第3話

 街の地図には赤いサインペンでマーキングがしてあった。駅前の高架下、鬼鳴川の橋のたもと、古書店街の裏路地。マーキングは半径5キロ以内に収まる10カ所に及んだ。そして、街の高校の場所もマークしてあった。

「それぞれの高校から駅への帰り道に出没しているみたい」

 真里が興味深く地図を眺める。

「ホワイトマジックを手に入れているのは高校生、しかも女子ばかりだろう」

「そういえば、そう。男子が持っていると聞いたことはないわ」

 真里の言葉に火鳥は頷いた。


「水瀬が言っていた29日に現われるとして、噂が出回り始めたのはだいたい3ヶ月前から。同じ場所に留まるのではなく、時間帯で移動しているようだ」

 しかし、移動のパターンが掴めない。明日は29日だ。この10カ所のパターン通り移動しているとしても、当てずっぽうではすれ違ってしまうだろう。

 火鳥は腕組をして眉根を寄せ、地図を見つめている。明日、なんとかして占い師を掴まえたい。


 コンコン、と軽くドアをノックする音が聞こえた。火鳥はドアを開けると、そこには2階で店をやっている占い師、金村琴乃かねむらことのが立っていた。珍しい来客に、火鳥はその顔をまじまじと見つめる。

 オリエンタルなお香の匂いを焚きつけている緑と茶色のトルコ絨毯のようなゴージャスな柄のストールを羽織り、目元には紫ラメのアイシャドウを入れている。

「何か用か」

「新しく買ったインテリアを業者に設置してもらったんだけど、位置が気に入らなくて。重くて女一人じゃ無理なのよ、移動するのを手伝ってくれない?」

 琴乃は火鳥を頭からつま先まで眺めながら値踏みする。


「でも、あなたじゃ無理ね。お友達はいないの」

 琴乃は事務所を覗き込む。ソファに座る真里と目が合った。真里は琴乃に軽く会釈する。琴乃がいかがわしいものを見る目つきで火鳥を凝視した。

「言っておくが、真里は従妹だからな」

「そう」

 女子高生を連れ込み、何か良からぬことをやらかそうとしていると疑われた火鳥はムッとしている。

「それに、あいつは友達じゃない」

 琴乃の言うお友達とは水瀬のことだ。やや細身の火鳥より長身でがっしりした体格の水瀬を力仕事で使おうとしている。


「あのう、もしかして占い師さんですか」

 真里がおずおずと訊ねる。

「そうよ、良く分かったわね」

 その格好で占い師でなければサーカスの曲芸師か雑技団のメンバーだ。琴乃はソファに座った。テーブルに広げられた地図をじっと見つめている。

「街に現われる女性の占い師を知りませんか」

 真里はホワイトマジックのことを琴乃に話した。琴乃は首を振る。

「私も一応ベテランだし、この業界は狭い。路上の占い師でも顔は知っているけどその女のことは知らない。新顔か、もしくは占い師ではないのかもね」

 手がかりが掴めず、真里は肩を落とす。


「その占い師を探しているのね、占ってあげましょうか」

 琴乃が首につけた水晶のペンダントを外す。金のチェーンで吊されたそれは、ゆらゆらと揺れている。

「本当ですか」

 真里の顔は明るくなった。

「その代わり、料金はいただくわよ」

「おい、悪質な訪問販売はやめろ」

 琴乃はがめつい。火鳥は苦言を呈す。


「いいです、占い師を捕まえてホワイトマジックのことを聞けたら友達も助かるし、これ以上酷い目に遭う人もいなくなる」

 お小遣いで払います、と真里は真剣な表情で訴えた。不意に階段を上がる靴音、ノックと同時にドアが開く。

「火鳥、コーヒー」

 そう言いながら顔を出したのはヤクザの水瀬だ。ソファにいた琴乃を見て顔を歪める。一度、ブルーダイヤの持ち主を占ってもらったときに、ボッタクリに遭った思い出が蘇る。


「あいつが力仕事を引き受けるってことでどうだ」

 火鳥が水瀬を指さす。

「いいでしょう」

「交渉成立だな」

 水瀬は何が起きたか分からず、顔を歪めている。

「おい、火鳥、勝手に俺を売りやがって」

 水瀬が火鳥に凄む。火鳥は全く意に介せず平然としている。

「真里のためだ」

「なんだと」

 テーブルで琴乃が水晶のペンダントを地図の上で揺らしている。ダウジングで占い師の出現場所を予測するつもりだ。琴乃はペンダントを持つ手に意識を集中している。それを見た水瀬はポケットに手を突っ込んで黙り込んだ。


