第2話
二日後、火鳥探偵社に水瀬博史が慌ただしく押しかけてきた。
「またコーヒー飲みに来たのか」
マホガニー製の事務机でパソコンに向かっていた火鳥は伸びをして立ち上がった。自分もちょうど飲みたかったところだ。水瀬は顔を真っ赤にして切迫した表情だ。どうも用件はコーヒーではないらしい。
「何かあったのか」
火鳥が面倒臭そうに訊ねる。水瀬は息を切らせながらソファにどかっと腰を下ろした。三階分の階段を全力で駆け上がってきたのだろう。額から汗が流れている。それを拭い、真剣な表情で火鳥を見上げた。
「うちのオヤジが、壺を・・・」
オヤジと言っても水瀬の父親ではない。彼の属するいわゆる暴力団神原組の組長のことだ。火鳥はコーヒーを2つ用意してテーブルに置き、自分もソファに腰を下ろした。
「今朝、組に顔出したら神棚に真っ白い壺が置いてあったんだよ。しかもお前のところで預かったのよりずっと大きいヤツだ」
水瀬は貧乏揺すりをしながら、口をへの字に曲げている。
「ほう、それで」
火鳥の冷静さに水瀬も落ち着きを取り戻してきた。ひとつ大きく息を吐いてコーヒーを口に含む。
「聞けば、訪問販売に来た男から買ったっていうんだけどよ。100万だぜ?買うか普通?」
「ヤクザの事務所に胡散臭い壺を売りつけるとは、なかなか根性のあるヤツだ」
火鳥は感心している。
「それでよ、さらに俺たち組員にどこだかの寺に修行に行けっていうんだぜ。それで汚れた魂を入れ替えろとか、訳わかんねえよ」
まずはお前が行ってこい、と白羽の矢が立ったらしく水瀬は頭を抱えている。汚れた魂を入れ替えたらヤクザの事務所など廃業だ。
「うん、面白い」
火鳥はコーヒーを飲みながらニヤリと微笑む。縁なし眼鏡の奥の瞳が光る。
「冗談じゃねえ」
水瀬の泣き言は無視して、火鳥はプリンターに出しておいた資料を取ってきた。
「なんだこれ、白蛇の導く幸せ 蛇聖真教・・・めっちゃ怪しいな」
プリントされていたのは、新興宗教のホームページだ。蛇をモチーフとしたデザインで、白い蛇を神と崇めていることが読み取れる。次のプリントにはあの白い壺の写真が載っていた。
「やっぱりこういう手合いか、なんでうちのオヤジはそんなものに引っかかったんだ」
水瀬は頭を掻きながら首をかしげる。
「失踪した高校生の親は二人とも開業医だ。金はあるということだな。そして、お前のところはヤクザの事務所。頭の悪い武闘派が揃っている」
「おい、今の聞き捨てならねえぞ」
水瀬は火鳥を睨み付けるが、火鳥は全く気に留めず続ける。
「金に、力。都合の良い信者を集めているのかもしれないな。お前はいつから修行に行くんだ」
「明日だ」
「よし、俺も行こう。失踪した医者の息子もそこにいるかもしれない」
***
翌日、水瀬は最寄りの玄武駅前で火鳥と待ち合わせしていた。目的地は電車を乗り継いで行く県北の山奥にある蛇聖真教の施設だ。普段通りの黒いスーツにグレーの開襟シャツの水瀬はサングラスをかけて改札に立つ。駅の利用者は長身で強面、いかにもカタギとは縁遠いいでだちの水瀬を大きく避けて歩く。
約束の時間きっかりに火鳥は現れた。首には金色のネックレス、金色ライン入りの黒のジャージ上下、足と背中にド派手な金色のエンブレムが入っている。靴はヤンキー御用達の白のクロコダイル、普段目を隠す長さの前髪は後ろに流し、オールバックにしている。
水瀬を見つけて手を振る。あまりのセンスの無さに驚愕し、水瀬は火鳥を二度見した。他人のフリをしたい。
「お、お前、なんだそのカッコ」
「ヤクザっぽいだろ」
「いや、一緒に歩くのクッソ恥ずかしいわ」
水瀬は頭を抱える。火鳥はどこか世間ズレしたところがある。
仕方なく一緒に電車に乗り込み、少し離れて座る。火鳥は見るからに完全に田舎のヤンキーだった。
在来線を8駅西へ、そこから北上するローカル線で15駅。車窓から見える田園風景と深い山に水瀬はため息をつく。蛇聖真教からは車で来るなという指令だ。
「お前の親分は宗教にハマるような
火鳥が尋ねる。
「いや、先代の墓参りに行ったことがあるけど、ごく普通の寺だったぞ」
「神棚を取り払って壺を置いたのは、ここ最近のことだな」
「そうだ、いきなりだ」
火鳥は事務所で神棚に鎮座するあの壺を見て腰を抜かした。控えめに意見した若頭の八木を、大事な壺だと叱りつけていたという。
「壺があれば願いが叶うとか言ってたな」
「願いを叶える壺か、人の欲望につけ込んだインチキ商法だ。しかし、なぜそれに簡単に引っかかったのか」
火鳥は足を組み、神妙な顔で考えている。黒いヤンキー仕様の金ラインジャージが人の少ない車内で異様に目立つ。田舎のローカル線には老人しか乗っていない。
「願い・・・ね、お前の親分の願いは何だ」
「日本統一だ」
水瀬の答えに、火鳥は思わず吹き出した。
小さな無人駅を降りた。目の前には寂れた商店がぽつんとあるのみ。ド田舎もいいところだ。民家もポツポツと見えるが、人が住んでいるのか分からない荒れ様の家もある。
この先に進むと飯も食いっぱぐれそうなので、仕方なく駅前のそば屋に入った。そば屋の店主は腰の曲がったばあさんだ。田舎そばを二つ注文する。出てきたのは山菜が載ったそばで、手打ちだというそばは伸びきっていた。正直、まずい。
駅に一台だけ待っていたタクシーを拾い、蛇聖真教の建物へ向かう。運転手は先ほどまで昼寝をしていたのか、眠そうだ。
「あんたたち、なんでまたあんなところへ」
おっさん運転手は呆れた顔で言う。
「俺たちも行きたくない。ところで、高校生くらいの男子がその施設へ行ったのを知らないか」
火鳥の言葉に、運転手は思い当たることがあるらしい。
「こんな田舎だろ、若いモンが一人駅から寺へ乗せてくれって。一週間ほど前かな。そんな客は珍しいから覚えてたよ」
おっさんはもとは廃寺だった建物を蛇聖真教が買い取ったこと、時々駅から客を乗せていることを教えてくれた。その蛇聖真教の施設が医者の息子の行き先で間違いないだろう。火鳥は手がかりを得てにんまりしている。
タクシーを降りると、神社の鳥居だったものが見えた。鳥居にはあとから付け加えたのだろう、柱に蛇が絡みつく異様なデザインにリニューアルされていた。
「不気味だな」
水瀬が何か感じ取って怯えている。確かに不穏な気配がある。あの壺から醸し出されていた瘴気に似ていた。火鳥は縁なし眼鏡をくいと持ち上げる。その目の奥には鋭い光が宿っていた。苔むす古い石段を二人は登っていく。
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