願いを叶える白い壺
第1話
中華料理店“揚子江”でランチを済ませた水瀬は、古い雑居ビルの階段を上がっていく。今日のランチはラーメンセットだった。もやしのあんかけがたっぷり載ったシンプルな中華そばに、鶏ガラで味付けした炒飯のコラボは最高だ。それにシュウマイが2つもついて、850円というお得感がいい。
しかし、ラーメンの後にもコーヒーが欲しくなる。揚子江ではコーヒーは置いていない。だから同じビル三階にある古い探偵事務所に顔を出すのが常になっていた。
水瀬博史はいわゆるヤクザで、自分の采配で仕事を回す自由業のようなものだ。稼ぎを上げて組に収めることができれば何をしていても構わない。倒産整理は午前中、気まぐれで引き受ける飲み屋の用心棒はたいてい夜だ。日の高いうちは暇なことが多いので、閑古鳥の鳴く探偵事務所は“油を売る”のに最適な場所だった。
すりガラスのついた古いドアを開けようと手をかけた。すると、ドアが空いて中年の男女が出てきた。黒いスーツに紺色のシャツといういかにもヤクザな水瀬のいで立ちを見て、怪訝な顔をして階段を降りていく。一見品は良さそうだが、いけ好かない奴らだ。
「邪魔するぜ」
水瀬は入れ替わりに火鳥探偵社に足を踏み入れる。先ほどの二人はここの客だったようだ。応接セットに飲みかけのコーヒーカップが2つ置いてある。
「お前のところにも客が来るんだな」
水瀬はソファにどっかりと腰を下ろし、足を組んだ。
「ヘタレヤクザのように毎日が休日じゃないんだよ」
強面の水瀬に全く物怖じせず軽口を叩くのは火鳥遙、この事務所の主だ。縁なし眼鏡にやや細身、顔立ちは整っている方なのだろうが長めの前髪のせいで根暗なオタクという印象がある。しかし、優男に見えて性格は図太いことを水瀬はよく知っている。
「コーヒー飲みに来た」
「お前、いつか金取るぞ」
そう言いながらも火鳥は自分も飲みたかったらしく、新しくドリップしたコーヒーを二つ、テーブルに持って来た。
「うっ・・・何か嫌な感じがする」
コーヒーに口につけながら、水瀬は事務所内を見渡す。実はここに入ってからすぐに何か言いようのない、嫌な気配を感じていた。火鳥が正面に座ってからそれがだんだん強くなってきたのだ。
「やっぱり、お前が近くにいると何かあるな」
火鳥はそう言いながらマホガニー製の事務机の脇に置いていた風呂敷包みを応接セットのテーブルに持って来た。
「うわっ、何だこれ」
水瀬が怯えながら眉根を寄せている。その紫色の風呂敷から不穏な気配を感じる。
「さっきの依頼人が持って来たものだ。俺も嫌なものを感じていたんだが、お前が来てからより強く感じる」
火鳥には第六感というのか、この世に居てはならないもの、異界のものが見える。なぜかこの怖いものが苦手なヘタレヤクザの水瀬が近くにいると、共鳴するようにその力が強まるらしい。そして道連れとばかりに水瀬も普段見えないのに、見たくないものを見てしまう。
「うげっ」
水瀬が思わず腕で顔をかばう。火鳥が風呂敷包みを解くと、四角い桐箱が現れた。その蓋の隙間から黒いもやが漂っている。火鳥は蓋に手をかける。
「火鳥、開けるなよ、ヤバいぞそれ」
水瀬の情けない声に火鳥はチラリとその顔を見る。
「お前、笑ったな、今」
火鳥は水瀬が怯える様子がおかしくてたまらないようだ。嫌がらせとばかりに蓋を開けると、黒いもやは箱の中から発生している。中に手をいれて入っているものを取り出す。
すると、真っ白い壺が出てきた。高さ25㎝ほどの壺は見事な純白で、浮かし掘りで龍か蛇のようなものが巻き付いたデザインが施されている。その白い壺の周辺に黒いもやがまとわりついているのだ。
「中には何も入っていない」
「おっかねえよ、しまえよそれ」
水瀬はソファに小さくなって怯えている。180㎝を越える強面の男だが、心霊やオカルトじみた得体の知れないものが心底苦手だった。
「なんでこんな壺を預かったんだ」
「さっきの夫婦が持ち込んだんだ。息子がこの壺を残して消えたらしい」
火鳥は壺を手にとって調べている。
「そいつはホラーな話だな」
「それがそうでもなくてな、引きこもりだった息子を知り合いの紹介する自己啓発セミナーに無理矢理連れていったそうだ。すると息子はどっぷりハマってセミナーにだけは外出するようになった。この壺は親のカードで勝手に購入したらしい」
純白の壺は変わらず瘴気のようなものをもやもやと醸し出している。火鳥は桐箱にそれをしまい、風呂敷で包んだ。
「胡散臭いセミナーだな、だいたいこんな不気味な壺を売りつけやがって。絶対呪われてるじゃねえか」
「この壺、30万らしいぞ」
「うおっ、それを親の金で・・・とんだバカ息子だな」
火鳥は呆れている。
「その失踪した息子を探せと依頼された」
息子は高校生で、警察も家出だろうと本気で捜索はしてくれないらしい。
「遙兄いる?」
事務所のドアが空いて、制服姿の木島真里が顔を出した。真里は火鳥の従妹で、地元の高校に通っている。時々この事務所に遊びにきては雑談をしてお菓子を食べて帰っていく。
「あれ、お客さんいるんだね」
「いいぞ、こいつは客じゃない」
遠慮して帰ろうとする真里を火鳥は引き留める。こいつと言われて水瀬はムッとする。
「女子高生・・・お前まさか援助・・・」
「バカ、従妹だよ」
「へえ、この人がいつも言ってたヘタレなヤクザかあ」
火鳥が冷蔵庫から出してきたシュークリームを食べながら、真里は物珍しそうに水瀬をじろじろ観察する。
「おい、ヘタレヤクザって何だよ」
水瀬は火鳥を睨み付ける。火鳥は平然とコーヒーを啜る。
「ヘタレだろ、怖がりだし、よく殴られてるし」
反論できない水瀬はふて腐れて押し黙った。
「あれ、この男子。一年生まで同じクラスだった子だよ」
真里が壺と一緒に渡された写真を手に取る。
「知り合いなのか」
「ううん、ほとんど学校に来なくて、引きこもりっていうのかな」
真里が言うには、親が厳しく、子供の頃から友達が少なくて浮いている感じの子だという。
「友達もいない、か。家出しても行く先はないってことだな」
火鳥は縁なし眼鏡をくいと持ち上げ、紫色の風呂敷包みをじっと見つめた。
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