第2話
「すごく興味深いよ。近所にこんな面白いスポットがあるとはね」
木島智也は興奮気味にバッグから取り出したプリントをテーブルに並べている。智也は大学で民俗学を専攻している。目の前に座る個人探偵業を営む火鳥遙は年の離れた従兄弟で、一緒にいると刺激的な話題に事欠かない。
今日は火鳥に依頼されていた神社の伝説の調査資料を持ってきた。通っている大学の図書館は郷土史のデジタルデータを検索できる。これがなかなか便利だ。
火鳥はコーヒーをドリップで淹れてガラステーブルに置いた。冷蔵庫からロールケーキを出してくる。ボロい事務所だが、コーヒーくらいは美味しいものが飲みたいとコダワリを持っていた。そして冷蔵庫にはスイーツのストックを欠かさないようにしている。火鳥が一日のうちに過ごす時間が長いのは、自宅アパートではなくこの事務所なのだ。
「さすがだな、手がかりが見つかったか」
火鳥がプリントを手にする。数点の白黒写真と古くさいフォントで鬼首神社の伝説を説明した文書だ。
「ここは鬼の首を祀る神社というのは間違いないよ、でも裏の伝説がある」
智也は生き生きと話はじめる。ベリーショートにライトツーブロック、ぱっちりした目に笑うと白い歯が覗く。身長は178㎝はあるといっていた。爽やかな好青年で、運動サークルにでも所属していたらモテて仕方がないんじゃないかと思うが、どちらかといえばオタク気質で図書館にこもって調べ物をするか、外に出ればフィールドワークでどこまでも歩いていく。自分の世界に浸るタイプだ。
「この辺りの集落を荒らしていた鬼がいて、隠遁生活を送っていた落ち武者がその首を切り落として退治したんだ。村人たちは喜んだ。でも、村で不幸がある度、鬼の祟りを恐れるようになった。そこで、落ち武者を殺して鬼の魂を慰めたとあるよ」
智也に任せて良かった。こうした調べものは非常に頼りになる。火鳥はコーヒーを啜りながらスマホを取り出す。
「人間は勝手なものだな、最初は鬼、そして落ち武者か。次は誰を殺すんだ」
火鳥はスマホで撮影した神社の様子を智也に見せる。
「これが鬼首神社。小さな社と、鬱蒼とした森しかない」
智也はスマホを借りて画面をスワイプする。
「この伝説を聞けば、いよいよ不気味な雰囲気だね」
「この近くで犬の首が切られる事件が起きている」
智也は顔を上げる。
「この神社には落ち武者の墓があって、未だにその呪いは生きているという噂があるよ」
「呪いって、何だ」
火鳥の言葉に智也は首を傾げて肩を竦めた。
「・・・そう書いてあったけど、具体的には分からない」
「そうか、ありがとな。資料もらってもいいか」
「もちろん、また何か分かったら連絡するよ」
智也はコーヒーを飲み干し、事務所を出て行った。
「首に繋がるな・・・」
火鳥はソファにもたれながら資料を見返している。首を切られた落ち武者、首を切られたペットの犬、そして先日の新聞には首を切られた男。
ふと、プリントの古い写真に目が止まった。それはこの昭和初期の鬼首神社の写真だった。周囲を囲む森は今ほど鬱蒼としていない。まだ細い木の幹に囲まれて何か固まりのようなものが見える。目を凝らせば、石で作られた塚のようだった。
スマホの写真と見比べてみる。この場所を特に意識して撮影しているわけではないが、木の根元に何か固まりが見えた。
火鳥は立ち上がった。もう一度この場所を調べてみよう。
事務所の扉を開ければ、黒いスーツにダークブルーの開襟シャツを着た水瀬が立っていた。
「おう、どうなってる」
「お前も来い」
水瀬の問いに返事をせず、火鳥は事務所に鍵をかけて階段を下りていく。
「なんだ、せっかく来たのにコーヒーでも飲ませろよ」
「お前の依頼で動いているんだよ、文句を言うな」
この火鳥という男はヤクザ相手になかなか図太い。電車に乗り、2つ先の駅で降りる。駅から鬼首神社は徒歩圏だ。
「ここは、オヤジの家の近くじゃないか」
オヤジというのは水瀬の属する神原組の組長のことだ。この先の坂の上には桜ヶ丘団地の高級住宅街が立ち並んでいる。
「ここに用がある」
鬼首神社の前に立つ。丘の上に夕陽が蕩けるように沈んでいく。辺りは夕闇に包まれ、森の影がいよいよ濃くなっていく。どこか遠くで烏の鳴き声が聞こえ、水瀬は思わずポケットに手を突っ込んだまま身を震わせた。
「なんだよここ、おっかねえな」
確かに、昼間に来ても不気味だったが、日が暮れてからは生い茂る木の枝が陰鬱な影を落とし、不気味さが増している。
火鳥は神社の鳥居をくぐる。鳥居の先は空気が変わったような気がした。気温が五度ほど一気に下がったような感覚がある。
水瀬は仕方なく火鳥の後ろについていく。火鳥は正面の社ではなく、脇に逸れて下に目を落として探し物をしている。
「あった」
火鳥が見つけたのは苔むした丸い石だ。下には台座らしきものが据え置いてある。
「なんだよこれ」
それはただの漬物石にしか見えない。これが探し物か、と水瀬は首をかしげている。
「落ち武者の供養塔だな」
「げえっ、何だよ落ち武者って」
水瀬が情けない声を上げる。唇を一文字に引き結んで怯えた表情を浮かべ、完全に腰が引けている。
「伝説は本当だったようだ」
火鳥はしゃがみ込んで石を調べはじめる。水瀬はあたりをキョロキョロと見回して落ち着かない雰囲気だ。
「なんだこれは」
よく見れば、石には黒い液体がこびりついている。水瀬も仕方なくしゃがみ込む。
「血、だな。固まっている」
石には微量だが、血がついている。
「なんだ、これで誰か殴ったのか?」
「いや、この感じだと、上から血を振りかけたようだ」
「おいおい、気味が悪いな」
水瀬は早く帰りたい様子でその場で足踏みをしている。うるさい奴だ。
不意に、玉砂利を踏む音が聞こえた。火鳥は水瀬の腕を引っ張り、木の陰に隠れる。
「なんだよ」
「誰か来た」
不満げな水瀬に、火鳥は唇に指を当てて黙れと威嚇する。
現われたのは年の頃40代くらいの女だ。派手な赤いルージュにブルーのサングラスをかけている。グレーのハーフコートの下はモスグリーンのワンピース。
石の傍らにしゃがみ込み、小ぶりのナイフを出して腕に傷をつけた。鮮血が傷口から流れ出す。
水瀬はぎょっとした顔で火鳥を見る。火鳥は冷静に彼女の行動を見つめている。女は石に自分の血を垂らして何か呪詛のような言葉を呟いている。そして立ち上がり、去って行った。
「や、やべえよ何だあれ・・・」
水瀬が頭を抱えている。夕闇の神社で見てはいけないものを見てしまった。
「石に自分の血を・・・一体どういう意味があるんだ」
「あれ、姐さんだ」
水瀬の言葉に火鳥は振り向く。
「何、お前のところの組長の嫁さんか」
「そうだ、綺麗で物静かな人だと思っていたが、何だか気味が悪いな」
火鳥は腕組をして考えている。
しゃんしゃんしゃん・・・どこからともなく鈴の音が聞こえてきた。
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