第3話

「2ヶ月前、隣の市で坂本組系の枝の若頭が車を運転しているところを、何者かに襲われた事件があったな」

 火鳥の言う事件は水瀬も事務所の噂で聞いていた。坂本組系の二次団体同士の抗争で、撃たれたのは北洋会若頭の佐々木。撃った犯人は見つかっていないが、おそらく抗争相手の紘政会のチンピラではないかと言われている。佐々木は頭を撃ち抜かれて即死だったらしい。


「佐々木はおそらく、半年前に殺られた前若頭の敵討ちに向かっていた。というのもその日は月命日だった。念入りに準備をしていたようだが、何せ決行日がわかりやすい。無念だったろうな」

 水瀬は面白く無さそうに項垂れる。好きでヤクザをやっている訳ではない。泥沼の抗争劇はゴメンだ。仇討ちに仕返し、面子を笠に着た怨嗟の鎖は断ち切れない。


「その佐々木が死んだ日は12日だったな」

 火鳥の呟きに、水瀬は銀屋の背後にかかっているカレンダーを見つめる。

「今日が12日だ」

「八木のおっさん大丈夫か」

「ヤバいな」

 水瀬は立ち上がる。


「ありがとな、銀屋さん。この礼は必ず」

「いいよ、火鳥の友達だろ。気にすんな」

 銀屋はニッコリ笑う。こんなやつ友達じゃねえ、と思ったが気を悪くさせる必要もないので水瀬は苦笑いで返す。BMWに乗り込んで、組事務所へ向かう。

「その前に、うちの事務所に寄ってくれないか」

 火鳥は事務所に忘れ物を取りに行きたいという。八木の動向が気になるが、仕方がない。火鳥探偵社へ立ち寄った。


 水瀬はエンジンをかけたまま、苛立ちながら火鳥を待つ。八木のことは嫌いだ。シノギも下手クソだし、理由をつけていつもぶん殴られる。しかし、何か得体の知れないものに乗り移られてとんでもない事件を起こそうものなら、八木が刑務所行きというだけでなく上位団体に噛みついたことで神原組自体が破門の危機に晒される。