「ここの高架下ね」

 水晶の先端が地図の一点を示してピタリと止まった。皆が地図を覗き込む。琴乃が思わせぶりに顔を上げる。

「その占い師、かそうでないものか。凄まじい恨みを感じる。気をつけることね」

 そう言って琴乃は立ち上がる。火鳥と真里は顔を見合わせた。

「あなた、来て」

 琴乃は嫌な顔をする水瀬を顎で指図して、2階の店に連れて行ってしまった。


***


 29日がやってきた。火鳥と水瀬は夕暮れ迫る場末の飲み屋街を通り抜け、琴乃が示した高架下にやってきた。

「まったくあの女、人使いが荒いぜ。めちゃくちゃ重い妙な像を2体も運ばせやがって、配達のときにちゃんと指示しとけよ」

 水瀬はあの後琴乃に連れられて、店の奥に置かれたエジプト神の立像を2体、入り口に移動するよう指示されたのだった。受付前に一度設置し、気に入らず、やはり個室へ、それもダメで結局店の入り口に置くことに決まったのだ。


「ヒロシ、ありがとね」

 2人についてきた制服姿の真里が申し訳なさそうに頭を下げる。

「気にするな、こいつは暇と体力は有り余っているんだからな」

「お前が言うな火鳥、気にするなよ真里ちゃん。今度飯行こうな」

 火鳥がニヤニヤ笑う水瀬の脇腹に肘を入れる。肋骨の隙間にヒットして水瀬は脇をさすりながら唸っている。真里はその様子を見てクスッと笑った。


 日が落ちてきた。高架下を駅への道を急ぐ高校生やサラリーマンが通り過ぎていく。雑踏の向こうに、小さな折りたたみ椅子に腰掛けた女が俯いて座っているのが見えた。足下に“占”の文字の書かれたランタンを灯している。灰色のストールを頭から被り、身動きせず濃さを増す夕闇に溶け込んでいるようだ。

「あ、あれだわ」

 異様な雰囲気に真里の声が震えている。火鳥と水瀬はビルの影から様子を見守った。薄気味悪い占い師を横目で見ながらサラリーマンや学生が通り過ぎていく。


「私、行ってみる」

 真里は覚悟を決めた。

「大丈夫か」

 火鳥は心配そうな表情を浮かべる。真里は深く頷いた。

「何かあったらすぐに助けにいくからな」

 水瀬が真里の肩を叩く。ヘタレヤクザのくせに、と真里は笑う。その表情は明らかに無理をしていた。


 真里は高架下の占い師に近づいていく。占い師の正面に立つ。占い師は顔も上げない。真里はその場にしゃがみ込んだ。

「あのう、占いをお願いできますか」

「ええ、いいですよ」

「恋の悩みです」

 真里は1つ上の先輩に憧れていて、片思いをしていると適当な作り話をした。その間、占い師はただ黙って話に耳を傾けている。真里は占い師の顔を見た。

 目の周囲に刻まれたひどいくまやくすんだ肌、ひどくやつれた表情。おそらく実年齢はもっと若いのかもしれない。50代といったところだろう。老人と見間違えられても無理は無い。


「一途に思い続ければ叶うよ」

 当たり障りない回答だ。真里は真剣なフリをして頷く。

「あんたがもっと美しくなればいい。これは美容にもいいし、ダイエットにも効く薬だ。特別にこれをあげよう」

 占い師はラベルのない茶色の瓶をポケットから取り出した。間違いない、ホワイトマジックだ。真里は目を見開く。


「福田小百合、それが何か知ってその子に渡しているのか」

 占い師がはっと顔を上げる。女子高生の背後にベージュのジャケットに白シャツの男と、黒いスーツに派手なロイヤルブルーのカラーシャツの男が立っている。福田小百合と呼ばれた占い師は唖然として2人を見上げていたが、静かに立ち上がった。

「何故、私の名を知っている」

 小百合は落ちくぼんだ目で火鳥をじっと見つめる。その妙な迫力に、水瀬は背筋に嫌な汗が流れ落ちるのを感じた。

「お前の出没するエリアと、日付、そしてターゲットから考えた」

 火鳥は淡々と話し始める。小百合はただ黙って聞いている。


「お前は当時高校生だった娘を拒食症で亡くしている。その月命日が29日。それで29日にこの周辺の女子高校生を狙い、ホワイトマジックを与えた。それがどんな作用をもたらすかを知りながらな」

 火鳥の話にそこまで調べていたのか、と水瀬と真里が驚いている。不気味な声を響かせて、小百合が肩を震わせ笑い始めた。その異様な雰囲気に皆押し黙る。

「そう、うちは母子家庭だった。由真は優しい子だった。ある日、好きだった男の子にフラれたといってひどく落ち込んでいた。太っているのが原因だと自分を責めて、極端なダイエットを始めた」


