第3話
智也がバッグからLEDの懐中電灯を取り出した。フィールドワークに欠かせないため、いつも持ち歩いているという。暗闇の中、この明かりだけが頼りだ。
「この書棚が怪しいな」
火鳥は書棚の下を照らす。微かに埃の位置がずれていた。この奥に何かがある。火鳥は書棚を奥へ向かって押してみる。重厚な書棚はびくともしない。水瀬と智也、真里も一緒に押してみるが一ミリも動く気配は無い。
「このクソ本棚」
腹を立てた水瀬が本棚を蹴り飛ばす。その途端、何かの仕掛けが作動した音がして本棚の一部が横にスライドした。
「うおっ」
水瀬は驚いて後退る。
「やるじゃん、ヒロシ!」
真里が大喜びしながら水瀬の肩を叩いた。女子高生に完全に舐められている水瀬は憮然とした顔をしている。
「奥に階段がある」
火鳥が懐中電灯を向けると、真っ暗な階段が地下へ延びていた。火鳥は先陣を切って階段を降りていく。真里と智也も顔を見合わせて、頷き合った。意を決して火鳥に続く。
「マジか、行くのかよ」
水瀬が情けない声で叫ぶ。
「お前は留守番でもいいぞ」
冗談じゃない、こういうときにホラー映画で一番に犠牲になるのは留守番役だ。水瀬は唇を歪めながら仕方なくついていく。
地下階には長い廊下が続いていた。打ちっぱなしのコンクリートの床に靴音が響く。水の滴る音が遠くで響いている。剥き出しの配管はじっとりと湿っていた。
「うお、マジかよ・・・勘弁しろよ」
火鳥が懐中電灯で周囲を照らすと、右手は壁、左手は格子が嵌まった狭い部屋、さながら牢獄だった。マットレスの取り除かれた鉄製のベッドが放置され、奥には薄汚れた便器が据え付けてあった。
「そうだ、この病院はかつて戦時中は陸軍の指揮下に置かれていた。もしかしたらここは政治犯や外国人捕虜を収容する施設だったのかもしれない」
智也の言葉に火鳥は唇を引き結んだ。院長室で感じた悪意が増幅したように思えた。
「大樹くん」
大声で名前を呼ぶが、返事はない。不意に廊下の奥が明るくなった。電灯の明かりが廊下に漏れているようだ。この建物に電気は通っていない。火鳥は走り出した。水瀬もそれについていく。
鉄の扉を開けると、揺れる裸電球の下に手術台があり、その上に大樹が縛りつけられていた。目を閉じているが、血の気は失われていない。まだ命はあるようだ。奥で白衣の男がハサミやメスを手に、オペの準備をしている。
「なんだあいつは、ガキをどうするつもりだ」
水瀬が叫ぶ。
「お前にも見えるか」
火鳥も白衣の男をじっと見据えている。真里と智也にはそれが見えないらしく、2人を神妙な面持ちで見つめている。
「お前たちは何者だ」
白衣の男が振り返った。煤けた白衣には赤茶色の染みが飛び散ったような跡がついている。顔はマスクで覆われているが、生気の無い目がこちらを見つめている。男は医者なのだろう。
「今から大事なオペだ。邪魔者は出て行け」
医者はメスを手に大樹に近づいていく。
「一体何の手術をするんだ。この子は健康だ」
火鳥が一歩前に出る。
「この子を解剖し、心臓を取り出す。私の研究は医学の進歩に貢献できるのだ。それが御国のためにもなる」
「ここは軍の病院だから空爆で狙われた。命を落とした医者も多いと聞くよ」
智也が呟く。真里も不気味な気配に怯えている。
「やめろ、このヤブ医者!」
水瀬が叫んだ。背中からドスを取り出し、大樹を拘束するベルトを切り、小さな体を抱きかかえた。
「ガキを連れて逃げろ」
大樹を智也に託し、真里と逃げるよう促す。智也は頷き、真里とともに走り出す。
「このチンピラ風情が」
医者は血走った目を見開いて激昂した。
「残念ながらあんたの技術はもう時代遅れだよ。今は検査でたいていのことは分かる」
火鳥の言葉に医者は動揺し始めた。
「いい加減なことを言うな」
医者の背後に置かれたメスや針が宙に浮く。凶器となったそれがこちらへ飛来した。水瀬がドスでそれを弾き飛ばす。
「だいたい、もう戦争は終わった」
火鳥がコートのポケットに丸めて持っていたパンフレットを投げる。医者はそれを手にとり、食い入るように見つめている。
「そんな馬鹿な、こんなのは嘘だ、まやかしだ」
医者はぶつぶつとくぐもった声で呟き続ける。
「今のうちだ、行くぞ」
火鳥と水瀬は手術室を飛び出し、出口へ向けて走る。階段を駆け上がりながら振り向けば、手術室の電気は消えていた。
旧病棟を出ると、智也と真里の姿があった。そして、大樹が涙で顔を濡らした両親に抱きすくめられていた。
「遙兄、大丈夫だった?ヒロシも」
真里は2人が無事だったことに大きなため息をついて安堵した。
「ヒロシって、お前なあ、まあ心配してもらえただけマシか」
「でもカッコよかったよ、ヒロシ」
真里に背中を叩かれて、水瀬は小さく舌打ちをした。
「さて、では成功報酬はこちらへよろしくどうぞ」
火鳥がにこやかに名刺を渡す。
「お前が誘拐してこんな場所に隠したんじゃないのか」
息子の無事が分かり、安心した父親が文句を言い始めた。母親は困った表情を浮かべている。
「ぼく、お兄ちゃんたちに助けてもらったよ」
大樹が顔を上げる。両親は大樹の顔を見つめた。
「茜音ちゃんを助けたくて、怖い先生についていっちゃったんだ、ごめんね」
大樹は俯いて涙をこぼした。
「こいつも寂しい想いをしてたんじゃないのか、もう少し構ってやったらどうだよ」
水瀬の言葉に、両親は黙り込むしかなかった。火鳥たちに頭を下げ、帰っていった。ふと、旧病棟の院長室を見れば、白衣の男が青白い顔でじっとこちらを見つめている。
「そう言えば、あいつに何を渡したんだ?」
火鳥があの医者に何かパンフレットを投げたのを見た。それで医者の気を逸らし、逃げることができたのだ。
「ああ、これだ。2部取っておいて良かったよ」
火鳥が見せたのは、人間ドックのパンフレットだった。表紙には大きく2020年版と書いてある。中にはCTやMRIを使った高度な検査の案内が掲載されていた。最先端の検査機器の写真や撮影された画像に、戦後を知らない医者はさぞ驚いたに違いない。
「お前にやるよ、健康診断くらい受けた方がいいぞ」
水瀬はヤクザで、組からの福利厚生はない。全く関心が無かったが、水瀬はそれを丸めてポケットにしまった。
火鳥は廃病院の概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込んだ。叔父の退院日に真里と智也と共に大学病院を訪ねた火鳥は、中庭で談笑する大樹と小さな妹、両親を見たことを付け加えておいた。
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