鬼首神社の首狩り武者
第1話
この書類の山は明日の処理へ回そう。そうはいうものの、すでに日は変わっており、“明日”になっていた。
守谷哲夫は机の上に積み上げた書類を整理して脇へ避けた。パソコンをシャットダウンし、事務所の電気を消す。非常階段を下り、裏通りを歩いて駅を目指す。
終電にはギリギリ間に合うだろうか、古びたオフィス街に人影はない。最近は働き方改革だとかで残業をさせない風潮だが、守谷のような個人事業主には関係はない。貧乏暇なしというやつだ。
点滅する街灯の下を足早に歩く。見慣れた町だが、深夜誰もいない暗い道はやはり不気味だ。突如、どこからか鈴の音が聞こえてきた。
シャンシャンシャン・・・だんだんと近づいてくる。
じっとりと生暖かい風が髪を撫でる。いつのまにか周囲は白いもやに包まれている。守谷は狼狽して辺りを見回す。不意に首筋に熱を感じた。恐る恐る手を当てる。指にぬるりとした感触があった。震える手の平を見れば、真っ赤な血に濡れている。
「こ、これは一体・・・」
守谷は遠のく意識の中で白いもやに浮かぶ人影を見た。白刃がギラリと光る。そして何も感じなくなった。
***
火鳥遙はソファに腰掛けてドリップしたてのコーヒーを片手に新聞を広げている。今日の地方欄は弁護士事務所の男性が、深夜帰宅途中に首を切られて重体というものだった。警察は周辺住民に聞き込みを始めているというが、目撃者無し、犯人の手がかり無し。
深夜まで真面目に働いてやっと帰宅という男を切りつけるとは、犯人も惨いことをする。場所は駅前の繁華街のはずれだ。
「火鳥、いるか」
事務所のドアが乱暴に叩かれる。ノックというには荒々しいリズム、そしてこの声はあのヘタレヤクザだ。また懲りずに地上げにやってきたのだろうか、面倒なので居留守を使おうと思ったが、すりガラスでは電気がついているのが丸わかりだ。
溜息をひとつついて、火鳥は立ち上がる。ドアを開ければ、水瀬博史が立っていた。
「入るぞ」
入って良いとは言ってない。しかし、水瀬はずかずかと上がり込み、ソファに大股を広げて座り、足を組む。
「今日は子分1,2は連れていないのか」
「子分じゃねえよ、舎弟だ」
水瀬ははあからさまに不機嫌だ。見れば、左頬が腫れている。
「痴話げんかでもしたか」
「この間のビルの立ち退き交渉をしくじってカシラに殴られたんだよ、お前のせいだぞ」
水瀬は火鳥を睨み付ける。その鋭い眼差しはさすが年季が入ったヤクザのものだ。水瀬は地元のヤクザ将星会神原組の構成員で、若頭補佐心得という中途半端な立場にいる。地上げの失敗で一般企業で言えば上司に当たる若頭にどやされたのだ。
「愚痴を言いに来たなら帰ってくれ、こっちは仕事中だ」
しかし、火鳥は全く動じず、平然とコーヒーを啜っている。
「今日は別件で、相談に来た」
水瀬は突然神妙な顔つきになる。
「仕事の依頼か」
ヤクザが持ち込む仕事など本当は受けたくはないが、背に腹は代えられない。今月の仕事はまだ浮気調査一件しか入っていない。しかも、依頼人はこんな写真はでっち上げだと言い出し、金を払うのを渋っている。
「まあ、そうだな」
「では聞こう」
ふんぞり返って足を組む火鳥の態度は、およそ人の話を聞くときのものではない。水瀬はチッと舌打ちをしながら話し始める。
「うちの組長、神原のオヤジのことだ」
水瀬の話によれば、組長の家で飼っているペットの犬が惨殺されたという。それから囲っていた愛人が暴漢に襲われ怪我をした。そんなことが重なって柄にもなく怯えているらしい。
「ペットの犬はな、首を切られていたらしい。惨いことするぜ」
水瀬は唇をへの字に歪めている。人間は平気でいじめるのに、動物虐待は許せないらしい。
「首をね・・・」
腕組をしながら火鳥が何やら考えている。
「愛人はどんな怪我をした」
「さあ、詳しくは知らないが、勤めているクラブにも顔を出していないらしい」
「ま、愛人はさておき、オヤジには高校生の娘がいるんだよ。前妻の子でオヤジは随分と可愛がっているらしい。その子に何かあったらと心配している」
「で、お前は何とかしろと頼まれたわけか」
「不幸がたまたま重なっただけで何をどうすればいいんだよ」
水瀬は頭を抱えている。どこにも相談できないからここへやってきたのだ。
「いいだろう、調べてみよう」
「お、やってくれるか」
「その代わり、高いぞ」
面倒な仕事を押しつけることができた水瀬は、上機嫌で事務所を出ていく。今日も2人ほど浮遊霊を肩に乗せていたが、騒がれると面倒なので敢えて教えなかった。あれだけしがみつかれて全く気にしていないのだから、本人はよほど鈍感らしい。
火鳥は水瀬から聞いた神原組長の自宅付近を散策してみることにした。神原の自宅は丘の上の高級住宅街にある。どの家も大きな家に綺麗に整えた広い庭があり、駐車場には高級外車が停まっている。
神原の自宅前を通ってみたが、高い塀の向こうには広い庭、和風の邸宅が見えた。ガレージは車が3台停められるようになっている。防犯カメラも設置してあった。
何か違和感がある。
「防犯カメラもあるし、こんなに高い柵を越えて、わざわざ飼い犬に手を出すだろうか」
他の家も防犯意識の表れか、立派な柵や高い塀の家が多い。もちろん、防犯システムも導入している。ましてやヤクザの組長の家だ。忍び込んで見つかればただでは済まない。
長い坂道を下ると、小さな森が見えた。鳥居があり、顔も認識できないほど風化した狛犬が左右に鎮座している。ずいぶん古びた神社だ。
手入れを忘れ去られた樹木がどこまでも枝を伸ばし、雑草も伸び放題。境内は鬱蒼とした雰囲気だ。見れば雨風に打たれて文字がほとんど掠れてしまった石碑が立っている。
「
石碑の脇に立つ看板にはこの集落に鬼が現れ、一人の落ち武者が鬼の首を切り落として退治したという伝説が書いてある。鬼の供養のためにこの神社は建てられたという。
「ここでも首か・・・」
火鳥は縁なし眼鏡をくいと持ち上げる。神社の様子をスマホで撮影し、事務所に帰ることにした。
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