道祖神のある道

第1話

 目の前に座る見た目40代の女性は品の良いベージュのワンピースに黒のカーディガンを纏っている。脇に置いたブランドバッグはCOACH。行儀よく脚を揃えて膝に手を置いて、その眉間には神経質そうな皺が刻まれている。

 火鳥探偵社の久々の来客だ。火鳥は急須で緑茶を淹れ、応接セットのテーブルに置いた。こういう女性からは浮気調査が多い。この鄙びた探偵事務所なら誰にも知られずに依頼ができると考えるのだろう。


「主人が突然消えたんです」

 女性が茶を一口飲み、話を始める。火鳥は依頼人が気の済むまで話を聞くようにしている。女性は続ける。

「1週間になります。会社を遅くに出て、これから帰るというLINEが届きました。でも、その日主人は帰っては来なかった。翌日出社もしておらず、2日が経って警察に被害届を出しました」

 警察の捜査に進展はなく、同居の父母に内緒でここへやってきたらしい。


「旦那さんは何か悩みがありましたか?」

 火鳥が神妙な顔で尋ねる。女性は顎に手を添えて机の一角を見つめながら考えている。

「いえ、真面目な人で、浮気なんてとても」

 大体、パートナーはそう言う。だが、分かっていない。浮気とはそういうものだ。火鳥は家族構成や行動範囲を確認して依頼人の夫の写真を預かった。


「主人を見つけてください。よろしくお願いします」

 依頼人は丁寧にお辞儀をして、すりガラスのはまったドアを開ける。狭い踊り場に黒いスーツの背中が見えた。タバコの煙が立ち上っている。彼女はその脇を通り過ぎ。錆びた手すりに指を滑らせながら階段を降りていった。


「よう」

 黒スーツが振り返る。ヘタレヤクザの水瀬博史だ。1階の中華料理店で昼飯を食べたあとにコーヒーを飲みに来る。ここは喫茶店ではないのだが。火鳥は無言でドアを閉める。

「おいおい、待てよ。客がいるようだから気を遣ってクソ寒い中、外で待ってたってのによ」

 水瀬はずうずうしくドアを開けて入って来た。


「ここのコーヒーは美味い」

 ソファに脚を組んで座る水瀬は火鳥が淹れたコーヒーの香りを楽しみ、口に含む。火鳥は商店街のコーヒー専門店で厳選した豆を買って挽いている。自分が美味しいコーヒーを飲みたいからだ。そのためには手間を惜しまない。

「本当に暇だな、お前は」

 長身でガタイが良く、強面ヤクザの水瀬に火鳥はいつも不遜な態度を崩さない。だが、水瀬はこのクソ生意気な同世代の探偵を嫌いではないようだ。


「外で待つのも寒かったしよ、暇つぶしに2階の占い屋を覗いたんだ」

 本当に暇だな、と火鳥はぼやく。水瀬は気にせず続ける。

「そしたらよ、アラビア人みたいなコスプレしたのがいて俺を見るなり前世を占ってやるってさ」

 2階の占い店は女占い師が一人で経営している。時々、帰りが一緒になって挨拶をする程度の間柄だ。年齢は30代半ばくらいと見ている。民族衣装のようなチュニックにジーンズ、オリエンタルなお香の匂いを纏っていた。客が入っているのかどうかは知らないが、潰れずにやっているということはそれなりに口が上手いのだろう。


「俺の前世、なんだと思う」

 水瀬の言葉に火鳥は首をかしげる。正直、どうでもいい。大体、前世が分かったところで何になるというのだ。

「古代の神官だったんだとよ」

 中二病をくすぐるワードだ。水瀬は笑っている。面白いから占い料3000円を払ったと言った。勝手に占っておいて金を取るとはなかなかやる。

「古代の神官殿が今はヤクザか、落ちぶれたもんだな」

 火鳥は鼻で笑った。


 水瀬はコーヒーを飲み終えてあれこれ雑談をしたら満足したらしく、帰っていった。火鳥は依頼人の夫の行動パターンを確認する。会社から駅まで10分、そこから自宅は3駅。駅から商店街を抜けて自宅まで15分。自宅は高級住宅地のようだ。

 家族構成は依頼人と失踪した夫、子供は2人、子の祖父母は依頼人の父母だ。マスオさんというわけか。これはストレスが溜まりそうだ。


 火鳥は事務所を出て、ドアに鍵を閉める。階段を上がる足音が聞こえてきた。

「あ、遙兄、出掛けるの」

 従弟の木島智也だ。地元大学に通う大学3回生で、民俗学を専攻している。爽やかな好青年で身長もそこそこ高い。スポーツ系のサークルにでも所属していればモテるだろうに、本人はオタク気質で、休みの日はフィールドワークでどこまでも歩くと言っている


「これから仕事だよ」

「ついていってもいい?」

 智也は火鳥の探偵業に興味を持っている。こんなことを真似されても困るか、経験のうちだ。いいよ、と火鳥は答え一緒に階段を降りていく。

「消えた男の足跡を探す」

 ビルの裏路地を抜けて駅前に向かって歩き出す。

「お、いいね」

 智也は楽しそうだ。フィールドワークに通じるものがあるのだろう。そう言えば、大して運動はしていないが、智也はなかなかガタイがいい。


 まずは会社から駅の付近を歩いてみる。この辺は火鳥探偵社の最寄り駅でもあり、土地勘はある。駅の周辺はパチンコ店やレストラン、飲み屋街、南側のはずれはスナックなど場末感が出てくる。

「失踪した男は真面目で、帰りに飲んで帰るということも無かったようだ」

 いきつけの飲み屋がどこか、妻に言う程のことでもないだろうが。交友関係も無く、休日も子供と公園へ行くような過ごし方と聞いた。


 駅へ向かうスーツ姿のサラリーマンの胸に失踪した男の会社の社章がついているのを見つけた。火鳥は声をかける。

「あの、佐伯さんと同じ会社の方ですよね」

 火鳥の柔らかい物腰に、サラリーマンは釣られて愛想笑いを浮かべる。

「ああ、そうだよ」

「佐伯さんが急に出社しなくなったとか」

 友人だと偽り、佐伯について聞いた。佐伯が勤務していたのは30人ほどの小さな会社だ。経理を担当し、真面目な仕事ぶりで特に問題を起こしたことはない。飲みに誘っても家族が待っている、と帰ってしまうような人物だったという。


 礼を言ってサラリーマンと別れた。

「なんだかつかみ所がないね」

 隣で聞いていた智也がぼやく。

「そうだな、真面目なサラリーマンが突然の失踪か」

 日が暮れて周囲のネオンが光り始めた。


「そう言えば、智也はさっきから地面を見ていたな」

 商店街を歩き回っていたとき、智也が道ばたで時々地面を見つめていたのが火鳥は気になっていた。

「ああ、道祖神だよ」

「道祖神?」

 智也の言葉を火鳥は反芻する。

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