廃病院に潜む影

第1話

 木島の親父さんが入院したと聞き、火鳥遙は隣町にある大学病院へ見舞いにやってきた。胃がんが見つかったという。木島は母の弟で、火鳥の叔父にあたり、早くに母を亡くした火鳥の面倒を見てくれた恩人だ。子供の頃からの縁もあり、従兄弟にあたる真里と智也はよく火鳥探偵社に遊びにやってくる。

昨日、真里が不安そうな顔で父の入院を知らせてくれた。どうせ閑古鳥の鳴く事務所だ、午後は休業にして叔父病院へ向かったのだった。


 8年来の愛車のスクーターを駐輪場に停める。大きな病院だ。患者や家族がひっきりなしに行き交っている。足早に横を通りすぎた中年女性が花を持っていた。

そういえば、何も持ってこなかったなと思い立ち、火鳥は売店に立ち寄る。お見舞いの定番は花だが、きっと邪魔になるだろう。叔父の好きな果物でも、と思ったが胃がんとなれば食事制限があるかもしれない。暇つぶしに本か、しかし作家の叔父が読み応えのありそうな本は見当たらなかった。

結局、病室へは手ぶらで訪問することになった。12階でエレベーターを降り、ナースステーションで部屋番号を教えてもらう。


「遙兄、来てくれたんだ」

 叔父の部屋は個室だった。思ったより広々としている。見舞いに来ていた真里と智也が手を振る。2人の表情が明るいので、病状はさほど深刻ではないのかもしれない。

「叔父さん、具合はどうですか」

 ベッドに横たわっていた叔父は火鳥の顔を見て、起き上がった。口髭を蓄えたロマンスグレーだ。真里はファザコンの気があるが、分かる気がする。

「ああ、自覚症状はないんだ。人間ドックでポリープが見つかってね。早期の胃がんらしい。開腹せずに内視鏡で取れるそうだよ」

 入院期間も短いらしい。火鳥はそれを聞いて安心した。


「遙も自営業だろう、健康診断は受けておいた方がいいぞ。いつまでも若くないんだからな」

 逆に釘を刺されてしまった。もう退院日も決まっているし、大事ではないから見舞いはいい、と言われた。

 真里にここからの眺めが良いと窓際に案内された。12階の窓からは町が一望できる。叔父もここから景色を眺めていると気が紛れると言っていた。この病院は戦前からの歴史ある病院だが、老朽化のため建て直しを進めており、この病棟もここ数年で新しく建築されたという。


 白い綺麗な新病棟の向こうにある古びた2階建ての木造建築は、病院創設時の病棟なのだそうだ。灰色の壁にもとは明るい色だったと思われる、煤けた赤色の瓦が乗っている。そのうち取り壊されるらしい、と叔父が教えてくれた。


 真里と智也が1階のロビーまで見送りに来た。この病院は中庭がきれいだと真里が言う。病院内にあるカフェで飲み物を買い、中庭に出てみる。ウッドデッキにパラソルのついたテーブルが並んでいる。経過の良い患者はここで気分転換したり、家族と面会しているようだった。

 テーブルにつこうとしたそのとき、同時に椅子を引いた男がいる。

「あ、ヘタレヤクザ」

 真里が指さした先にはヤクザの水瀬博史が立っていた。手にはホットコーヒーを持っている。水瀬は火鳥を見て嫌そうな顔を向ける。火鳥といるとろくなことに巻き込まれないためだ。


「こんなところでまで会うとはな」

 結局、テーブルが空いていなかったので相席になった。水瀬は長身で、見た目は強面のヤクザだが、真里も智也も面識があるので、ごく自然に接している。

「どうした、心の病気か?」

 火鳥の言葉に水瀬はコーヒーを吹きそうになった。

「アホか、見舞いだ。若頭の八木が入院してるんだよ。尿路結石ってやつ?めちゃくちゃ痛いんだってな」

 ざまあみろ、と続けた。

お気に入りのキャバクラで飲んでいたときに急に激痛が走り、救急車でここへ運ばれたという。一応上司にあたるので仕方なく見舞いに来てみれば、どれほど痛かったのか繰り返し大仰に話をされ、さらにはあれを買ってこい、これを買ってこいと使いっ走りの憂き目に遭ったらしい。


「まったく、なんで俺がエロ雑誌を買ってこなきゃいけねえんだよ」

 真里の顔を見て、水瀬はあっと口を塞いだ。

「デリカシーの無い男ね」

 真里はあきれてフイと横を向いた。

 ふと、子供を探す親の声が聞こえる。繰り返し子供の名前を呼んで、探し回っているようだ。

「大樹、どこに行ったの?大樹」

 母親は焦って中庭を走り回っている。

「まったく、お前が目を離すからだ」

 向こうからやってきた父親が苛立ちながら母親を責めている。火鳥は立ち上がった。


「お子さんが迷子なんですね、探すのを手伝いましょう」

 突然の親切な申し出に、両親の顔が明るくなる。

「ありがとうございます」

「私は探偵をやっていまして、成功報酬で良いですよ」

 火鳥は営業スマイルを向ける。

「なに、金を取るのか・・・」

 一転して父親は不快な表情を露わにする。母親はわらにも縋りたい気持ちなのか、頼んでいいのでは、と父親の顔を見つめている。


「こいつは一応プロだ、ここにいる奴らの無償の親切なんて頼りにならねえんだから頼んでみてもいいんじゃねえか。それが嫌なら警察でも呼べばいい」

 さきほどから子供を探す必死の親の声をここにいる誰もが無視していた。

「警察なんて・・・」

 そこまで話を大きくするつもりはないようだ。行こう、と父親は母親の手を引いて行ってしまった。


「ヤクザが出たら脅しだろ」

 席に戻った火鳥がぼそりと呟く。

「援護射撃してやったのに、なんだよ。しかし、あそこで金取るって、ヤクザよりひでえな」

 水瀬は呆れている。

「あの夫婦は苛立ってケンカしながら子供を探している。手伝いたくてもトラブルになりそうで誰も声をかけたくないのさ」

 そのうち、向こうから頼み込んでくると火鳥はニヤリと笑った。


 数分後、父親と母親が人手がある方がいいので手伝って欲しいと、火鳥に頭を下げてきた。

「大樹君は何才ですか?写真はありますか?名前を呼んで分かります?」

 火鳥は的確に聞き取りをしている。

「今日は大樹の妹のお見舞いに来たんです。難病を患っていて、何度も入院を繰り返していまして・・・」

 母親は涙目になる。さすがに先ほどまで苛立っていた父親も、その肩を優しく抱いた。

「大樹君は何度もこの病院にやってきているんですね」

「そうです。この庭でよく一人で遊んでいました」


 夫婦と別れて、火鳥がやってきたのは中庭を抜けた先にある旧病棟だった。沈む太陽が古びた建物を不気味に照らしている。

「俺、帰るわ」

 水瀬は嫌な予感がして踵を返す。

「ちょっと、ここまで来て何で帰るのよ」

 真里に押し戻された。

「なかなかいい雰囲気だね、ゾクゾクする」

 廃墟マニアでもある智也はオタク的探究心に燃えている。火鳥は旧病棟の入り口のドアに手をかけた。ステンドグラスが嵌め込まれた古びたドアはすんなりと開いた。

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