第3話
石段を登り切ると、そこには青色のジャージ姿の男が待ち受けていた。よく来たな、とすぐに本堂に案内された。本堂の扉を開けると、ジャージを着た信者たちがあぐらをかいてぶつぶつと何やら唱えながら頭を上下させている。本堂からは異国の呪文のような意味不明なBGMが聞こえてくる。エスニックなお香の匂いが鼻をついた。
「おい、これ完全にヤバいぞ」
水瀬が火鳥に耳打ちする。本堂には30人以上の若者から老人が男女取り混ぜ座っていた。火鳥は依頼人の息子がこの中にいると確信する。
「本来ですと、この衣を着ていただくようになりますが、時間がもったいないのでそのままこちらへ」
ここの信者たちが着ているありがたい衣、ジャージの上下だが3万円の寄付が必要なのだという。
「ヤクザよりえげつねえ商売してやがる」
水瀬はぼやく。火鳥は本堂を見回す。太い柱の影に屈強な男が立っている。男のジャージは赤色だ。冠位十二階のように色でランク分けでもしているのだろうか。すぐにでも依頼人の息子を連れて帰りたいが、見張りに掴まれば面倒だ。今は大人しく様子を観察しることにした。
「念じよ、お前たちの願いは叶う」
正面中央にいる男が叫んだ。ドレッドヘアに偏光サングラス、片方の肩から掛けた緑色の布は東南アジアの民族衣装のようだ。首から大きな数珠をいくつも下げている。
「お前のところの組長はこんなのに騙されているのか、御愁傷様だな」
少しも御愁傷様と思っていない火鳥に、水瀬は舌打ちをした。確かに、なぜ組長はこんな奴らに騙されているのか。水瀬も納得がいかなかった。小さな神原組をそれなりに堅実に守っている男だ。そんな男がこんな胡散臭い宗教に易々と騙されるとは。
あほらしいが、見よう見まねで修行とやらに付き合った。水瀬はあぐらをかいて半分眠りこけていたが、火鳥は横で腹筋やストレッチをしていた。筋トレは日課だというが、その割にひ弱なのが不思議だ。
夕食は麦飯に漬物、具がほとんどない味噌汁だ。箸でかき混ぜたらわかめが一枚浮いてきた。これでは栄養が偏ってしまう。
緑色のジャージを着た信者が等間隔に整列して食事をする姿は異様だ。前の方を覗き込むと、ジャージの色が黄色になっていた。上級信者なのだろう、お膳の内容が少しマシのように思える。
夜は本堂に並べたせんべいぶとんに凍えながら眠る。共同生活のサイクルはこのような感じらしい。こうやってここに閉じ込め、意識を朦朧とさせて信者を操っているのだろう。
「おい、孝宏くん」
暗闇の中、火鳥がそっと本堂の端で眠る若者に声をかけた。依頼人が持ってきた写真の高校生だ。見比べると少し痩せているが、ここの食事事情では仕方がない。
「誰ですか、あなたは」
孝宏と呼ばれた若者は怪訝な顔を向ける。
「君の両親に依頼されてきた。すぐにここから出よう」
「嫌です」
両親、という言葉を聞き、孝宏は瞬時に拒否反応を示した。
「君を連れて帰らないと報酬がもらえない」
「知りませんよ、そんなの」
孝宏はまたふとんにもぐりこむ。火鳥は帰るぞ、と強引に腕を引く。
「何をしている」
騒ぎを聞きつけた見張りの赤ジャージが二人、本堂に乗り込んできた。赤いジャージは警護役、おそらく武闘派という分類なのだろう。二人ともガタイが良い。
「バカ野郎、気絶させて連れ出せば良かったのによ」
水瀬が火鳥の腕を掴んだ赤ジャージを殴る。ほのかに酒の匂いがした。こいつらだけ良いものを食べているようだ。
騒動が大きくなり、本堂の明かりがついた。赤ジャージの男たちが本堂に流れ込み、大声を上げて火鳥と水瀬の姿を探す。
「どうするよ」
水瀬が火鳥に耳打ちする。
「いなくなるのを待つしかないな」
敵は幽霊や化け物ではないので水瀬もビビりはしないが、火鳥は妙に肝が座っている。二人は本堂の正面の御本尊を隠した布の内側に潜んでいた。
「うっ」
