をぶつけ、息絶えていた。颯太と思しき子供の霊がその体の側に寄りそうのが見えた。交差点に捕らわれていた子供たちが夜空に昇っていく。

「これは一体どういうことだ」

 水瀬が唖然としてその様子を見つめている。

「女が地蔵につけたのは、霊をその場に縛りつける呪詛だった。四辻の地蔵につけることで、強力な結界を張っていたんだ」

 母親の未練が強すぎてこの世から離れられなくなった子が、他の子供を呼び込んだ悲しい事故だった。同じビル2階の女占い師琴乃から結界を解く呪詛を書いた紫色の前掛けを作ってもらい、女の気を引いた隙に智也が四辻の前掛けを取り替えたのだった。


「愛する息子と一緒になれて、良かったのかな」

 草むらに横たわる息絶えた女を見て、智也が呟く

「あの世でも息子を束縛しなければいいがな」

 火鳥はやるせなさにため息をついた。

 交差点で急停止した白いベンツからカップルが降りてきた。白いジャージの男は血がついて凹んだフロントバンパーを見て動揺している。


「あんた、何やってんのよ、人をはねたじゃない」

 アニマルプリントのミニスカートの女が半泣きで男の背中を何度も叩く。

「クソ、高い車なのによ。あの女がふらふら飛び出してきやがったから悪いんだ」

 男は草むらの女を横目で見る。頭から血を流し、ピクリとも動かない。その凄惨さに思わず目を背ける。

「に、逃げよう」

「何言ってるのよ」

 女は情けない声で叫ぶ。

「バレたら人生お終いだ」


「人はねといて、そうはいくかよ」

 水瀬が白ジャージ男に迫る。坊主頭のいかつい男は水瀬を見るなり、顔を歪めて脅しをかける。

「うるせえ、外野は黙ってろ」

 男が水瀬の顔を殴りつける。モロにヒットして、水瀬はよろめいた。しかし、すぐに持ち直し、拳を握る。

「先に殴りやがったな、これは正当防衛だ」

 水瀬は鋭いストレートを男の鳩尾に見舞った。男は呻き声を上げてその場に膝をついた。水瀬は連れのミニスカート女に向き直る。

「警察に電話しな、これ以上罪が大きくならないうちにな」

 女は怯えながら何度も頷き、スマートフォンで警察の番号をダイヤルし始めた。


 ***


 翌日、火鳥の元に智也がやってきた。入院していた友人の谷本は、もう奇妙な行動を取ることは無くなったという。

「遙兄のおかげだよ、ありがとう」

 安心して笑顔を見せる智也に、火鳥も良かった、と笑顔を見せる。女に石で殴られた傷がまだ痛み、顔をしかめた。

「よう、邪魔するぜ」

 ノックの直後、水瀬がドアを開けて事務所にズカズカと入ってくる。ソファの指定席に座り、足を組んだ。


「俺のBMWの修理代、二十万だってよ。保険使わずにやることにしたわ、胸クソ悪ぃ」

 水瀬は来るなり文句を言い続けている。火鳥はドリップでコーヒーを淹れ始めた。冷蔵庫から洋菓子店スイートショパンのフルーツタルトを取り出す。

「お、豪勢だな」

 水瀬はタルトを見て目を見張る。

「一応、世話になったからな」

 火鳥はそっぽを向きながらタルトを切り分け始めた。


 結局、タルトは男3人で平らげてしまった。真里が聞いたら羨ましがるだろう。

「胸クソ悪い、か」

 火鳥は水瀬の言葉を思い出す。母の歪んだ執着心が起こした“胸クソ悪い”事件だった。火鳥は蓬莱院交差点の概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込み、智也が回収した赤色の前掛けを本棚の引き出しにしまった。

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