第3話

 しゃんしゃんしゃん・・・鈴の音はだんだん近づいてきている。

「一体どこから…」

 水瀬は動揺して辺りを見回す。音の聞こえてくる方角が読めない。火鳥は足元の落ち武者の供養塔を見つめている。

「ここから聞こえてくる」

 火鳥が石を指さす。水瀬は全身に鳥肌を立てる。

「や、やめろよ。この石からだって、おっかねえこと言うなよ」


 怯える水瀬を無視して、火鳥は供養塔を見つめている。苔むした石が白いモヤを纏い始める。それがだんだんと濃くなり、人の大きさほどの形を成してきた。水瀬にも同じものが見えているらしく、それを凝視したまま立ち尽くしている。

「あの女は自分の血を贄に何かを呼び出したのか」

 火鳥は供養塔から距離を取る。呆然としていた水瀬も慌てて後退った。


「なんだあれ、人の形に…まさか鎧?」

 白いモヤの中に鎧武者が姿を表した。逞しい体躯に使い込んだ鎧の質感、手にした刀に付いた赤黒いしみまで認識できる。そして鎧武者の頭部は、ない。

「か、火鳥、ヤバい、これはヤバすぎる」

 隣にいる水瀬がガタガタ震えている。目の前の鎧武者はゆっくりと歩き出し、神社の境内から出て行こうとしている。


「俺たちに目もくれない。まあ、頭がないから仕方がないのかもしれないが。だが、明確なターゲットに向かっているような気がしないか」

 冷静な火鳥の言葉に、我を取り戻した水瀬は鎧武者の背中を見つめている。

「追うぞ」

「マジか」

 火鳥は尻込みする水瀬の襟首を掴み上げる。


「しっかりしろ、依頼主。おそらくマーキングされた誰かを襲いにいくはずだ」

 火鳥に凄まれて水瀬は頭を振り、自分の頬を引っぱたき気合いを入れた。2人で鎧武者の後を追う。不気味な鈴の音と鎧の金属が擦れ合う音を響かせて、鎧武者はがに股で走りながら駅方面へ向かっている。

 仕事帰りのサラリーマンやOLの脇を駆け抜けていくが、彼らには鎧武者の姿は見えていないようだ。


「俺たちにだけ見えているのか」

 水瀬の言葉に火鳥は息を切らしながら頷く。探偵のくせに体力が無さすぎだろ、と水瀬は内心呆れた。

「何故かわからんが、お前が近くにいるとこの世のものではないものがはっきり見えるようだ」

「迷惑な話だが、どうやら俺もそうらしい」

 水瀬は苦い表情で肩を竦めた。


 正面から女子高生が歩いてくるのが見えた。

「あ、あれはオヤジの娘の美鈴だ」

 水瀬の言葉に火鳥は頷く。

「やはりな、そんなことだろうと思った」

 組長の後妻は血の繋がっていない娘、美鈴を鎧武者が狙うよう仕向けたのだ。美鈴は目の前に立つ首の無い鎧武者に目を見開いた。その表情は恐怖に凍りついている。呪いを受けた者には姿が見えるのだ。


「美鈴さんが危ない!クソ、どうしたらいい」

 水瀬は組長から娘を守るよう厳命を受けている。彼女に何かあれば首狩り武者に首を斬られなかったとしても、組長から切腹を強要されかねない。

「俺にもわからん」

 火鳥の自信たっぷりの返事に水瀬はズッコケそうになる。


 首狩り武者が血錆がこびり付いた日本刀を振り上げる。街灯の光に白刃が不気味に光る。

「お前、ヤクザだろ。ドスくらいもってないのか」

 火鳥の言葉に、水瀬は慌てて背中からドスを取り出す。武闘派の水瀬は敵が多い。普段から背中に仕込んでいるものだった。しかし、首狩り武者の刀よりも随分短い。それに相手は数百年前の亡霊だ。怨念の深さは計り知れない。

「こ、これじゃ無理だろ」

 水瀬がドスと首狩り武者の日本刀を見比べて叫ぶ。


「泣き事言いわずに行ってこい」

 火鳥が水瀬の背中をつき飛ばした。

「てめえ、火鳥!…ぐっ…!」

 間一髪、美鈴の首を狙った刃を水瀬のドスが受け止めた。

「うおおお、物理?物理攻撃が効いてるのか?」

 水瀬は恐怖と闘争心の狭間でアドレナリン過多の状態だ。

「よく分からんが、お前ならできる!」

 無責任な火鳥の応援に腹を立てる余裕も無く、水瀬は首狩り武者と鍔迫り合いをしている。


「このクソ野郎!」

 水瀬が火事場のバカ力とばかりにドスで首狩り武者の刀を押し返した。首狩り武者は水瀬を敵と認識したのか、身に纏う殺気が増していく。火鳥は何が起きているのか分からず怯える美鈴の腕を引いた。

