第3話

 火鳥と水瀬は不知火トンネルの前にやってきた。水瀬が絶対に車で通りたくないというので、火鳥のスーパーカブが足になった。

「クソ、上手く乗せられた気がしてならねえ」

 水瀬は独りごちる。このままだと呪われるぞ、と火鳥に脅されて鬼火の真相究明に連行されたのだった。

「お前が近くにいると、波長が合うのか俺も普段見えないものがはっきり見えるんだよ」

 つまり、この世にいてはならないものが見えるという。水瀬自身は怖がりで超鈍感だが、火鳥によれば霊媒体質で何かとよく背負っているらしい。


 不知火トンネルの入り口に立つ。石造りの壁に昭和58年建設と銅板が嵌め込んである。長さ約50メートル、片側1車線の狭い車道で、歩行者用の道は無い。車通りもそう多くはないが、自転車野歩行者は車道の脇を壁すれすれに進むことになる。

 トンネルの上は低い山になっており、住宅がまばらに立つ。トンネル周辺には寂れた喫茶店や小さな板金屋、潰れたタイヤ屋などが並んでいる。


 火鳥はトンネル入り口の看板に目を留めた。1年前の女子高生失踪事件の情報提供を訴えるものだった。

「女子高生はこの周辺で帰宅途中に失踪した」

 古くなり、さび付いた看板はもう誰も気にしていないだろう。

「家族が嫌いだとか、恋人と逃げたとか、その可能性はねえのかよ」

「依頼主の家族はまっとうな人物に見えたな、その可能性は低そうだ」


 火鳥は草むらに足を踏み入れる。そこには朽ちた看板が落ちていた。やはり探し人の看板だ。

「この付近で、1年の間に50代の男性会社員と10才の小学生男子も失踪している」

 不知火トンネル付近の事件、事故を調べると1年以内にこの2名の失踪が分かったのだ。女子高生を入れて3名。奇妙な話だ。

「よし、トンネルを通ってみよう」

 火鳥はカブのエンジンをかけた。水瀬はじりじりと後退る。

「お、俺はやっぱり行かねえ」

 そう言って反対方向に逃げ出した。火鳥はカブを発進させ、水瀬の前に回り込む。

「観念しろ、つきあえ」

「い、嫌だ。なんでわざわざおっかねえ目に遭わなきゃなんねえんだよ」

「呪われたままでいいのか?車が事故ったり、尿道結石になったり、恐ろしい目に遭うぞ」

 火鳥の脅し文句に水瀬は折れた。嫌々カブの後部座席に跨がった。


 カブは薄暗いトンネルに入っていく。ひやりとした空気に背筋がゾクッとする。やっぱり車で来た方が怖くなかったかもしれない。水瀬は後悔していた。

 一台の車とすれ違った。ヘッドライトが眩しくて、火鳥は目を細める。中程にさしかかった辺りで、正面に白い影が現れた。

「鬼火か、いや」

「うおお、おっかねえ人の形になった」

 水瀬が火鳥の肩にすがりつく。目の前の白い影は鬼火のような強い輝きを放ち、やがて髪の長い女性の形を成した。


「やはり、お前が見たものは彼女だったんだ」

 火鳥と水瀬が近くにいることで、何故かこの世にないものがはっきりと見える。

 女性の亡霊は制服を来ているように見える。

「失踪した女子高生かもしれない」

 カブに向かって浮遊してくる。亡霊はそのまま2人をすり抜けて、もと来た出口へ消えていった。火鳥はブレーキをかけ、カブを方向転換した。

「追うのかよ」

「何か伝えたいことがあるようだ」

 火鳥はトンネルの出口へ向かった。


 亡霊はトンネル脇の草むらに隠れた錆びた扉の前に立っていたが、霧のように消えてしまった。火鳥はドアノブを捻ってみる。鍵がかかっている。火鳥は振りをつけてドアを蹴る。しかし、跳ね返されてよろめいた。

「お前はホント貧弱だな」

 水瀬が1度、2度、3度蹴ったところでドアは勢いよく開いた。ドアの奥は暗く狭い通路になっている。

「昔は歩行者通路として使っていたのかもしれないな、老朽化のために塞いだのだろう」

 火鳥はバッグから懐中電灯を取り出し、中へ入っていく。水瀬も仕方なく後に続く。


 曇り空から差す弱々しい日の光はすぐに届かなくなった。懐中電灯しか光源のない狭い通路は湿気とかびの匂いに満ちており、時々天井から雫が落ちて水瀬が声に鳴らない悲鳴を上げる。

「ここに一体何があるのだろう」

 通路を30メートルほど進んだだろうか、壁の中からぼんやりと明かりが漏れている。壁に大きな亀裂が入っており、明かりはその奥から漏れているようだった。火鳥と水瀬がその前に立つと、壁がガラガラと崩れ、大人がなんとか通れる程の大きさに口を開けた。