「トランク開けてくれ」

 火鳥はトランクに何かを積み込んだようだ。のんびりとBMWに乗り込む。


「面白くなってきたな」

 火鳥は縁なし眼鏡をクイと持ち上げる。

「ふざけやがって、俺の職場が無くなるかもしれないんだぜ」

「真面目に職安に行け、世の中真っ当な仕事はいくらでもあるぞ」

 火鳥の言い分に舌打ちをして、水瀬はBMWを発進させた。


 組事務所前にやってくると、八木がベンツに乗り込むところだった。空はどんよりと重い黒雲が立ちこめている。今にも雨が降り出しそうだ。

「カシラ、どちらへ行かれるんです」

 水瀬が八木に近づいていく。火鳥もその背後で様子を伺う。

「どこでもいいだろう、お前に関係あんのか」

 八木は苛立ちながら吸っていたタバコを投げ捨て、足で揉み消した。その殺気だった目つき、普段の八木には無い剣呑な雰囲気を纏っている。

「あんた、北洋会の佐々木さんだろ」

 火鳥が核心をつく。八木の眉間に深い皺が寄る。


「そうだ」

 意外にもすぐに正体を認めた。八木の姿に黒いスーツの厳めしい顔の男が一瞬ダブって見えた。

「カチコミに行く最中に頭を撃ち抜かれた。果たせぬ恨みにそのベンツに取り憑いて復讐の機会を覗っていたんだな」

「そういうことだ、邪魔をするな」

 八木はベンツに乗り込もうとする。水瀬はドアを掴んでそれを止めた。


「このおっさんにそんな度胸はねえ、やめてやれよ」

 水瀬は叫ぶ。

「知るか、俺はこの身体を使って復讐を遂げる」

 八木は強引にドアを閉め、エンジンを吹かした。そのままアクセルを踏み込んで組事務所の駐車場を飛び出した。


「クソ、追うぞ」

 水瀬と火鳥は車に乗り込む。水瀬はBMWのアクセルを吹かす。フルスモークのベンツを追い、国道を駆け抜ける。ベンツは前の車を煽りながらどんどん追い越していく。

「メチャクチャな運転だな、通報されるぞ」

 火鳥が呆れている。そうは言っても見失うわけにはいかない。水瀬もクラクションを鳴らしながらベンツの後を追う。市を跨ぐ看板が出てきた。


 ベンツは高架を降り、一般道を南下する。

「この先はコンテナヤードだな」

 周辺にはコンテナを積んだトラックが増えてきた。ベンツもトラックを煽って追い越しをかけるわけにはいかず、スピードを落とす。

「目的地はそこか」

 フロントガラスに雨粒がひとつ落ちる。とうとう雨が降り出した。倉庫街の空き地でベンツは停車した。少し離れた場所に水瀬もBMWを停める。


 時刻は夜7時をまわっている。雨雲のせいで辺りはずいぶん暗い。このあたりは空き倉庫なのか、シャッターが閉じられており、通路の街灯も切れかけて点滅している。

 八木はベンツから降りてトランクを開ける。トランクの底蓋を剥がすと、その下から日本刀が出てきた。八木はそれを手にして明かりが漏れている倉庫へ歩いて行く。

 水瀬は八木の後を追う。八木は水瀬に気が付いているのだろうが、振り向きもしない。八木が狙いをつけた倉庫の様子をのぞき込み、水瀬は白目を剥きそうになった。


 倉庫内では黒服の集団が積み上げた鉄製の箱を前に、何やら話をしている。スーツを着たスキンヘッドが箱に手を入れ、黒い塊を取り出した。

「やべえな、マジの武器取引じゃねえか」

 水瀬は息を飲む。スキンヘッドの手には自動小銃が握られていた。おそらく箱の中身は銃でいっぱいのはずだ。八木が乗り込もうものなら、刀を振るう前に蜂の巣にされてしまうだろう。八木に乗り移っている佐々木には関係の無いことなのだろうが、このままでは八木は死んでしまう。


 佐々木は仲間の敵討ちをしようという昔気質の男だ。日本刀を武器に選んだのは様式美なのだろうが、さすがに飛び道具には敵うまい。

「やめろ、この昭和任侠バカ」

 倉庫に乗り込もうとした八木に、水瀬がドロップキックを食らわせる。八木は派手に吹っ飛び、倉庫隣の空き地に転がった。

「貴様、邪魔をするか」

 八木の表情は湧き上がる憎悪に歪んでいる。その怒りの表情に佐々木の顔がブレて見えた。亡霊の姿に水瀬は恐怖より、怒りを感じていた。雨は周囲が煙るほど激しさを増していく。


「復讐するならお前一人でやれ」

 水瀬が八木を睨み付ける。

「ほう、いい目だな。お前を倒さねば行かせてくれないらしい」

 八木はニヤリと笑い、手にした白鞘の日本刀を抜いた。白刃が雨に濡れて不気味に光る。

「ま、待てこっちは丸腰だぞ」

 水瀬は慌てる。八木は大きく振りかぶった日本刀を振り下ろす。水瀬はそれを辛うじて避けた。

「シャレにならねえ」

 できることなら逃げ出したい、しかし八木がこのまま取引に殴り込みをかければ、神原組は取り潰しだ。こんな身勝手な亡霊のために組が無くなるのは癪だった。


 八木は容赦なく日本刀を振り回す。水瀬は泥水に塗れながら逃げ回る。何とか体勢を立て直し、背中に仕込んだドスを抜いた。明らかにリーチが違う。もう泣きそうだ。

 八木の日本刀と打ち合いが始まる。キィンと高い金属音が闇夜に響き渡る。なんとか短いドスで凌いでいるが、八木の日本刀の攻撃は強烈で、水瀬のドスは壁の方まで弾き飛ばされてしまった。

