血塗られた肖像画

第1話

 学校帰りの木島真里は雑居ビル三階にある火鳥探偵社のドアを叩いた。通っている高校から駅までの通り道にあるこの探偵社は彼女の従兄、火鳥遙が一人で切り盛りしている。閑古鳥が鳴く事務所では事務員を雇う金もないといつもぼやいており、真里は学校帰りに立ち寄っては掃除や簡単な書類整理の手伝いをしていた。

 火鳥はぶっきらぼうだが、真里や彼女の大学生の兄の智也には優しい顔を見せる。ここに来れば、コーヒーにスイーツが出てきて楽しい話が聞けるので、つい気軽に立ち寄ってしまう。


 しかし、今日はそんな楽しい気分では無かった。開いてる、と火鳥の声が聞こえた。真里はドアの隙間から顔を覗かせる。火鳥はマホガニー製の事務机でキーボードを叩いていたが、その手を止めて立ち上がった。探偵業があまりに暇なので、二束三文のブログ記事で日銭を稼いでいるのだ。彼に取っては文筆は実益を兼ねた趣味らしい。


 真里は応接セットのソファに座る。今日は近所の商店街でいちご大福を買ってきた。コーヒーを淹れた火鳥もソファに腰掛ける。

「どうした。浮かない顔してるぞ」

「うん、相談があって」

 真里は上目遣いで火鳥を見る。火鳥はお、いちご大福かとひょいと手で摘まみ、もぐもぐと食べ始めた。


「駅の向こうの丘に人が住んでない洋館が建ってるの、知ってる?」

 火鳥は町の地理を思い浮かべる。玄武駅の北側は低い山になっており、坂の上には高級住宅街が並んでいる。

「その洋館の近くで若い女性がひどい貧血状態で見つかってるんだって。うちの生徒も被害に遭って、入院してる子がいる」

 警察も捜査を始めたが手がかりが無く、被害者は出続けているそうだ。死者は出ていないので新聞記事にはならないらしい。

「友達がその被害に遭ってね、原因を調べたいの」

「洋館か、なぜその付近で事件が起きるのか調べてみないとな。このいちご大福は依頼金の前払いってことか」

 そう言いながらも火鳥は事件に興味を持った様子だ。良かった、真里は嬉しそうにコーヒーを飲む。


「よう、コーヒーの良い匂いがしてるじゃねえか」

 ろくにノックもせずに入ってきたのは、ヤクザの水瀬博史だ。火鳥探偵社の事務所が入るこのテナントビルを地上げしようとやってきたが、火鳥にそれを阻止された。このビルの一階にある中華料理店がお気に入りで、昼飯を食べに来るのだが食後のコーヒーがない。コーヒー目当てにここに入り浸りにやってくるというパターンだ。


「真里ちゃんこんにちは」

 慣れ慣れしく真里に声をかけその隣にどかっと座り、足を組む。真里はわざとらしく咳払いをして、水瀬と距離を取って座り直した。

「遙兄、なんでこの人いつも来るの」

 真里が頬を膨らまして文句を言う。

「暇を持て余しているんだろう、ヤクザが暇ってことは街は平和なんだよ」

 火鳥の皮肉にも水瀬はどこ吹く風だ。火鳥は立ち上がり、コーヒーを湧かし始めた。


「俺の仕事は日が暮れてからなんだよ」

 水瀬はテーブルの上の大福を見つけ、ぽいっと口に放り込んだ。火鳥が湯気の立つコーヒーをテーブルに置く。

「あー、こいつ私のいちご大福食べた!」

 真里が水瀬を指さして叫ぶ。水瀬は思わず大福を喉につまらせて咽せた。

「あ、お前のか、悪かったな」

 女子高生の大福を奪ってしまったとあって、さすがに水瀬も悪いと思ったのか申し訳なさそうな顔をしている。


「食べたな、真里のいちご大福」

 火鳥が低い声で呟く。

「なんだよ、悪かったよ」

 水瀬は頭をかきながら気まずそうに唇をとがらせている。

「お前も真里の依頼を受けたことになる、これから付き合え」

「遙兄、この人ヤクザのくせに怖がりなのに大丈夫?」

 真里が心配している。水瀬が今何が起きているのか分からず、火鳥と真里の顔を見比べている。火鳥がニヤリと笑う。


 コーヒーを飲み終えた水瀬は、訳も聞かされず火鳥に連れられて坂の上の洋館の前に立っていた。

「おい、何だよおっかねえな。ここに何があるんだよ」

 古びた洋館は高い鉄柵に囲まれて、さながら牢獄のようだ。かつては白かったはずの灰色の壁が不気味にそびえ立つ。広い庭はすでに手入れする者がいなくなって久しいようで、雑草は伸び放題、干からびた池の中央に立つ壺を掲げた女性の彫像は緑色に苔むしている。

「まるでお化け屋敷じゃねえか」

 水瀬は身震いする。立ち入り禁止の看板が貼られている正面の柵にはチェーンがかけられており、開きそうにない。


 火鳥は館の周りを歩き始めた。東側の壁と柵の間に人がひとり通れる隙間が開いている。火鳥は隙間から敷地内に足を踏み入れた。文句を言いながら水瀬もついてくる。

「俺は夕方から場末のスナックで用心棒の仕事があるんだよ」

「客が酔っ払って暴れ始めるのは8時か9時くらいだろ、まだ時間はある」

 文句を言う水瀬を一瞥して火鳥は洋館の入り口に立つ。

「まあ、そりゃそうなんだけどよ。・・・お前ここに入る気か」

「そうだ」

 平然と不法侵入する気でいる火鳥に、水瀬は呆れている。


 凝った彫刻の施された観音開きのドアだ。火鳥はドアノブをまわしてみるが、鍵がかかっていた。

「開けられるか」

 水瀬に問う。水瀬はポケットに手をつっこんだままドアを蹴破った。バキッと音がしてドアが開け放たれた。誇りっぽい空気が吹き出して、二人は鼻と口を手で覆う。

 中は赤い絨毯が敷き詰められ、正面には大階段が見える。階段は15段ほど上がるとその先で左右に分かれて2階の廊下へ続いている。

「最近も誰か入った形跡があるな」

 火鳥が絨毯を見つめながら呟く。赤い絨毯には靴の後が残されていた。それも複数人のものだ。


「うわ、なんだ不気味だなあの絵」

 水瀬が正面を見上げて怯えている。見れば、階段の踊り場に大きな肖像画が飾られていた。ヨーロッパ風のドレスを着た女の絵だ。ぱっちりと見開かれた目、鼻筋が通っており厚みのある赤い唇は美人と言える顔立ちだ。しかし、その目に優しげな光はなく、妙な力があり見る者に威圧感を抱かせる。

「この女の絵、どこかで見たような気がするな」

 火鳥が顎に手を当てて考えている。割れた窓ガラスから西日が漏れ、女の絵を照らしている。赤く染まる絵は不気味なオーラを纏っているように思えた。

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