幽霊トンネルの噂
第1話
「大丈夫だって、これ美容にもいいんだぜ。目がキラキラして、肌もつやつやになる、俺の言うこと間違いなし」
アッシュグレーに染めたウルフカットの男が透明な小袋に入ったピンク色の錠剤を見せつける。右耳と瞼に差したピアスが目を引いた。薄ら笑いを浮かべて目の前の女子高生を口説いている。
「健康食品みたいなモンだから依存症とか関係ないって」
ウルフカットとつるむもう一人の男は、坊主頭に稲妻の切り込みを入れている。厚ぼったい唇には卑猥な笑みが浮かんでいる。
「そんなのいりません、そこどいてください」
ブレザー姿の女子高生は強気で言い返す。背後にいるもう一人は同じ学校の制服を着ている。大人しそうな彼女は大柄な2人の男に怯えて俯いている。
「やめなよ、真里」
女子高生のブレザーの裾を控えめに引っ張る。
「だって、こいつらが道を塞いでるから」
木島真里は正面に立ちはだかる軽薄な男2人を睨み付ける。夜9時を過ぎた学習塾の帰りだった。最寄り駅への道は繁華街を通ることになる。
最近強引なナンパが発生しているので気をつけるように、と塾の先生からも注意喚起されていた。
真里の背後で神原美鈴が震えている。男たちに執拗に言い寄られ、薄暗い路地裏に追い込まれてしまった。
「逃げよう」
真里は美鈴の手を引いて走り出した。路地の向こうは商店街だ。明るい通りに抜ければ、助けを呼べる。
「お、逃げるのか。いいぞ、競争だ」
ウルフカットと坊主頭はニヤニヤ笑いながら2人を追う。男の足に敵うわけもなく、商店街の通りに飛び出したところで美鈴が捕まった。
「美鈴!」
真里は振り返る。
「離して」
美鈴は必死で抵抗する。
「可愛いね、離して、てか」
美鈴の手を引くウルフカットは下品な笑い声を上げる。もともとシャッター通りの商店街は、人通りはすっかり絶えていた。会社帰りのサラリーマンが通りかかったが、面倒に巻き込まれまいと足を速めて通り過ぎていく。
「おい、おまえら」
その声に真里は振り返る。そこに立っていたのは、黒いスーツに赤い柄シャツの水瀬博史だった。
「その手を離せ」
水瀬はポケットに手を突っ込んだまま男に向かって凄みを効かせる。坊主頭が水瀬の正面に立つ。180㎝を越える水瀬より巨漢だ。
「何だおめえ、邪魔すんなよ」
坊主頭が水瀬を見下ろす。水瀬はポケットに手を入れたまま動かない。
「カッコつけてみたけど怖くて動けねえらしいぜ」
2人はゲラゲラと笑い声を上げる。坊主頭が水瀬の顔を平手で叩いた。水瀬はそれを甘んじて受ける。真里と美鈴は男たちから離れて、心配そうな表情で様子を伺っている。
「お前から先に手を出した、そうだなお嬢さん方」
「う、うん」
真里は頷く。水瀬は口元から流れた血を拭い、ニヤリと笑う。
油断した坊主頭に頭突きを食らわした。顎に攻撃がヒットし、坊主頭はよろめく。水瀬はすかさず腹に蹴りを入れた。坊主頭は吹っ飛んで、シャッターに激突して気を失った。ジャンパーのポケットから錠剤が散らばった。
「なんだこれは、俺のシマでドラッグは御法度だぜ」
水瀬は顔を歪める。ウルフカットはズボンのポケットからジャックナイフを取り出した。
「なんだお前、筋者か」
「将星会神原組の若頭補佐心得、水瀬だ」
ウルフカットは目を見開く。チンピラかと思っていた。よくわからない肩書きだが、まさかヤクザの幹部とは。
「悪かったよ、ちょっとふざけてただけだろ」
ウルフカットは突然下手に出始める。頭を下げるそぶりをみせたが、次の瞬間、水瀬に向かってナイフを突き出した。
水瀬はそれを軽々と避ける。ヤケになったウルフカットはナイフを振り回し始めた。
「ハハハ、ヤクザは善良な市民に手出しできるわけねえんだ」
水瀬が押されている。ナイフの切っ先がスーツの腕にかすり、布地が裂けた。皮膚まで到達はしていないようだ。水瀬は舌打ちをする。
「ヒロシ、これ使って」
真里が裏路地から拾った空の一斗缶を手渡した。水瀬はそれでナイフを防ぎ、弾き飛ばした。間髪入れず、ウルフカットの脳天めがけて一斗缶を振り下ろす。ガン、といい音がしてウルフカットは地面に転がった。
水瀬は地面に散らばった錠剤を踏みにじる。この辺で出回っている合法ドラッグというやつだ。警察もこれを理由にお縄にすることは難しいだろう。
「このクソガキが、俺のシマでは風邪薬だって商売禁止だ」
地面に血の混じった唾を吐き捨てた。
「ヒロシ、大丈夫?」
真里と美鈴が駆け寄ってきた。
「ありがとうございます」
美鈴が丁寧に頭を下げる。彼女は組長の娘だ。水瀬は通りがかっただけだと恐縮する。
「家まで送るぜ」
水瀬はコインパーキングから愛車のBMWを出庫した。中古で二世代の型落ちだが、いかついフロントグリルのデザインが気に入っていた。最初に美鈴を丘の上の高級住宅地へ送り届けた。
「今日のことは、オヤジには黙っておいてね」
水瀬は頭をかきながら美鈴にそう頼んだ。組長の神原は義理堅い。気を遣われるのは面倒だった。美鈴はもう一度礼を言って自宅へ帰っていった。
「お前は駅まででいいか」
水瀬は後部座席の真里を振り返る。
「サービス悪いなあ、まあ別にいいけど」
「冗談だよ、家まで送ってやる」
BMWは坂を下っていく。
真里の案内に従い、水瀬はBMWを走らせる。
「ここ、通りたくないけどこのルートなら仕方ないか」
真里が呟く。
「なんだよ」
「あ、道が細いからだよ」
気にしないで、と真里は笑う。車はトンネルにさしかかった。低い山を削って作った短いトンネルだ。薄暗い蛍光灯が暗い道を照らしている。すれ違う車のヘッドライトが眩しく、水瀬は目を細めた。離合がギリギリの狭さだ。
「おおっ、なんだあれ」
正面に白い光が見える。まるでぼやけた人魂のようだ。それがすうっとこちらに向かって飛んでくる。
「やっぱり出た」
「やっぱりって何だ、出たって何がだ」
水瀬が動揺している。
「あ、いやあの、今やってるスマホゲームでレアモンスターが出たんだよ」
「嘘つけ!」
水瀬は叫ぶ。白い人魂は車のフロントガラスに当たり、霧散した。水瀬はハンドルを両手で握り、呼吸を落ち着かせている。
「はあ、はあ・・・何だった今の」
息が荒い。額から嫌な汗が流れ落ちる。車は無事にトンネルを抜けた。目の前に市街地の明かりが見えてきた。
「き、霧じゃないかな、この辺は夜に霧が出るから」
真里は取り繕うような笑顔を浮かべる。
「そ、そうだな、きっと霧だ」
そんなはずはない、と思いながらも絶対に怪奇現象と思いたくない水瀬は自分に言い聞かせる。
真里を木島家に送り届けて、水瀬はフロントガラスをまじまじと見る。そこには白い手形が逆さまについていた。
水瀬は白目を剥いて泡を吹いた。
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