ホワイトマジック

第1話

 非常階段を上る足音が近づいてくる。この歩調は真里か。火鳥遙はマホガニー製の文筆机で副業のブログ記事を書いていたが、下書き保存をして湯を沸かし始めた。興味のない健康食品をほめちぎる記事を量産して飽き飽きしていたところだ。

 真里は火鳥の従姉妹に当たり、この町の高校に通っている、現在2年生だ。駅までの帰り道にある火鳥探偵社に時々立ち寄り、雑談をして帰っていく。

 

 コンコン、と軽いノックの音が2回。そして事務所のドアが空き、真里が顔を覗かせる。

「遙兄、今いいかな」

「ああ、いいよ」

 真里は事務所にお客さんがいないことを確認し、ソファに座った。先ほどセットしておいたティファールのランプがパチンと消え、湯が湧いた。火鳥はティーポットにアールグレイの葉を入れ、湯を注ぐ。ティーカップも湯で温め、テーブルに置いた。時計の秒針が3周すれば飲み頃だ。

 冷蔵庫にストックしておいたエクレアがあった。火鳥はエクレアを箱ごと取り出してテーブルに置き、ソファに腰掛けた。


 普段快活な真里が俯いている。元気がないようだ。火鳥は頃合いになったアールグレイをティーカップに注ぐ。真里はコーヒーより紅茶派だった。

「どうした」

「あのね、聞いてくれる」

 躊躇いがちに真里が口を開く。そのとき、乱暴な足音が近づいてきた。大股開きで階段を上がってくる。背の高い男だ。火鳥は立ち上がり、事務所の鍵を閉めようとドアに向かうが間一髪、遅かった。


「おう、いるじゃねえか」

 ドアが空き、そこには神原組のヤクザ、水瀬が立っていた。黒いスーツに派手な赤色の柄シャツ、サングラスをかけたその姿は長身と相まって威圧感がある。

 よく見れば、赤い柄シャツは龍の模様で構成されている。こんな悪趣味なシャツを一体どこで売っているのか、小首を傾げてしまう。


「邪魔するぜ、おっ、真里ちゃんこんにちは」

 水瀬は真里の横にどっかりと腰を下ろす。真里は嫌そうな顔をして少し横にずれた。

「一体何の用だ」

「時間が空いたからコーヒー飲みに来た。今日は紅茶か、まあいいぜ」

 火鳥は面倒くさそうにマグカップを取り出し、ポットに残る紅茶を注ぐ。水瀬の主な仕事は飲み屋街の用心棒だ。昼間は油を売っていることが多い。


「ありがとよ、エクレア美味そうだな」

 箱の中には残念ながら3つのエクレアが入っている。水瀬はそれをつまみ、頬張った。

「もう、ヒロシはいつもずうずうしんだから」

 真里は呆れている。水瀬は気を悪くする様子はなく、紅茶に口をつけ、これ薬臭いなとぼやいている。

「話続けていいぞ」

 これだけかき乱しておいて、いい気なものだ。火鳥は溜息をつく。真里も話しづらいのではないか。真里は水瀬の顔をじろりと睨み、言葉を選んで話しはじめた。


「今学校でね、ダイエットに効果があるっていう薬が出回ってるんだ」

 真里の話によれば、それはこの町のどこかにいる路上占い師に恋の相談をするともらえる薬だという。占い師が居る場所は一カ所に決まっておらず、たまたま見つけたら幸運だということだった。


「その薬っていうのが、白い錠剤なんだけど本当に効果があるらしくて。ちょっとぽっちゃりしてた子が薬を飲み続けて本当に綺麗に痩せたんだよ。運動も、食事制限もしてないんだって」

 真里は話が乗ってきたらしく、いつもの調子に戻ってきた。

「それでね、肌もすごく綺麗になって秘密の薬の効果だって喜んでるの」

 