「すまない、協力してくれ」

 火鳥の気迫に、美鈴は黙って頷く。火鳥は美鈴と共に走り出した。水瀬は思わぬ行動に驚愕する。


「おい、俺を人身御供にして逃げる気か」

 水瀬が頭を抱えて喚く。

「考えがある。鬼首神社までそいつをおびき寄せてくれ」

 火鳥はそう言うと、真っ直ぐ前を向いて走り出した。一瞬唖然とした水瀬だが、手にしたドスを握り直す。

「こっちだ首無し」

 首狩り武者を挑発し、水瀬も鳥居に向かって走り出した。鳥居まで約300メートル。前を行く火鳥は足がやたら遅く、ぜえぜえと息を切らせながら走っている。美鈴は鳥居の下まで到達していた。


 首狩り武者は水瀬を追い、刀を構えたまま走り出した。武者の足は速い。水瀬のすぐ背後に足音が近づいてくる。

「うおおおおっ」

 水瀬は恐怖が極限に達し、普段以上の速さで駆ける。そのうち火鳥を追い抜いてしまった。

「おい、これからどうする」

 追い抜きざまに火鳥に訊ねる。水瀬も必死だが、火鳥はスタミナ切れでヘロヘロだ。首狩り武者は火鳥には目も触れず、水瀬を追う。

「首を返す、とりあえず神社の敷地内まで引きつけておいてくれ」


 首を返す、とはどういう意味か分からないが、水瀬は鳥居を目指して走る。組美鈴は灯籠の影に身を潜めている。鳥居をくぐった首狩り武者は美鈴の気配を感じ取ったのか、灯籠へ向かって歩いて行く。

 刀を振り上げた武者の脇腹に水瀬のドスが食い込んだ。

「隙だらけだぜ」

 水瀬がニヤリと笑う。アドレナリンが噴出し、一時的に恐怖心が消し飛んだようだ。首狩り武者は一瞬動きを止める。鎧を貫いた手応えはあった。


 首狩り武者の豪腕が水瀬の横っ面を殴りつけた。その勢いで水瀬は吹っ飛び、灯籠にぶつかる。

「痛ぇ・・・畜生・・・」

 背中を派手にぶつけ、水瀬は尻もちをつく。息が詰まる。見上げると、正面に立つ首狩り武者が刀を構えて今にも振り下ろそうとしている。

「俺の人生、ここまでか」

 水瀬はすべてを諦めようとした。しかし、火鳥の生意気な顔が浮かんだ。一度殴らねば気が済まない。水瀬は奮起して、立ち上がろうとする。


「首を返すぞ」

 首狩り武者の背後から火鳥と美鈴が供養塔の石を掲げている。それを武者に向けて投げつけた。重い石が不思議なことに首狩り武者の頭部に吸い寄せられ、目映い光を放つ。

 閃光が収まり、目を開けたときには首狩り武者の頭には兜が乗っていた。首狩り武者は立ち尽くしたまま、白い霧となって宙に消えた。


「どこへ行きやがった」

 水瀬が叫ぶ。

「消えた…もしかしたらこれが呪い返しになったのかもしれないな」

 怯える美鈴を組長宅へ送り届けると、大騒ぎになっていた。救急車が到着し、担架で誰かが運ばれていくのが見えた。白い布からモスグリーンのワンピースを着た血塗れの手がのぞいていた。


***


 後日、火鳥探偵社に水瀬が訪ねてきた。

「これはオヤジからの謝礼だ。娘を救ってくれて心から感謝するってよ」

 水瀬は厚みのある封筒をテーブルに置いた。

「そう思うなら自ら出向いて来るのが礼儀だろう」

 火鳥の態度は腹が立つが、今回は手助けしてもらった義理がある。水瀬は突っかかるのを我慢した。


「直接戦ったのは俺だけどな」

「怖がるお前の背中を押してやったのは俺だ」

 火鳥に悪びれる様子は1ミリもない。腕を組んで偉そうにふんぞり返っている。

「本当に押しやがって、シャレになんねえよ」

 水瀬はひとりごちた。


 後からの調べで分かったことだが、首を切られた弁護士の男は、後妻に依頼された組長の浮気の慰謝料請求を断ったということだった。恨みを募らせた後妻は、浮気相手だけでなく組長の愛する娘をも呪った。彼女は一命を取り留めたそうだが、離縁が決まっているという。


 火鳥が従兄弟の智也と共に鬼首神社へ行ってみると、供養塔は浄められ、しめ縄で囲われていた。

「これでもう首狩り武者は現れないかな」

 智也はちょっと見てみたかったな、と残念がっている。

「彼をこの世に呼び戻すほどの妄執を持つものが現れない限りはね」


 火鳥は鬼首神社の首狩り武者の件をレポートにまとめ、写真と記事のコピーと共にKファイルに綴じ込んだ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る