妖刀村雨の怪

第1話

 雑居ビル3階の古びた事務所にキーボードを打つ音が響く。火鳥探偵社の主、火鳥遙の本業は探偵だが、このご時世に個人探偵など流行るはずもなく、事務所はいつも閑古鳥が鳴いている。趣味も兼ねた物書きで日銭を稼いでおり、この日は1本1000円にもならないブログ記事を量産していた。

 ダイエット、健康食品、コスメ、正直興味がない素材だが多少なりとも実入りがある。文章を書くのは昔から得意だった。無の心で商品を褒める。褒めるポイントも心得ている。そして記事作成のスピードも早い。この副業は自分に向いているのだろう。


 一段落ついたところで火鳥は一つ伸びをする。扉に人影が映った。火鳥はレトロな革張りの椅子から立ち上がる。ノックの後、扉が開いた。従妹の木島真里だ。高校生の彼女は学校帰りに時々、この事務所へ立ち寄る。火鳥はもうそんな時間か、と壁の時計を見る。

「遙兄、ちょっと相談があるんだけど」

 真里の背後に同じ制服の女子高生が立っていた。礼儀正しく頭を下げる。どこかで見覚えのある顔だ。

「まあ座って」

 火鳥はマグカップを3つ用意してコーヒーを湧かし始めた。


「あ、君は神原組の娘さんか」

 唐突に思い出した火鳥が女子高生を振り返る。

「神原美鈴です、この間はありがとうございました」

 美鈴は神原組組長の娘だ。以前、鬼首神社の呪いから間一髪助けたことがある。実際に助けたのは神原組のヘタレヤクザ、水瀬博史だったが。真里の友人とは、しみじみ世間は狭い。 

火鳥はドリップしたコーヒーをテーブルに置いた。冷蔵庫に買っておいたシュークリームの箱を開けて置く。真里は嬉しそうにシュークリームにかぶりつく。


「美鈴のお父さんがね、これを買ったんだって」

 美鈴が大判ポスターを入れる長いケースを取り出した。蓋を開けて中から出てきたのは一振りの日本刀だった。

「骨董店を通りかかったときにひと目で気に入って、自宅の床の間に飾るんだと即購入したそうなんです」

 腕組みをした火鳥はヤクザの親分に簡単に日本刀を売るような平和ボケした日本に甚だ疑問を感じて、神妙な顔をしている。

「でも、これを床の間に飾ってから父が奇妙な行動を取るようになって」

 美鈴は父を心配しているのか、目を伏せて小さな唇を噛んでいる。


「夜中に、刀を持って裸足で庭先を行き来している姿を見たんです」

 それは気が触れているな、と火鳥は思ったが、さすがに口にしない。

「私怖くて、しばらく様子を見守っていたらそのまま家に入って刀は床の間に、父は何事も無かったかのようにそのまま寝てしまいました」

 そんな奇行が3日ほど続き、どうにも不安で真里の勧めでここへやってきたらしい。

「どう思う?遙兄」

 火鳥は刀を手にしてみる。黒色の鞘から刀身を抜くと、美しい波紋が蛍光灯を反射して輝いている。


「鑑定書はあるのかな」

黒い鞘や赤い組紐は新しいが、刀身はそれなりに歴史があるもののようだ。美鈴はカバンから書類を取り出した。革張りの手帳サイズのケースに鑑定書が挟んであった。

「江戸時代か」

 火鳥は呟く。何か曰くがついてもおかしくない経年だ。

「お父さんは精神的に不安定とか、そういうことは無い?」

「はい、父は厳格な人で仕事に誇りを持って、それを生きがいにしています」

 美鈴はまっすぐに火鳥の目を見て答える。

「君のお父さんは・・・」

 ヤクザだよな、とツッコミを入れそうになったが美鈴の真剣な表情を見て、火鳥は思いとどまった。


「刀を手にしたのが嬉しくて庭で素振りをしていたとか」

「いえ、嬉しそうに手入れをしてはいましたが、夜中の庭にいたときはまるで徘徊しているような、刀を手にして何をするでもなくぼんやりとした表情でした」

 何かに取り憑かれているようだった、と美鈴は言う。

「この刀のこと、調べてもらえませんか」

 火鳥は首をかしげた。骨董品は専門外だ。しかもヤクザの組長の夢遊病など、正直首を突っ込みたくはない。正面に座る真里が火鳥にお願い、と手を合わせている。


「おいくらでしょうか、依頼金はお支払いします」

 バイト代で何とか、と言う美鈴の健気な気持ちに火鳥はため息をついた。

「いや、お役に立てないかもしれないし、お金のことはいい。これ預かっていいのかな?」

 そんな怪しい刀を置いておきたくはないが、突き返すのも忍びなかった。

「はい、父には適当にごまかしておきます」

 おそらく、神原組の組長も娘には甘いのだろう。


 刀を購入した骨董店の場所を聞き、真里と美鈴を見送った。それから数分もしないうちに事務所の扉を叩く者がいた。黒いスーツの長身のシルエット、水瀬だ。

「よう、さっきのうちの組長の娘じゃねえか」

 ズカズカと踏み込んできて、ソファに腰を下ろす。またコーヒーをたかりにきたのだろう。

「そうみたいだな、何しに来た」

 火鳥はテーブルのカップを片付ける。

「コーヒー淹れてくれよ」

 そう言いながら水瀬はテーブルに置かれた日本刀に目をつけた。

「お、刀か」

 水瀬は刀を手に取り、鞘を抜いた。

「へえ、本物かこれ。カッコいいじゃん・・・ん、なんだ」



 水瀬の手にした刀の波紋に血がにじみ始めた。

「ひえっ、なんだこれ誰か斬った後か?」

 水瀬は驚いて刀を手放す。血は刀身に徐々に広がっていく。そして黒い霧が立ち上り始めた。火鳥はその様子を冷静に観察している。

「な、なんだこれおっかねえ」

 水瀬は怯えてソファから飛び退いた。水瀬が離れると刀の黒い霧は薄れていき、血の色もだんだんと消えていく。

「やはり、お前は霊媒体質なんだろうな。刀に取り憑いた何かが姿を現したようだ」

「お前、なんでそんなに落ち着いていられるんだよ、血が、血が浮き出て、煙まで、何だよこれ」

 扉まで逃げて行った半泣きのヘタレヤクザに火鳥は歩み寄る。

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