「白い錠剤って、合法ドラッグってやつじゃないか。合法なんて言ってるけどそれなりに依存性はあるし、危険なんだぜ」

 水瀬が至極真っ当なことを言っている。今日は槍でも振るんじゃないかと火鳥は眉根を寄せた。

「うん、そう思って友達には止めなよって言ってるんだけど・・・本当にそれを飲むだけで楽に痩せるからって、こっそり飲んでるみたい」

 真里の通う高校で、占い師を見つけて白い錠剤をもらっている人が何人かいるらしい。


「白い錠剤ね、ホワイトマジックって呼ばれてる。占い料を払えば、占った後にもらえるんだって。でもみんな占いじゃなくてホワイトマジックが欲しくて占い師がどこにいるか探してるみたい」

 女心か、SNSの時代だがライバルを増やしたくないために占い師を見つけても情報は拡散されにくいらしい。

「友達がね、最近お腹を壊すって言ってるんだ。それが心配で。やっぱりそんな薬、良くないものじゃないのかなって」


「劣化版ドラッグを売りつけるインチキ占い師か、面白いな。情報を集めておくよ」

 冷静に話を聞いていた火鳥は真里に微笑む。普段仏頂面な男だが、従姉妹の真里には甘い。

「うちのシマでドラッグは御法度だからな。そのふざけた占い師、見つけたら締め上げてやる」

 水瀬も何故かやる気になっている。

「うん、ありがとう」

 真里はぎこちなく微笑み、エクレアにかじりついた。


―――――――――――


 竹田穂乃香の一家は全員ふくよかだった。父と母は中年太りで太鼓腹を並べ、弟と妹もよく食べる。食べることが好きで、家族にひもじい思いをさせまいと考える母は毎日テーブル一杯のおかずを用意した。

 穂乃香はそんな家庭で育ち、気が付けばなかなか落ちない贅肉に悩まされていた。もともと運動が好きでは無く、家の食事は美味しいし、ボリュームが多い。太らないわけが無かった。


 高校に入って好きな人ができた。バスケ部で活躍している1つ上の先輩だ。彼は若手人気アイドルグループのメンバーに似ている。つまり顔がいい。周囲には彼を狙う女子がたくさんいる。みんなお洒落をしていてスマートだ。自分もせめて痩せていたら、穂乃香はそんな思いを強くしていた。

 ある日の学校帰り、薄暗い高架下で噂の占い師を見つけた。恋の悩みを相談すればホワイトマジックがもらえる。穂乃香は迷わず占い師に声をかけた。


 そしてラベルの無い茶色の瓶に入った白い錠剤を手に入れた。一日一粒、いつ飲んでもいいという説明だった。これを飲み始めて、食生活に変化が無いのに8キロ落ちた。

 錠剤はもう無くなりかけている。それに不安を感じていたが、最近お腹の調子がおかしい。痩せてすっきりしたはずのお腹が張るのだ。


 穂乃香は残り少ないホワイトマジックを一粒、手の平に置いた。マークも何も入っていない真っ白い錠剤。もしかしてドラッグかも、とは思ったが楽をして痩せられる魅力には勝てなかった。

 またお腹が張っている。少し気分が悪い。ホワイトマジックを飲んでしまおう。穂乃香は水を手にしたが、胃の奥から何かが逆流してきた。


「げえっ」

 穂乃香は激しい吐き気に耐えきれず、胃の中のものをその場に嘔吐した。半分消化しかかった夕食の他に、原型をとどめたままの真っ白いきのこがいくつも混じっている。大きさはしめじよりも細く、えのきよりは太い。

「何、これ・・・」

 穂乃香は青ざめる。目から生理的な涙が流れ続けている。さらに吐き気が襲ってきて、また吐いた。食道を固形物が逆流してくる。ごろごろと白いキノコがいくつも口から飛び出した。

「いやぁあああ」

 穂乃香は自分の中から出てきた無数のキノコを見て絶叫し、その場に気を失った。

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