水瀬が突然呻く。火鳥も同じ気配を感じ取った。何かとてつもなく邪悪なものがそこにある。それはあの壺から発せられる瘴気に似ていた。いや、もっと強烈な”悪意”だ。見れば、もともとあったご本尊の仏様の前に黒い塊が置いてある。
「なんだこれ」
「蛇、だな。蛇神ナーガだ」
黒いもやを纏うそれは蛇を従えた神の像だ。その禍々しさは近くにいれば頭痛を感じるほどだ。
「これだな、きっと」
不意に布が暴かれた。正面に教祖が立っている。火鳥はとっさに像を手にした。
「それに触るな、罰当たりめ」
教祖の目は血走っている。瞬きを忘れたその目はまるで蛇だ。戦闘員の赤ジャージがじりじりと距離を詰める。
「近くとこいつを落とすぞ」
水瀬が教祖に脅しをかける。火鳥は人質とばかりに像を高く掲げている。
「やめろ、バチ当たりめが」
教祖と赤ジャージはひどく動揺している。この像はそれほど大事なものなのだ。これを楯に依頼人の息子、孝宏を連れて逃げ出せばいい。流れはこちらにある。
水瀬は火鳥の方を見た。火鳥の像を持つ手がぶるぶる震えている。重さに耐えきれなくなったのか、火鳥はナーガ像をそのまま床に叩きつけた。
「えっ」
問答無用の仕打ちに水瀬は目を丸くする。教祖も赤ジャージも唖然としている。
「思ったより重かった」
火鳥はスッキリした表情で、平然と答えた。瘴気はいつの間にかかき消えていた。
***
翌朝、我に返った信者たちは寺を出て自宅へと帰っていった。あの蛇神ナーガの像は教祖が東南アジアへ旅行したときに、深い森に住む部族の村で土産に買ってきたものらしい。怪しげな呪術がかかっていたのだろう、教祖はこれまでのことを何も覚えていなかった。
「そういうわけだ、帰ろう」
火鳥の言葉に孝宏は力無く首を振る。ここにいても何にもならないというのに。
「帰りたくないのか」
水瀬の質問に首を縦に振った。
「お前が白い壺にかけた願いは何だ」
「…仲の良い家族が欲しい」
やや間があって孝宏は答える。
「バカ、そんなこと願うだけで変わるのか、お前が変えるんだろ」
火鳥は孝宏の目をじっと見つめた。
「俺んちなんて、お袋が病気で早くに死んでよ、親父は飲んだくれて借金まみれ。借金取り立てに来たヤクザを殴ったらスカウトされてこのザマだ」
水瀬は豪快に笑う。
「お前のところの親は頭いいんだろ、しっかり腹割って話せよ。それでダメなら諦めもつくってもんだろ」
水瀬は孝宏の背中をバシバシ叩いた。
火鳥が電話をすれば依頼人が慌てて車を飛ばしてきた。我が子との再会を躊躇いがちに喜んでいる。
「話をしたい」
「ああ、わかった。聞くよ」
孝宏は両親に連れられて帰っていった。
「俺たちも乗せてもらえば良かったな」
走り去る高級車を見送りながら水瀬がぼやく。
「親子水入らずの会話の邪魔はできないだろう」
古寺の前でタクシーはつかまりそうにない。火鳥は歩き出した。
「なあ、腹減ったな」
水瀬が火鳥の後を追う。
「あの蕎麦屋に行くか」
「それもいいな、今は何食っても美味いぜ」
水瀬が組事務所に戻ると、神棚にあった白い壺はかち割られており、もとの宮形に戻っていた。組長も何で騙されたのかよく覚えていないらしい。壺を売りつけた奴を見つけ出す、と息巻いていた。
「遥兄、それ何?」
火鳥探偵社に遊びにやってきた真里が雑然とした棚に不釣り合いな白い壺を見つけた。火鳥が依頼人からもういらないと譲り受けたのだ。
「30万の壺だよ」
壺からもう瘴気は感じられない。
「そういえば、あの子通学し始めたんだよ」
孝宏だ。引きこもりから立ち直れたのか、水瀬の一言が効いたのかもしれない。ヘタレヤクザもたまには役に立つ。
白い壷には花でも生けようか。火鳥は蛇聖教団の蛇神の概要をレポートにまとめ、Kファイルに綴じ込んだ。
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