 水瀬の頬を赤い筋が流れ落ちる。佐々木は武闘派だったのだろう、かなり手強い。

「なかなかやる、組に欲しい男だ」

 佐々木の残像を揺らめかせ、八木がニヤリと笑う。


「俺は神原組若頭補佐心得の水瀬博史だ」

 水瀬は頬の血を拭い、ファイティングポーズを取る。

「水瀬、こいつを使え」

 火鳥が水瀬に投げて寄越したのは、柄に青い組紐の巻かれた日本刀だった。

「なんだよこれ、何でお前がこんなもの・・・これ妖刀村雨じゃねえか」

 水瀬は手にした日本刀を見て怯えている。江戸末期、若武者九条直春の持つその刀は多くの敵将の血を吸ってきた。首を刎ねた血が雨のように降り注いだことから“村雨”と名付けられた曰く付きの刀だ。

 火鳥が以前解決した事件で、火鳥探偵社に預かっていた、というか掃除道具入れに置きっぱなしにしていたものだった。


「亡霊に勝つにはそれしかないだろ、我慢しろ」

 火鳥の適当な応援に腹が立つ。水瀬は仕方なく鞘を抜いた。村雨は雨を受けて妖艶に光り輝いている。八木が眉をしかめる。水瀬の背後に豪胆な若武者の姿が重なった。

「うおおおお」

 もうヤケクソだ。水瀬は村雨を振りかぶった。八木はその気迫に押され、慌てて刀を合わせる。激しい鍔迫り合いになり、互いに一歩も引かない。

 水瀬は足を踏みしめ、八木の刀を押し戻した。八木はその力に驚いて体勢を崩す。水瀬は村雨を斬り上げた。八木の刀が宙に飛び、ぬかるんだ地面に突き刺さる。


「あきらめろ、佐々木」

 水瀬は村雨の切っ先を膝をついた八木の鼻っ面に突きつける。

「復讐を遂げるまでは死んでも死にきれん」

 八木は悔しそうな顔で水瀬を見上げる。

 遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。赤い回転灯がこちらに向かってきている。水瀬も八木の中にいる佐々木も警察は苦手だ。思わず倉庫の壁に張り付いて身を隠す。


「おまわりさんこっちです」

 火鳥が倉庫を指さす。警察が倉庫になだれ込み、中は騒然となった。武器取引の現場を取り押さえられたのだ。佐々木が仇と見なしていた紘政会は一網打尽だ。

「もういいだろ、佐々木さん。紘政会は終わりだ」

 水瀬の言葉に八木は項垂れたまま、小さく頷き、気を失ったようだ。

「成仏したようだな」

 水瀬はホッと胸を撫で下ろした。火鳥も頷く。佐々木の亡霊の気配が消えた。あれだけ激しかった雨は止んで、雲間からは星空が覗いていた。


 翌日、事務所に戻ってきた八木はすこぶる機嫌が悪い。あの後、気絶した八木をベンツに押し込めて帰ったのだ。警察が付近を捜索したときに、白鞘の日本刀と八木を発見し、お縄になったのだった。

 八木は何も覚えてないと主張し、その姿があまりに迫真だったため警察はやむなく釈放したという。


「ヒロシ、“ゴージャスエデン”のみかじめ料はどうなってんだ」

 八木の鉄拳が飛んだ。完全に八つ当たりだ。

「へえ、今日回収に行きますよ」

 普段通りの痛みを感じ、水瀬は頬を撫でながら思わずニヤリと笑う。そしてタバコをくわえて組事務所の階段を降りていった。


 火鳥は村雨をまた事務所の掃除道具入れにしまい込んだ。そして黒塗りの高級車の概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込んだ。

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