「先に進めということらしい」

 懐中電灯の明かりを消し、火鳥は壁の穴に入って行く。蛍光灯のような、人工的な明かりだ。奥に誰かいる。

「マジかよ」

 泣き言をいいつつ水瀬も壁の穴をくぐった。その先は古い坑道のようだった。足元には瓦礫や腐った木が散乱している。明かりの方へ息を殺して進んでいく。上背のある水瀬は背中を丸めながらでないと、低い天井に頭をぶつけそうだ。


 光源が近くなってきた。ぶつぶつと男の呟く声が聞こえる。坑道の先にやや広けた場所があるようだ。2人は土壁に身を潜め、広場を覗き込んだ。

 そこには作業着を着た男がいた。30代くらいだろう、椅子に座る人物に何やら話しかけている。

「今日は学校の先生に褒められんだって、さすが直美は優秀だね。和樹はテストで満点を取ったのか、偉いぞ」

「父さん、俺は仕事が丁寧だってお客さんに喜ばれたよ」

 男の家族だろうか、火鳥はその姿を見て息を呑む。男が話しかけているのは朽ちた死体だった。長い髪を垂らし、眼窩にはぽっかりと黒い穴が開いている。くすんで汚れたセーラー服を着た、ほぼ白骨化した死体だ。男がその髪を愛おしそうに撫でると、髪はずるりと抜け落ちた。もう一人はグレーのスーツの、おそらく男だ。虚ろな眼窩が虚空を見つめていた。ランドセルを背負ったまま無言で項垂れる小学生であろう子供の姿もあった。


「母さんも早くぼくの家族になろう」

 男はそう言ってもう一人に話しかけた。口にガムテープを巻かれ、ロープで椅子に括り付けられた中年女性だ。目を見開き、涙を流しながら首を振っている。

「あんたも聞き分けの無いひとだね、仕方ないな」

 作業着の男は側にあった大きな石を振り上げる。それを迷うことなく女性の頭に振り下ろそうとしたそのとき、背後から蹴りを食らって転倒した。


「な、なんだお前」

 自分の世界に突如入り込んできた者の姿に、男はひどく動揺している。

「お前、何をやってんだ」

 怒りにこめかみを震わせて、水瀬が叫ぶ。

「ここはぼくの家だ。勝手に入ってくるな」

 男は興奮して喚く。

「お前がやっているのは殺人だ」

「違う。これはぼくの妹で、この人は父さん、弟、そして彼女は母さんになる」

 狂っている。火鳥と水瀬はその狂気に唖然とする。


「邪魔をするな」

 男は立ち上がり、手にした石で水瀬に殴りかかった。水瀬はカウンターで男の顔に強烈な拳を食らわせた。男は白目を剥いて気絶し、その場に倒れた。

 火鳥は女性のガムテープと縄を解き、水瀬と共にそのロープで男を縛り上げた。女性は恐怖に怯え、泣きながら何度もお礼を言った。


 トンネル付近の板金屋にパトカーが駆けつけた。板金屋の裏手に坑道に通じる穴があった。男はそこにトンネルで狙った人間を車ではね、意識を失ったところを誘拐し、坑道に隠した。男の父母は五年前に他界、孤独だった男は自分の夢の家族を作ろうとした。

「良くある白い軽トラで現場にあった塗装は流通品、自分で板金で修理をするので足がつかない。悪知恵の働くヤツですよ」

 現場にやってきた警察官の言葉だった。女性は保護された。足の骨折と発熱、衰弱のため、すぐに救急車で運ばれ、病院に収容された。


―翌日

「しかし、後味の悪い事件だったな」

 火鳥探偵社のソファで足を組んだ水瀬はコーヒーを啜る。

「全くだ、一番怖いのは人間ということだな」

 火鳥も頷く。結局、坑道の遺体が失踪した女子高生と判明した。依頼人からは火鳥へ、捜索のお礼と指定口座へ代金の振り込みをすると電話があった。彼女の母親の嗚咽がまだ耳に残っている。彼女のおかげで、あわや男の“母親”を演じることになる女性を救うことができた。


「ヒロシ、ちょうど良かった」

 事務所のドアが開き、真里が顔を出した。

「これ、この間のお礼。遙兄も一緒に食べよ」

 真里が持って来たのは商店街の洋菓子店で買ったたっぷりのいちごとブルーベリーが乗ったタルトだ。甘い香りが鼻をくすぐる。

「お、奮発したな」

 真里がタルトを切り分ける。水瀬は手でつまみ上げ、かぶりついた。

「もう、行儀悪い」

「俺は育ちが悪いんでな。おう、これ美味いな」

 真里は呆れながらもクスクス笑っている。


 その後も、不知火トンネルには幽霊の噂が絶えないが、実際に見た人はいないらしい。火鳥は不知火トンネルの幽霊の概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込んだ。

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