第2話

 火鳥は怯える水瀬を無言で羽交い締めにした。

「おい、何しやがる」

 恐怖が限界に達している水瀬が火鳥に怒鳴る。火鳥はヒョロいくせにこういう時だけ意外と力が強い。

「お前が近づけば何か分かるかもしれない」

 羽交い締めしたまま刀を置いたテーブルに水瀬をひきずっていく。

「本気か火鳥、うお、やめろ!信じられねえ!」

 水瀬を刀に近づけるとまた刀身に血がにじみ始める。水瀬の恐怖の絶叫が事務所に響き渡った。全力で火鳥を振り切った水瀬はその頭を思い切り平手で叩いた。


「ヤクザがカタギに手を上げていいと思っているのか」

 憮然とした表情で火鳥が水瀬に文句を言う。

「お前の所業の方がよっぽどヤクザだろうが」

 水瀬はまだ部屋の端に張り付いて額から脂汗を垂らしている。火鳥は仕方なく刀を鞘に収めた。

「ほれ、もう大丈夫だ」

 火鳥は水瀬を落ち着かせるためにコーヒーを淹れ始める。


「しかし、なんだこれ呪いの刀か」

 水瀬はコーヒーを飲んで落ち着いてきた様子だ。テーブルの端に立てかけた黒い鞘の刀をチラリと横目で見る。

「まあ、そんなところだろうな。お前の組長がこれを買っておかしくなった。それで刀を調べて欲しいと娘から依頼があった」

「ふうん、そういうことか」

 火鳥が刀を手にする。水瀬が思いきり引く。

「昔から妖刀と呼ばれる刀は存在する。有名なのは妖刀村正だ。徳川家康の祖父や父が謀反により殺害された、その時の刀が村正。家康自身も村正により負傷している。村正は徳川家に取って血塗られた刀となり、それが妖刀と呼ばれる所以だ」

 火鳥の話を聞いた水瀬は思いきり顔をしかめている。


「そんなの捨てろよ」

「お前の組長が床の間に飾ってた刀だぞ、責任取れるのか」

 水瀬は肩を竦めてコーヒーを啜る。

「だが、村正とは一振りの刀じゃない。三重県桑名市を拠点とする刀匠の作品の総称だ。戦国時代にその斬れ味が評価され、多用されていたらしい。つまりは汎用品ということだな」

 火鳥の言葉に水瀬は緊張が解けてソファに脱力した。

「なんだ、それなら大量に出回っている刀で身内が斬られたってだけじゃねえか」

 そういうことになる。


「怖くないだろ、だからほらこれ」

 火鳥が再び刀をテーブルに置く。

「いやこの流れおかしいだろ!こいつはさっき血がしみ出したり煙が出たりしてた完全にヤバい刀じゃねえか」

 水瀬に持たせて何か探ろうとした火鳥はその目論みが外れ、小さく舌打ちをした。

「そうだな、お前が気が触れていきなり斬られてもシャレにならないからな」

 火鳥は素直に諦めた。

「けど、オヤジのことだからな・・・」

 絶対に関わりたくは無いが水瀬も気にはなるようだ。オヤジといっても組長の神原のことだ。

「俺は明日、これを売っていた骨董店に行ってみる」

「仕方ねえ、付き合ってやるか」

 水瀬は渋い顔でコーヒーを飲み干した。


 翌日、事務所にやってきた水瀬と共に火鳥は駅裏の骨董店を訪れた。楕円形の杉の木の看板に“綺縁堂“と書いてある。店先には盗難に遭ってもさして気にならないようなガラクタが並ぶ。くすんだショーケースの向こうには刀や鎧など戦国時代の武具が雑多に展示されていた。

 古びた格子扉を開けて店内に入ると、埃っぽい空気にかびの生えた木の匂いが鼻をついた。ストーブの熱気が籠もって湿度が高い。火鳥の眼鏡は一気に曇った。

「いらっしゃい」

 愛想の無い老店主が店の奥からこちらに顔だけ向けて声をかける。コートのポケットに手を突っ込んだ水瀬は店内を怪訝な顔で見渡す。古い西洋人形の青い目と視線がぶつかって、思わず目を逸らした。


「この刀のこと、教えてもらえませんか」

 火鳥が用件を切り出す。店主は火鳥が長筒から取り出した黒い鞘の刀を見て、面倒くさそうに目を細めた。

「そんなものは知らんな。古い刀は何本も扱っとる」

 知らないはずはない。刀を売るのは手間がかかる。これを神原組長が購入したのは1週間も前のことではない。


「おい、ジジイ。この刀のおかげで持ち主がおかしくなっちまったんだよ。正直に言え」

 水瀬が老店主に凄む。その眼光に老店主は怯えた表情で態度を変えた。

「そ、その刀は数日前に初老の男が買っていった」

 ヤクザの親分と知っていて売りやがって、火鳥は小さく舌打ちをする。

「その刀は何故か、売れてもしばらくすると戻ってくる。家族が怖くなって持ち込むことが多い。だが、そんなものは古物を扱っていればよくある話だ。刀なら余計に因縁があるんだろうな」

 はげ上がった頭のちょび髭の店主は半分ヤケクソだ。

「鑑定書を見たが、ごく普通の江戸時代の量産品のようだ。他に情報はないのか」

 老店主は首を振った。刀の銘は削り取られており、それで価値が下がったという。だが、刀身を見ればその見事な波紋は美術品としての価値が高いということだった。


「役に立たなかったな」

 火鳥と水瀬は店を出る。おそらく曰く付きなのだろう、というぼんやりとした情報しか得られなかった。

火鳥探偵社のある雑居ビル1階の中華料理店“揚子江”で昼飯にした。今日のランチはもやしラーメンと炒飯のセットだ。あんかけのもやしは良い味がついている。定番の人気メニューでもあった。

火鳥は水瀬が肩に少女やじいさんの霊をしょってきたことは黙っておいた。きっと無害だろう。本人はすこぶる怖がりの上に鈍感だが、見えてはいけないものを呼び寄せてしまう体質らしい。

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