第2話 運命から逃れるために


 「デューク……デューク坊っちゃま…………」


 朦朧もうろうとした意識の中で声が聞こえてくる。

俺は目を開けると無機質な女性の顔が飛び込んできた。

 陶器のように冷たくなめらかな肌に映えるように硝子玉ガラスだまのような黒い瞳が光っている。

そして腰ほどの長さの銀髪はウェーブがかかっており、クラッシックなメイド服との調和を上手くとっていた。


 彼女は一体誰だろうか。

ふとそう思っていたが、父親に殴られた頬の痛みで現実に引き戻される。


「デューク坊っちゃま、気が付きましたか」


 女性は俺が目を覚ましたことに気づいたのか静かな声で言った。殴られた頬は喋るのに苦労しそうなほどに腫れ上がり、ズキズキと痛む。それを察知したのか女性は濡れタオルを俺の頬に当てると冷たさでゆっくりと痛みが収まっていく。

 しばらくして頭が回ってきたのか彼女が俺の世話をしているメイドであることに気がついた。


「あぁ大丈夫さ。でも――」


俺はそう言いかけると彼女はいたずらっぽく笑った。


「言わなくても分かります。ご主人様に殴られたことでしょう」


そして彼女は話を続けた。


「ご主人様は優秀な息子を亡くしました。そして残ったのが……不優秀な坊っちゃまだけですから……」


「なんなんだ!俺が……俺が全て悪いのか!」


 俺は怒りをそのままに彼女の胸ぐらを掴む。

それが間違いだと言うのは分かっている。しかしやり場のない感情がこのような行動を取らせていた。


「デューク坊っちゃま。落ち着いてください。坊っちゃまは悪くないのです」


 彼女はピリピリとした空気の中で一息つくと言い放った。


「デューク坊っちゃまが公爵になりこの家を継がなくてはならない運命が全て悪いのです」


「その運命なんか……嫌だ!俺は公爵になりたくない!」


 突然冷水を浴びせられたような感覚に陥った俺は彼女の胸ぐらを掴んでいた手を離してしまった。

目から熱いものが流れ視界がまたぐちゃぐちゃになっていく。


 確かに今いるリヒテンシュタイン公国を治めている父親の仕事には誇りを持っている。だがその仕事に就くのは嫌だったのだ。

公爵の子だから、家の掟だから、運命だからということに縛られたくないという思いが噴出する。


「デューク坊っちゃま。気持ちは分かるのですが運命なのです。受け入れてください」


 泣きじゃくる俺に対して彼女は冷たかった。

人形のような雰囲気も相まってかなりの疎外感を覚えていたが、そんなことは今の俺にはどうでもいい。俺にはまだ隠している手がある。


「それなら……俺はこんな家出て行くよ」


 公爵にさせることを強要している彼女に突きつけた。こんな狂気を孕んだ家にいればいるほど俺の頭もおかしくなってしまいそうだった。


「坊っちゃまは騒ぎをこれ以上大きくするのですか。今なら間に合いますよ。すぐに――」


「脅しをかけたって俺は出ていく。じゃあな」


 引き止めようとする彼女をよそに俺は何も持たずに自室を出ていった。


 さて、これからどうしようか。

俺は自室を出るや否や底知れぬ恐怖感を覚える。

この事実が父親に知られようならば大変なことになるのはわかっていた。しかしそのような犠牲を払ってまで俺はこの家を出ていくことを決意したのだ。


 俺は抜き足差し足で外へと向かっていく。

幸いにもほかのメイドや門番も居なかったのか難なく外へと出ることが出来た。

まさにこれが出ていくには最高の日と呼んでも過言ではないだろう。

俺は鼻歌を歌いながら街を闊歩かっぽした。





 


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