第2話
「道祖神は道ばたにいる神様だよ。村の内と外の境界や、三叉路なんかに石碑や石像として祀られているね。こんなふうに」
見渡せばここも三叉路だ。雑居ビルの敷地にひっそりと高さが膝くらいの石碑が建っている。智也は続ける。
「道祖神は昔なら村の守り神、近年では交通安全の神様として信仰されることが多いよ」
その道祖神は先端が丸い円柱状でところどころ苔むしている。文字が刻まれているようにも見えるが掠れていて読めない。この商店街も古くからある。いつからここに置かれているのだろう。
「村の中と外の境界、か」
火鳥は道祖神を見つめて何やら考えている。
「よう、どうした探偵」
振り向けば、ヘタレヤクザの水瀬だ。黒いスーツに赤の柄シャツ、黒のコートを羽織っている。場末の飲み屋街によく似合うなりだ。それもそのはず、これから場末の飲み屋街に用心棒に出向くのだろう。ドレスコードは一致しているということだ。
水瀬が近づいてくる。火鳥の足元の道祖神がぼんやりと白い光を放ち始めた。
「なんだこれ、しょぼいイルミネーションか」
水瀬が石造りの道祖神を覗き込む。電源などもちろんついていない。目の当たりにしているのは不可解な怪奇現象だ。本人はそれに気が付いていない。
「お前が近づいたら光り始めた」
火鳥の言葉に水瀬は顔を歪める。
「お前が近くにいると、やはり妙なことが起きるな」
火鳥は光る道祖神を見つめる。側にいる智也は水瀬と火鳥を交互に見比べてしきりに瞬きをしている。
「人を疫病神みたいに言うんじゃねえよ」
水瀬は不満げに吐き捨てる。
「この人がいつも話しているヤクザの」
智也はヘタレヤクザ、とは言わない。火鳥や真里から面白おかしく話を聞いていたが、実際に見れば長身で強面、さすが本業の迫力がある。
「お前は」
ポケットに手を突っ込んだ水瀬に顔を覗き込まれる。これがメンチを切るというやつか。智也は思わず背筋を伸ばす。
「遙兄の従兄弟で木島智也といいます。真里は妹です」
「へえ、あの生意気な女子高生の兄貴ね。礼儀正しいじゃねえか」
「おい、ちょっと付き合ってくれないか」
火鳥が水瀬を手招きする。
「俺はこれから大事な仕事があるんだよ」
水瀬は文句を言いながらタバコに火を点ける。火鳥に付き合うとろくなことがない。
「まだ用心棒が必要になる時間じゃないだろ」
水瀬は時計を見る。夕方6時を回ったところだ。それもそうだな、という素振りを見せてしまったのが運の尽きだった。火鳥は問答無用でダルそうにタバコを吹かす水瀬の腕を引いて、三叉路の中心に立つ。
「遙兄、あれ」
智也が指さした先にぼんやりと光るものがあった。道祖神だ。三叉路にあったものと同じように白い光を放っている。
「どこかに導こうというのか」
「行ってみよう、遙兄」
オカルトに興味津々な智也は顔を輝かせる。火鳥は頷く。
「じゃあな・・・って俺もかよ」
用心棒を依頼された店に向かおうと逆方向に歩き出した水瀬の腕を、火鳥が強引に引っ張っていく。
「次はどっちだ」
2つめの道祖神の側に火鳥と水瀬が立つ。智也が通りを覗き込む。雑居ビルの隙間、古びた屋台の並ぶ裏通り、どこにある。
「あそこだ」
火鳥が指さした先に川を渡る小さな太鼓橋があった。その欄干のすぐ側に道祖神があった。橋の道祖神に近づいていく。
「しかし、なんでこんな場所にランプがあるんだ?」
水瀬は道祖神のことを知らない。ランプの明かりを追っているとでも思っているようだ。
「道祖神がね、光るんですよ」
「は?」
興奮気味の智也に水瀬は頓狂な声を上げる。智也は道祖神が何かを説明し、なぜか水瀬と火鳥が近づけばそれが光り出すことをまくし立てた。
「なんだと、石が光るって・・・そんなの聞いたことねえよ、おっかねえ」
水瀬は青ざめて逃げだそうとするが、火鳥が腕を掴んで放さない。非力に見える火鳥のどこにこんな力があるのか、水瀬は観念した。智也は妹の真里が言っていたヘタレヤクザの意味をようやく理解した。
嫌がる水瀬を連れて橋を渡る。この先は繁華街から外れて民家やアパートが並ぶエリアだ。古くからある家が多く、軒同士が密接している。狭い路地を次の道祖神を探して進む。ブロック塀から黒い野良猫が突然飛び降りてきて、水瀬が甲高い悲鳴を上げた。
古い街灯が暗い路地を照らしている。人通りが少なくなってきた。
「あれ、なんだろう」
目の前に白い霧が漂い始めた。だんだん濃くなっていく。
「おいおい、不気味だな、何が起きるんだ」
水瀬は辺りを見回して怯えている。
背後から靴音が響いてきた。振り返ればグレーのスーツを着たサラリーマンだ。眼鏡をかけて背筋を真っ直ぐに伸ばし、こちらに近づいてくる。サラリーマンは3人の横を通り抜けて霧の中へ突き進む。
「ついて行ってみよう」
火鳥はサラリーマンの後を追う。霧の中にほの白い明かりが見えた。道祖神だ。2体並んでいる。サラリーマンは道祖神の間を抜けてその先へ進む。
「家だ・・・家がある」
目の前に家が現れた。ここに来るまでの家も昭和の佇まいではあったが、目の前にある家はもっと古い。古民家と呼んでいいものだ。
サラリーマンは玄関を開け、吸い込まれるように中へ消えて行った。智也は息を呑む。
「これは、迷い家だ」
聞き慣れない言葉に、火鳥と水瀬は智也の顔を見つめる。
「迷い家って何だよ」
水瀬が目の前の奇妙な古民家から目線を逸らさずに尋ねる。
「迷い家は柳田国男の“遠野物語”に登場するんだ。山奥に迷い込んだ村人が一軒の家を見つける。家には立派な門があり、庭には花が咲いて、牛や鶏がいる。家に入れば料理が並んで、温かい火鉢まである」
智也は半分夢心地で説明を続ける。
「その豊かな家は迷い込んだ人をもてなそうとしているんだ。ただし、一度その家を見たものは二度とみつけることができない。帰ってきた者に話を聞いて大勢が山に分け入ったが、迷い家は見つからなかったそうだよ」
「そう聞けば、無害なものに見えるがどうだろうな」
火鳥は冷静に考えている。水瀬は怯えていたが、何も起きないことにやや落ち着きを取り戻したようだ。火鳥は玄関の扉に手をかける。
「おい、入るのかよ」
水瀬が慌てて止める。智也も不安そうな顔で火鳥を見る。
「消えた依頼人がいるかもしれない」
「えっ」
火鳥は玄関の扉を勢いよく開けた。
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