 ゴーッという音が響き、高架の上を電車が走り抜ける。

「それから由真は何も食べられなくなった。体調がどんどん悪くなり、みるみる痩せていったわ。若いのに、死因は多臓器不全。私にはどうしようもできなかった」

 小百合は呆然と立ち尽くしている。不意に顔を上げて真里を睨み付ける。

「お前たちのように、健康で美しい若者を見ると憎たらしくて仕方が無かった。それで、九州にある私の田舎に伝わる白鳳茸の菌糸を錠剤に混ぜて飲ませてやった」

 白鳳茸はある限られた地域でのみ生育するきのこで、生き物の体内で育つ。その村では絶対に食べてはいけないという伝説があるという。


「もうやめろ、お前がやっていることは犯罪だ」

 火鳥の言葉に、小百合は黄ばんだ歯を見せてニヤリと笑う。

「何がおかしいんだよ、おばはん」

 水瀬が不快感に顔をしかめる。小百合が被っていたストールを投げつけた。その隙をついて走り出す。目の前の通りを徐行していたタクシーに乗り込んで、走り去って行った。


「俺たちも追うぞ」

 火鳥たちも通りに出てタクシーを探すが、なかなか流しのタクシーが見つからない。駅まで走り、やっと乗り込んだが、「もう前の車を追ってください」は通用しなかった。

「一体どこに逃げた、自宅に帰ったのか」

 水瀬が苛立っている。娘のことは気の毒だが、あの女を放置しておけば、何をしでかすか分からない。

「福田小百合の娘は県立の商業高校だった。運転手さん、県立南高校へ向かってください」

 火鳥が運転手に指示を出す。タクシーは駅前ロータリーを抜けて南高校へ走り出した。


 夜の部活動の時間も終わり、学校は真っ暗だった。校門前で降りた3人は塀を乗り越えて火鳥を先頭に走る。

「本当にここなのか、それに学校は広いぞ。どこにいるか見当はついているのか」

 水瀬の質問に、息も絶え絶えの火鳥は返事ができない。

「なんだお前、もうへばってるのか。スタミナなさすぎだぞ」

「遙兄、筋トレが趣味らしいんだけど、どうも効果が無いのよね」

 真里が小声で水瀬に耳打ちする。火鳥はヒョロいわりに筋肉質に見えるが、見た目と筋力が伴っていないようだ。


「あそこだ」

 火鳥が指さす先には薄汚れた給水タンクがあった。梯子を登る人影が見える。

「一体何をする気なの」

「給水タンクにホワイトマジックを混入させるつもりだ。一気に被害の拡大を図るために」

 火鳥はタンクに向かって走る。小百合がスパナで南京錠を破壊し、給水塔の蓋を押し上げた。小百合はホワイトマジックの入った茶色の瓶を手にして壮絶な笑みを浮かべた。

 火鳥の足ではとても追いつけない。水瀬はグラウンドの端に転がっていたバスケットボールを見つけた。それを片手で掴み、小百合目がけてぶん投げる。


「ぎゃっ」

 バスケットボールを横っ面に食らって、バランスを崩した小百合が梯子から手を放す。そのまま地面に落下した。小百合は悔しさに叫び声を上げている。

「ヒロシ、すごいじゃん」

「もっと褒めろよ」

 小百合はゆらりと立ち上がった。そして、ホワイトマジックの蓋を開け、一気に飲み込んだ。


「や、やめろ」

 火鳥が慌てて手を伸ばすが、小百合は大声で笑い始めた。それは夜の校舎に響き渡る。そして急に腹を押さえて苦しみだした。

「うぐっ」

 小百合の口から白いきのこがボトボトと吐き出される。口の中から胃の中で一気に育ったきのこがあふれ出してきた。

 あまりに凄絶な光景に、真里は思わず目を塞ぐ。小百合は倒れてしばらく身悶えていたが、そのまま動かなくなった。腹が異様な大きさに膨らんでいた。

 我に返った火鳥が警察に連絡して救急要請をした。この状況を説明していると夜が明けるだろう。パトカーのサイレンが近づいてきたことを確かめて、壁を越えて逃げ出した。


***


「胸クソ悪い事件だったな」

 火鳥探偵社に食後のコーヒーを飲みに来た水瀬がしみじみとぼやく。

「ああ、娘は可哀想だったが、母の狂気はあらぬ方向に向かってしまったというわけだ」

 火鳥が何かに水やりをしている。水瀬が怪訝な顔でそれを見つめる。

「げっ、それ、あのホワイトマジックきのこじゃねえか」

 火鳥は錠剤の粉末から生えてきた白鳳茸を観葉植物のように育てている。

「大量に食わなければ平気だよ、白くて綺麗だろ」

 あの光景を見て、そんなことが言えるとは火鳥は頭のネジがどこか飛んでいるようだ。水瀬は白目を剥いた。


 火鳥探偵社のドアが軽くノックされ、真里が顔を出した。商店街の人気洋菓子店“スイートショパン”の箱を手にしている。

「ヒロシにこれ、お礼」

「お、なんだくれるのか。ありがとな」

 真里がはにかみながら水瀬に箱を手渡す。中にはショートケーキが3つ入っていた。火鳥が用意しているドリップコーヒーの香ばしい匂いが事務所を包み込む。


 火鳥はホワイトマジックの概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る