第3話

「おい、そこはもうちょっとじわじわ開けるもんだろ」

 驚いた水瀬がツッコミを入れる。智也も火鳥の豪胆さに唖然としている。

 火鳥は気にも留めずに中へ足を踏み入れる。

「お邪魔します」

 一応、礼儀正しく挨拶をする。靴箱には無数の靴が並んでいた。これだけの人間がここにいるのだろうか。火鳥は靴を脱いで迷い家に上がる。仕方なく水瀬と智也も後に続いた。


 目の前には温かい囲炉裏があった。人影はない。先ほどこの家に入っていったサラリーマンはどこに行ったのだろう。壁際には黒木の立派なタンスが置いてある。智也の話通り、豊かな家のようだ。

 襖の向こうに部屋があるようだ。火鳥は躊躇いもせず襖を開けた。

「うわっおっかねえ・・・こいつら何してやがる」

 水瀬が目の前に広がる光景を見て怯えている。奥行きの見えない畳の部屋に長いテーブルが置かれ、向かい合わせで座布団の上に等間隔に人が座っている。総勢20人、30人はいるか。玄関の靴を思い出す。若者もいれば、中年、老人、男女取り混ぜて属性に規則性は見いだせないが、虚ろな目をしてブツブツ何やら呟いている。


「この人たち、生きて・・・るのかな」

 智也がぼそりと呟く。彼らは誰かと会話しているわけでなく、ただ虚空に向かって話しかけている。その顔は恍惚としていた。火鳥が先ほどのサラリーマンを見つけ、背後から近づいていく。

「・・・いやあ、そんなことはないですよ。ははは、そんなに褒められると困りますな・・・」

 嬉しそうに笑いながらそんなことを呟いている。他の人間の言葉にも似た傾向があった。

「私って、そんなに綺麗ですか。まあ嬉しいわ・・・」

「お父さんは世界一だぞ、よしだっこしてやろう」

「ワシがいないと困るか、そうか、仕方ないのう・・・」


「こいつらみんな寝ぼけてやがる」

 水瀬が呟く。口は悪いが、確かにその通りだ。ここに居るものは楽しい夢を見ているのだ。おそらく、現実では真逆で、虐げられてきたのだろう。だから、ここに呼ばれた。

「あれは依頼人の夫だ」

 火鳥はうだつの上がらない顔の依頼人の夫を見つけた。彼を連れて帰れば報酬を得られる。正座して恍惚とした人たちの背後を抜けて、捜索人の肩を叩く。

「帰りましょう、奥さんが心配していますよ」

 火鳥の声は捜索人には届かない。首をかしげる仕草をして、また前を向いて幸せそうな顔でつぶやき始めた。裏を返せば、うるさい義父母と妻の尻に敷かれ、子供にも馬鹿にされ、という日常が思い浮かぶような内容だ。


「水瀬、こいつを引っ張って帰るぞ」

 火鳥が水瀬を呼ぶ。

「何で俺が」

「こいつを連れ戻さないと報酬がもらえない」

「知るか」

 低レベルの押し問答に智也は呆れている。火鳥は無理矢理捜索人を立ち上がらせた。そして玄関の方向へ向かって引き摺っていく。部屋の敷居を越えようとしたそのとき、ざわざわとした呟きが一斉に止んだ。


「ひっ」

 水瀬が驚いて目を見開く。座敷に並んで正座をしていた男女がこちらを向いている。

「何故出て行くんだ」

「ここにいれば幸せだ」

「ずっとここに居よう」

 虚ろな目で囁き始める。

「こんな生ぬるい夢をただ見続けるなんて、悪夢でしかない」

 火鳥が言い返す。

「現実は辛い、それでもしがみついて生きる。それが人間だろ」

 水瀬が叫んだ。座敷にいた人間がすっと立ち上がる。手を伸ばし、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

「やばい、逃げよう」

 火鳥は捜索人を引き摺る。中肉中背だが、無力化した男一人を引っ張るのは難しい。

「しっかりしろ、火鳥は足、智也も足、俺は頭だ」

 水瀬の号令で捜索人を持ち上げた。玄関へ向けて走る。


 水瀬は玄関の扉に手をかける。扉は固く閉ざされている。ただの木の横開きの扉で何の仕掛けもないようだが。

「くそ、開かない」

 火鳥が近くにあった箒で扉を叩く。へなちょこで力が入っていない。

「どけ」

 水瀬が薪の側にあった斧を手にした。力一杯振り下ろす。扉はメリッと音を立て切り込みが入った。水瀬は斧を振るう。半壊した扉を飛び蹴りで吹き飛ばした。

 背後にはゾンビのような人たちが迫っている。

「早く!」


 智也が捜索人の足を持つ。火鳥と水瀬で背広の肩を引っ張り、玄関の外へ引きずり出した。それに続き、波のように人が押し寄せてくる。水瀬はコートの端を掴んだ男の顔を思い切り殴る。見れば、若頭の八木だった。

「げっ、カシラなんでここに」

 水瀬が叫ぶ。八木は派手にぶっ倒れた。玄関を出た人たちは次々に正気に戻っていく。

「迷い家が、消えていく」

 智也が指さす先、そこにあった古民家が幻の様に消えてゆくのが見えた。そこには廃材が脇に積まれたただの空き地だった。振り返ると道祖神も無くなっていた。


 星空が頭上に輝いている。皆、呆然としながらそれぞれの家に戻っていく。

「現実に戻ることが、彼らにとって幸せだったのかな」

 智也が呟く。

「それでも生きていくしかないんだよ」

 水瀬が横に立って夜空を見上げた。背後からげんこつが飛んでくる。

「ヒロシてめえ、俺を殴りやがったな」

 恐ろしい剣幕の八木が立っている。

「カシラ・・・いやこれには訳が・・・」

 水瀬は慌てて逃げだし、八木はそれを追いかけて消えていった。


 ―翌日

 火鳥探偵社の応接セットで火鳥は依頼人と向き合っていた。

「そうですか、離婚を」

「ええ、主人が帰ってきたんですけど、すっかり人が変わって」

 依頼人はハンカチで涙を拭う。これまで何も言い返したことがない、大人しい人だったのに、と続けた。

「彼の話もよく聞いてあげたらどうです」

依頼人はそうですね、と呟いた。捜索の料金です、と封筒をテーブルに置き、依頼人は事務所を出て行った。


 入れ替わりに智也が顔を出す。

「遙兄、昨日はすごかったね」

 迷い家での体験が忘れられないらしく、智也は興奮気味にまくしたてる。

「またあの水瀬ってヤクザと組むときは俺も呼んでよ」

 火鳥はまだ温かいお茶を淹れてテーブルに置く。

「あれ、その湯飲み、見たことない」

 智也が火鳥の手にした古ぼけた湯飲みをじっと見る。

「これな、あの家から拝借してきたんだよ」

「え・・・マジか」


 迷い家に運良く迷い込んだときは、その家の家具を持って帰るといいことがある、話にはそんな続きがある。火鳥は呆然とする智也の前で湯飲みでお茶を啜っている。

「遙兄、度胸あるなあ。あの状況でホントちゃっかりしてるよ」

「しかし、あの家は本当に何だったんだろうな。都会に現れることで、何かひずんでしまったのかもしれないな」

火鳥は迷い家の概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込んだ。

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