第2話

 中華料理店揚子江を出た後、水瀬と白黒ジャージは火鳥探偵社の事務所に転がり込んでいた。

「やっぱり食後はコーヒーだな。あの店でひとつ注文をつけるとしたら食後のコーヒーがないことだ」

 古いが瀟洒な応接セットのソファに座り、水瀬は足を組んで火鳥の淹れたドリップコーヒーを飲んでいる。


 火鳥はこだわりがあるらしく、豆から挽いている。これが香り高く、風味が良い。水瀬は神原組事務所一階の喫茶店のコーヒーよりも美味いと思っている。ジャージの二人もちゃっかりその脇に座っていた。黒ジャージはぽっちゃりパンチパーマ、白ジャージはひょろ長く、短く刈った髪を金髪にしている。


「お前ら、毎度上がり込みやがって、チャージ料とコーヒー代請求するぞ」

 チャージ料もというのが火鳥らしい。閑古鳥の鳴くこの探偵社の今月の仕事は、月半ばというのにいなくなったペットの捜索と浮気調査一件だった。


「その、赤いものっての何とかしてくれよマジで」

 水瀬が情けない声を出す。火鳥は腕組をしたまま水瀬をじっと見つめる。

「赤いものの気配という感じしか分からない。むしろ、お前に憑いているのは残滓かもしれない」

「どういう意味だ」

「それが憑いてるのはお前じゃないってことだ。誰か、お前に接触した奴とか・・・」


「あっ」

 黒ジャージが何か思いついたように目を見開いた。白ジャージの相棒と顔を見合わせる。

若頭カシラじゃないですか、今朝兄貴は殴られてましたよね」

「八木か・・・」

 水瀬は若頭が嫌いらしい。目の前にいない時は、八木と呼び捨てにしている。ヤクザは上下関係に厳しい。それを本人に知られたら吊されるかもしれない。

「地上げを強要している若頭か」

 この間、首狩り武者から神原組長の娘、美鈴を水瀬と共に救った火鳥だったが、それとこれとは話が別なのだそうだ。


「面白そうだ、八木に変わったことはないか」

「あのおっさんのことなんか知らねえよ、お前ら情報ないのか」

 水瀬が舎弟の二人に尋ねる。

「カシラはこの間新しい女ができたって浮かれて話してましたね、金がかかるって」

「クソ、俺の稼ぎがその女に流れてるんじゃないのか、あのエロオヤジ」

 白ジャージの言葉に、水瀬は別次元で腹を立て始めた。

「クラブのホステスだって言ってましたね、同じ店に週5で通ってますよ」

「女か・・・面白そうだ。よし、八木を調べてみよう」

 火鳥は口角を上げて笑う。水瀬は気が乗らないようだが、やむなく承知した。


 火鳥と水瀬は八木が通うクラブ前の喫茶店で張り込みをしている。ここのコーヒーはまずい。それは2人ともそれを感じ取ったらしく、2杯目には火鳥は紅茶、水瀬はミルクセーキを注文した。

 夜9時から張り込みを始め、現在10時。八木はご機嫌で飲んでいるのだろう、こっちは火鳥と向かい合ってミルクセーキだ。水瀬はそれを考えると苛立った。

「あのおっさん。早く出てこねえかな」

「クラブの閉店時間まで待つかもしれないな」

 探偵業だけあって火鳥は忍耐強い。紅茶を飲みながら、じっと店の出口を見張っている。


 夜10時半、この喫茶店は11時までだ。閉店時間になれば寒空の中、外での張り込みになる。水瀬はため息をついた、その時。

 クラブのドアが開き、八木が姿を表わした。横にはブルーのワンピースを着たスレンダーな女性を同伴している。

「お、出てきたぞ」

「女連れか、よし尾行しよう」

 そう言って、火鳥は立ち上がる。伝票はそのままだ。

「ここの代金は必要経費で頼む」

 水瀬に払えという。

「まあ、いいけどよ」

 いつも事務所でコーヒーをたかっているので文句は言えない。しかし、何となく腹が立つ。水瀬は支払いを済ませ、火鳥を追った。


「ヒエッ」

 声にならない声が出た。水瀬は目を見開いて息を飲む。

 50メートル先を歩く八木と女の背後を、髪の長い赤いワンピースの女がゆらゆらと不気味に揺れながらついていくのが見えた。

 これまで霊感など全く無かった水瀬だが、火鳥が側にいると何故か見たくないものが見えてしまうのだ。


「なんだよあれ、おっかねえ」

 水瀬は口元を抑えて震えている。火鳥はそれを呆れて眺めている。

「お前に見えたのはあの赤色だった」

「やめろよ、怖えじゃねえか」

「八木か、女に憑いてるなあれは」

 自分でなくて良かった。火鳥の言葉に水瀬は心底安心した。


 不意に目の前の赤いワンピースの女がこちらを振り返った。水瀬は腰を抜かしそうになる。火鳥は舌打ちをしながら水瀬を支える。手を離してしまいたいが、ここで転倒されたら八木に気付かれてしまう。女はすぐに前を向き直った。

「見たか、今の」

「み、み、見た・・・目が、真っ赤だ」

 水瀬は恐怖で今にも気絶しそうだ。重苦しい長い髪の間から異様に赤い目がこちらを見ていた。充血というか、まるで血そのもののような赤い色が光っていた。ついてくるなと憎悪を漲らせ、真っ赤に塗られた唇を歪めてこちらを威嚇していた。


「聞いたことがないか、赤い部屋の話」

「知らねえよ、そんなの」

 水瀬は唇を噛んで涙目になっている。180㎝を越える強面の男がどうしてこんなにヘタレなのか。


「タクシーの運転手が赤い服の女を乗せた。彼女を自宅アパートで下ろしたが、運転手は彼女が気になって、のぞき窓から部屋を覗いた。不思議な事に、部屋は真っ赤だった。その話を同僚にしたところ、その女の目は赤くなかったかと聞かれた・・・都市伝説だな」


「それって、まさか」

「そうだ、赤い目の女がのぞき窓からこちらを見ていたんだ」

 水瀬は無表情だ。恐怖が極限に達したらしい。

「まったく、お前の反応を見ていると愉快だよ」

 火鳥は恐怖に固まった水瀬の腕を無理矢理引いて、薄暗い場末の飲み屋街を抜けて八木と女の後を追う。

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