呪いのブルーダイヤ

第1話

 火鳥探偵社のある雑居ビルの1階には、中華料理店“揚子江”がテナントとして入っている。店長は中国人の陳さんで、四川料理の本場、成都で料理を学んでおり、料理の腕は一級品だ。高級店でもやっていける腕前だが、庶民的な食堂でたくさんの人に本場の料理を食べてもらいたいとこの店を経営している。

 今日のランチはよだれ鶏。よだれが出るほど美味いというのが由来らしい。独特の香辛料の風味がくせになる味だ。白ご飯に卵スープ、シュウマイがついて850円というお得感も良い。


 中華料理店だけに、食後のコーヒーは無い。腹を満たした火鳥はさびの浮いた階段を上り、3階の事務所へ戻る。ドリップでコーヒーを淹れ、ソファでくつろぐ。大学を出て会社勤めをしたこともあった。探偵だった父の死により、この探偵事務所を継ぐことになり、今に至る。

 派手な宣伝もなければ得意先もなく、閑古鳥の鳴く事務所だが、気楽なのはいい。探偵の仕事がないときは、特技ともいえる文筆でデタラメな宣伝のブログ記事を書いては日銭を稼いでいる。


 コーヒーに口をつけた瞬間、妙な気配に感づいた。火鳥は子供の頃から第六感が鋭かった。何か嫌なものが近づいている。それは事務所のドアの向こうにまで来ている。ドアが乱暴にノックされた。返事もしていないのにドアは開く。

「邪魔するぜ」

 良いと言っていないのに、事務所にずかずかと入り込んできて、ソファにどかっと腰を下ろしたのはヤクザの水瀬博史だ。ここに来るとろくでもない目に遭う、といつもぼやいている割にはよく顔を出す。マゾッ気でもあるんじゃないかと火鳥は思うことがある。


「お、いい匂いだな」

 コーヒーの催促だ。火鳥はまだ温かいサーバーからコーヒーを注ぎ、テーブルに置いた。

「今日のランチ、よだれ鶏だってダサい名前だよな、でもこれが美味いんだよな」

 脈絡もなく“揚子江”のランチの話を始めた。コーヒーを口に含み、やっぱり食後はコーヒーだな、と勝手にほっこりしている。


「お前のポケットから不穏な気配を感じる」

 火鳥の言葉に水瀬はコーヒーを吹き出しそうになり、踏みとどまった。

「そうそう、今日はこれで来たんだよ」

 水瀬は面倒くさそうにポケットから小さな箱を取り出した。

「うおっ」

 テーブルに置いた箱の周囲に黒いもやが漂っており、初めてそれに気付いた水瀬は仰天してひっくり返りそうになる。

「なんじゃこりゃあ、おっかねえ」

 水瀬は極度の怖がりだ。強面の巨漢とはニヤニヤ笑いながらケンカできるが、怪奇現象にはめっぽう弱い。本人は全くの鈍感で、よくその辺で拾った霊を連れてくる。火鳥と水瀬が近くにいると何故か怪異が具現化するのだ。


 箱から染み出した黒いもやはやがて人の形を成していく。髪を後ろでひとつくくりにした女性が浮かび上がった。深く俯いたその顔は悲しみに沈んでいる。何か言いたそうな目でじっと火鳥を凝視すると、もやとともに立ち消えてしまった。

「お前、また連れてきたのか」

 火鳥は呆れて箱を取り上げる。開けてみれば中には大ぶりのダイヤの指輪が収められていた。美しいカットのブルーダイヤだ。

「曰くありげだな」

 火鳥はダイヤを箱にしまった。


「頭の八木がよ、俺に押しつけてきやがったんだ」

 ようやく落ち着きを取り戻した水瀬が話し始める。八木は水瀬の所属する将星会神原組の若頭だ。八木は血気盛んで、水瀬はよく殴られると文句を言っている。

「あの尿道結石のか」

「そうだ。お前、しょうもないことを覚えてるんだな」

 先日、大学病院で火鳥にばったり会ったときに八木は結石で入院していた。

「その八木が女にプレゼントするんだって張り切って買った指輪がこれだ」

 しかし、その指輪を買ってから車をぶつけたり、敵対する組の若者に刺されそうになったり、挙げ句に女にもフラれ尿道結石になったという。


「完全に日頃の行いだろ、因業だ」

 水瀬はダルそうにソファに身を投げる。

「しかもその指輪、骨董店で叩き売りされてたらしい」

 水瀬は指輪の箱をちらりと見やる。もう怪しげなもやは出ていないようだ。

「ほう、結構な値打ちものに見えるが、お前の組の若頭が手に入れられるとなればさほど高値ではないんだろうな」

「まあ、そうだろうな。あのおっさんじゃそう稼げねえよ」

 水瀬はコーヒーを飲み干す。


「それで、俺にどうしろというんだ」

「呪われてるから除霊しろってさ」

 火鳥はあからさまに不機嫌な顔になる。

「言っておくが、俺は坊主じゃない」

「ほら、赤い服の女、お前が倒しただろ。だから勘違いしてるんだよ、バカだから」

 水瀬は上司に当たる八木を嫌っているようだ。

「除霊したとして、報酬は出るのか」

 思ったとおり、火鳥は金に汚い。水瀬は箱を指さした。

「うまくいけばそれをくれてやるってよ」


 火鳥は縁なし眼鏡をクイと押し上げる。その奥の目が光った。労力と金を天秤にかけ、金に傾いたらしい。

「じゃあ、俺はこれで」

 面倒を押しつけてすっきりした顔で水瀬は立ち上がる。

「おい、待て」

 火鳥が水瀬を見上げる。

「巻き込むならお前も手伝え、さもなくばお前に返す。何が起きるか楽しみだな」

 火鳥はニヤリと笑う。もはやどちらがヤクザかわからない。

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