第2話

 車を交差点の角にある酒屋の駐車場脇に移動し、警察の到着を待つ。作業着の男は畑山という名前で、工事用の資材を積んで現場へ向かう途中だったという。赤色の柄シャツを着た水瀬はどう見てもカタギではない。畑山はひたすら恐縮している。

「どこ見て運転してんだよまったくよ、これバンパーだけならいいけどよ」

 水瀬は愛車のBMWのフロント部分を眺めながら文句を言う。バンとぶつかった部分のバンパーが派手に凹んでいる。


「横断歩道に人がいるのが見えなかったんです、それに信号も青だった」

 消え入りそうな声で畑山が呟く。青ざめた顔はその場しのぎの言い訳しているような雰囲気ではなかった。水瀬は聞こえよがしに舌打ちをする。

 火鳥は畑山の言葉を聞いて、智也の話を思い出した。智也の友人、谷本をはねた車の運転手も目の前にロードバイクはいなかった、信号は青だと言い張っていた。

「お前の友達のときと状況が似ているな」

 火鳥の呟きに智也はハッと顔を上げる。不気味な一致に、何か不可思議な力が働いているのでは、と思うと背筋がゾクリとした。


智也はふと、足元に古い石碑があることに気がついた。酒屋の駐車場脇のデッドスペースに苔むした40センチほどの高さの石碑が建っている。しゃがんで見てみると、それは雨風に晒され、風化しかけているがお地蔵様のようだった。顔も見えないほど風化は進んでいるのに、赤い前掛けは新しい綺麗なものがかけられている。その違和感が奇妙に思えた。

前掛けには黒い墨で文字が書かれているが、達筆なため解読はできない。


 十分ほどして、事故処理のためにパトカーがやってきた。中年の制服警官は、水瀬の顔を見るなり、こいつは当たり屋ではないかと怪訝な顔をする。

「バンの兄ちゃんが赤信号の交差点に突っ込もうとしてやがったから、ハンドル切った。それだけだ」

水瀬は大人しく警察の事情聴取を受けている。信号待ちでスピードを落として停止しようとしていたところに、背後から猛スピードで走ってくるバンがリアミラーに映った。目の前には歩行者が横断歩道を渡っている。それで車体をぶつけて交差点に突入するのを防いだという言い分だった。


「最近、この辺で悪質な当たり屋が増えているらしいなあ」

 中年警官は嫌みたらしい目で水瀬を睨む。バンを運転していた作業着の畑山はどう見ても善良な一般市民だ。水瀬の方が印象が悪い。水瀬は内心頭にきているだろうが、ここで怒鳴り声を上げるのは得策ではないと知っている。ポケットに手を突っ込んで大人しくだんまりを決め込んでいる。


「あの赤い服のおじちゃんが助けてくれた」

 先ほどまで大泣きしていた女の子が遠くから水瀬を指さしている。

「どういう意味かな」

 若い警官が目線を合わせて女の子に訊ねる。

「あのね、車で車を止めてくれたの」

「猛スピードで走ってくる車にひかれると思った瞬間でした。あちらの黒いBMWが横にせり出して車体をぶつけてくれたおかげで、バンの進行方向が変わって助かったんです」

 女の子の母親が補足説明をした。水瀬に向かって頭を下げる。水瀬はそれに軽く会釈して応えた。


 物損でカタがつき、警察は足早に帰っていった。いくら美談でも、双方が動いていたため保険割合は0ではない。

「クソ、外車の修理代はバカ高えんだ」

 水瀬はぼやきながら頭を抱える。

「分不相応な車に乗るからだ」

 火鳥の尻を思い切り蹴り上げたい、が女の子が手を振っているので我慢した。


「遙兄、ちょっと気になるものがあって」

 智也が足元の地蔵を指さす。

「地蔵か、事故現場などに建てられることがあるがこれはずいぶん古いな」

「うん、それなのにこの前かけはやたら新しいんだ」

 うち捨てられているかのような風化した地蔵に真新しい前掛け、確かに異様な印象を受ける。智也は対面の空き地に行ってみようという。


 空き地は雑草が生え放題で、ずいぶん長いこと整備を怠っているようだった。そして、空き地の雑草に隠れるように苔むした地蔵があった。真っ赤な真新しい前掛けをしている。

「ここも顔が分からないほど風化しているな、それなのに新しい前掛けがかけてある」

 火鳥がしゃがんでみると、前掛けには酒屋の駐車場にあった地蔵と同じような墨文字が書かれている。

「もしかして」

 智也が立ち上がる。交差点を渡り、他の2カ所を回ってみると、やはり同じようにうち捨てられた顔も分からない地蔵があり、真新しい前掛けがつけられていた。


「赤色というのはすぐに日焼けして色落ちする。こんなに新しいのは最近誰かが取り替えたのだろう」

 しかし、一体だれが4カ所の顔も見えぬ地蔵の前掛をわざわざ替えるのだろうか。

「願掛けのためにお地蔵様の前掛けを奉納することがあるよ」

「願掛けね」

 火鳥はどうも腑に落ちない。

「他にもお地蔵様の前掛けには諸説あって、赤色は人間の煩悩を表わすんだ。自分の煩悩を前掛の赤色に託して、それが色あせると煩悩も薄まるという意味があるよ」

 智也の説明に火鳥は頷く。

「その煩悩がまだ薄まっていないということか」

 火鳥と智也は顔を見合わせる。この交差点には何かある。


「ああ、やっと終わったぜ」

 水瀬が頭をかきながら大きく伸びをする。保険会社とのやりとりが終了したのか、畑山はバンに乗り込んで去って行く。

「これから事務所に帰るんだろ、コーヒー飲みてえな」

「うちは喫茶店じゃないぞ」

 火鳥は呆れて文句を言う。火鳥に近づいてきた水瀬が目を丸くして足を止めた。

「あ、あ、あれ」

 震える指で交差点を指さす。火鳥が振り向けば、交差点の中央に5歳くらいの子供や、ランドセルを背負った小学生、学生服の青年が立っていた。その姿は半透明で、車は彼らをそこにいないものとしてすり抜けていく。


「ああ見えた、彼らはここに留まっているようだ」

 火鳥と水瀬は交差点を見つめる。2人が近くにいると互いの霊感が高まるのか、見えないものが見えるようになるのだ。霊感のない智也は2人の見えているものが見えず、怪訝な顔をしている。

「お、おっかねえ」

 自分よりガタイの大きな奴にも平気で殴りかかる武闘派ヤクザだが、オカルト現象には滅法弱い水瀬は血の気の引いた顔でガタガタ震えている。


「調べたいことがある、事務所へ帰ろう。この車、ちゃんと走るのか」

 火鳥はBMWの後部座席を開けて勝手に乗り込んだ。

「相変わらず図々しい奴だな」

 そう言いながら、早くここから立ち去りたい水瀬も車に乗り込む。

「お前も乗れよ」

「は、はい」

 水瀬に声を掛けられ、智也は遠慮がちに車に乗り込んだ。ヤクザの水瀬とは何度か会っているが、どうにも慣れない。BMWはアクセルを踏むと一度大きくガコンと音を立てたものの、無事に走り始めた。

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