黒塗りの高級車

第1話

 火鳥遙は目の前の座る女性の話を神妙な顔で聞いている。いや、聞いているフリをしていた。30代前半だろうか。肩にかかる艶やかな髪、ぱっちりした目に小ぶりな唇、淡いピンクのカーディガンにゴールドのラメが入ったカットソー、スカートから伸びる足はきれいに揃えられている。

 つまり、美人でスタイルがいい。そんな女性が浮気調査の依頼で火鳥探偵社を訪れていた。整った顔には疲労と、やるせない思いがにじみ出ている。


「これが夫です」

 彼女が差し出した写真には、小太りで気の良さそうな眼鏡の男が写っていた。彼女と並ぶ姿が滑稽にすら思える。

「わかりました。証拠を掴みましょう」

 火鳥は縁なし眼鏡をクイと持ち上げる。夫の行動パターンを確認し、いつも帰りが遅くなる金曜日、職場を出た後3時間を追うことにした。それで何も掴めなければ追加調査を請け負うことにする。


「よろしくお願いします」

 女性は丁寧に頭を下げる。火鳥は女性をエスコートし、事務所のドアを開ける。階段の踊り場に立つ長身の黒いスーツ、ワインレッドの柄シャツの男を目が合った。それを無視して、女性にでは気をつけて、と声をかける。

 女性が階段を降りていくのを見送って、火鳥はドアを閉めた。


「おい、人が待ってたのに何でドア締めやがるんだよ」

 締めたドアがすぐに開いて、黒いスーツの男が怒鳴り込んできた。ヘタレヤクザの水瀬博史だ。火鳥は面倒そうな顔で水瀬を一瞥し、ソファに腰を下ろす。

 水瀬は勝手知ったる事務所とばかりに戸棚からカップを取り出し、サーバーに残っていたコーヒーを注いで大股開きでソファに座った。


「今の女、美人だったな」

 コーヒーを飲みながら水瀬は鼻の下を伸ばしている。

「お前とはとても釣り合わないだろ。それに、客を怖がらせるなよ」

 水瀬は182センチの長身だ。それに目つきが悪い。そんな男が黒いスーツに柄シャツを着ていればカタギとは思えないだろう。

「ぬかせ、俺は紳士的だぜ。その証拠に話声が聞こえたから待っててやったんだ。で、あの女、何を相談しに来たんだ?浮気調査か」


「お前はバカか、依頼人の秘密をペラペラ喋るわけがないだろう」

火鳥は呆れて眉根を寄せる。生意気な態度に何度殴ってやろうかと思ったことか、しかしヤクザで強面の自分に対して、いつも平然とした態度の火鳥は不思議と好感が持てるのだった。

「俺ならあんな顔はさせねえけどな」

 水瀬はニヤニヤしながら悠然と足を組む。

「で、今日は何しに来た」

 火鳥が面倒くさそうに話を遮る。水瀬は真剣な顔になり、身を乗り出した。


「うちのカシラ、八木ってのがいてな。最近車を買ったんだよ。中古だけどな、黒塗りのベンツ。それが嬉しいらしくてよ、毎日自慢話だ」

 八木政司やぎまさしは水瀬が所属する神原組の若頭だ。昭和のヤクザ映画を地で行くルックスで昔気質、熱血指導に余念が無い。水瀬もよくぶん殴られて文句を言っている。

神原組は暴対法の網をかいくぐった地味なシノギで持っている。若頭といえども高級外車を買おうにも、中古でないと手が出せないのだろう。


「また中古か、懲りない男だな」

 火鳥は呆れて鼻を鳴らして笑う。八木は以前、骨董店で呪われたダイヤを買ってしまい、その処分を水瀬に押しつけてきたのだ。

「その八木の様子が最近おかしいんだよ」

 水瀬が渋い表情を浮かべる。

「尿道結石が悪化したんじゃないのか」

「そんなんじゃねえ」

 水瀬は首を振る。八木は呪いのダイヤで尿道結石に苦しんだ。それ以来、再発に苦しんでいるらしい。


「なんかよ、違うんだよな。この間もよ」

 水瀬の話によれば、八木が事務所でヘマをした若い組員を殴りつけた。いつもの風景と思って見過ごしていたところ、倒れた組員の腹に何度も蹴りを入れ始めさすがにマズイと思った水瀬が羽交い締めにして止めた。そのときの八木の顔には凄まじい憎悪が浮かんでいた。そのままふいと愛車の中古のベンツで出ていってしまったという。


「八木はすぐに人を殴りやがるけどよ、あんなに執拗にやり続けることは無かった」

 事務所で一番殴られている水瀬は、腹を立てながらもその拳に多少の情を感じていたらしい。しかし、ボコボコにされた若い組員は八木の怒りの形相に恐怖を覚えたという。

「人が変わったみたいだ」

 水瀬は項垂れる。いつも毛嫌いしている若頭だがよほど様子がおかしいのだろう、水瀬は困惑を隠せない。火鳥は腕組をしながら考えている。


「車を買った頃から様子がおかしいんじゃないのか」

 火鳥に言われて、水瀬は考え込む。思えばそうかもしれない。

「そうだな、ベンツを買ったと浮かれていたが、翌日からどことなく雰囲気が険しくなっていったような気がする」

 八木はシノギもイマイチで、すぐに人を殴る男だが情はあった。

「中古のベンツ、それが引っかかるな」

「車のせいで気持ちが大きくなっちまったとか」

 いい車に乗ると気分が上がり、自分が偉くなったような錯覚に陥るものだ。


「呪いの青いダイヤの前科があるだろう、今回も呪いのベンツなんじゃないのか」

 呪いと聞いて、水瀬は青ざめる。

「結構最近の年式で、事故車でも無いのに45万だったって聞いたな」

「安すぎるな、何かあるんじゃないか」

 安い買い物ができたことをヘラヘラ自慢するとは、面子を重んじるヤクザのすることではない。火鳥は呆れている。

「やっぱり、そう思うよな。俺も怪しいと思ったぜ」

 水瀬は頭を抱えた。


「八木がおかしくなった理由を突き止めてくれないか、これは俺からの依頼だ」

 水瀬は真面目な顔で火鳥を見据える。

「わかった、面白そうだから引き受けてやる」

 火鳥は偉そうにふんぞり返った。水瀬は面白く無さそうに舌打ちをして、タバコに火をつけた。

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