第83話 王太子の伸ばした手
それから二時間程が経っただろうか。
とうとう肉眼で確認出来る程までに近づいて来た領主軍と
完全に全ての軍と団が足を止めて暫くして、状況は動き出した。
前方に向けていた視線の先、その空高くに黄色に光る玉が打ち上げられた。その直後、光る玉のすぐ側に薄ら緑色の玉が打ち上がった瞬間、突如轟く爆音が辺り一帯を埋め尽くした。
あれはジブリー領で『
まさかあんなものまで堂々と使うなんて思わなかったが、今大事なことはそれではなく、あれが打ち上がったということは、何かの合図をしたのだろう。
時を置かずして、また同様のものが後方から打ち上がる。合図に対して応答するような合図。
それが何を意味するか、考えるまでも無かった。
「女は絶対に殺すな! 絶対だ! それ以外を殺せ!」
ジャスパー移送護衛団への襲撃はその言葉から始まった。
百メートルから二百メートル先、右手側の小高い崖の上から一斉に野盗共が滑り下りてくる。やや手前側にある森の中からもまた同様で、その光景はまるで大量の虫が獲物を見つけて群れるが如くだ。
武器や身に付けた防具は悪く無い。汚れが極端に目立つ訳でも無い。つまり長い期間同じものを使い潰すような使い方をしている訳ではないと言うことだ。
しかもそれは次々に姿を見せる野盗や傭兵崩れ全員が同様で、つまり背後に誰かが居るのは確定だった。
現在合図と共に動き出したのは盗賊団と後方に居る傭兵団連盟のみ。領主軍はその場に留まったまま動こうとはしない。戦いの様子を見ているのか
ともあれ、それでも前方から五百、後方から百四十が迫って来ている。
こんなものサガラだけで渡り合える訳がない。なので、サガラには後方の傭兵団連盟だけを相手するように指示している。それでもサガラの総数三十八名では話にならない。
僕は目を瞑り、両手を左右に広げた。
その手がどこまでもどこまでも、遠くに届くよう想像しながら。
※
僕が城塞都市ポルポーラを出てから練習していた新しい戦い方。これは言ってしまえば自分が持っている
但し、それだけでは意味が無い。求めているのは、強いて言うなら【
そこで思い至ったのが攻撃系技能だ。
例えば【格闘術】だ。あれは身体を効率的に動かし、殴る、蹴る、投げる、そう言った動作全てを【格闘術】と言う
つまり、僕は現在持っている技能や魔術を並行して使う戦い方そのものに技能名を付ければ良いと考えた。それは
しかしその技能名が思いつかなかった。練習をしても金の神は
それが先日、ミミリラ達とのやりとりで浮かび上がった。
本当は思いつきながらも烏滸がましいと躊躇っていた技能名。だけど、僕は例えどんな姿をしていても王太子。王座を得る資格を持っていないとしても、
だからこそ、この技能名を言葉にしようと思う。
もし父上に叱られようとも胸を張って言おう。例え王位継承権を自ら投げ捨てていようとも、私は存在が王太子なのである、と。
小さく息を吸う。そして、それを言葉にする。ポルポーラで魔獣達に吠えたあの時の自分を思い浮かべながら。
「『
【
その対象全てに向けて【
後方支援特化技能【アーレイ王国】、これが僕が新しく考えた戦術だ。
この状態であれば、【万視の瞳】の範囲内であれば、凡ゆる存在は僕の手の中だ。地形、身体の形、動き、諸々を同時に脳裏に浮かべたままに、それら全てに僕の魔術を届けることが出来る。
欠点があるとすれば、精神力の消費量が膨大なこと、処理する情報量が多すぎてどうしても判断が遅くなることだろうか。
理想はこれを使用しながら僕も戦うことだけど、そんな日は暫く訪れることは無いだろう。
※
前後から迫る不埒共に意識を向けながら、先ず馬車や馬、御者含めて全てを【
後方ではサガラが迎え撃つように傭兵団連盟に向かって駆けている。間違いなく野盗が馬車の位置に来るよりも早くに衝突するだろう。
ならば、この両方を同時に対処しなければならない。
「『四肢は遅々と進まず地に沈む』、【混
こちらに向かって来る盗賊団全員の足元に泥沼を作り出す。太もも辺りまで深みのあるそれを容易に抜け出すことは出来ないだろう。余程の能力等級値か技能でもあれば話は別だが、僕の瞳に映る彼らの個体情報にそんなものは存在しない。
全員が沈みきるよりも速くにサガラ全員に
「『戦士に強靭さを、勇士に勇気を与え給う』【
目に見えて走るサガラの動きが素早さを増した。それぞれの個体情報の状態欄にもきちんとそれが表示されている。
これで力、速度、頑強、精神耐性、魔術耐性、視力、動体視力が増し、装備全ての性能が上がった。
そしてすぐさま傭兵団連盟に対して
「『耐えぬ苦難に心沈ませ嘆きの歩み』【
嘗てエルドレッドが僕に使った阻害魔術で速度と精神耐性を下げ、更に体力の消耗率を上げる。そして敵が装備している全ての重みを増加させる。その上で、向かって来ている凡そ半分を泥沼に沈ませてやる。
これでこちらに向かって来ている傭兵団連盟の
何にせよ、支援を受けた上でお膳立てをしてやったのだ。二倍くらいの敵は倒して貰いたい。もちろん怪我などを負えば都度都度【
それにさっさと倒さなければ泥沼を超えてきた奴らも戦いに参加してくる。果たしてサガラがどこまで戦えるか。
ただ、英雄級の魂位と、それに引き上げられた能力等級値を持つ獣娘三人も参戦しているので、正直甘やかし過ぎ感はある。しかもミミリラだけは男に触れて死なれても困るので【
前方では野盗達全員が上手く泥沼に嵌まってくれたようなので、更に黙っていて貰うことにする。
「『水は火に舞い風に流れ、土は
【
これで動きたくても動けない。どうしても抜け出すなら足を根元から斬り飛ばすか、僕の魔術を上回る何かがなければ不可能だ。
ついでに言えば、これは傭兵団連盟側の
取り敢えずサガラの戦いが終わるまで、彼らには暫くそこで大人しくして貰おう。
それにしても、後援だからと今回敢えて
これが【
そんなことを思いながらも、僕は馬車の上から後方、つまり今正に始まったサガラの戦いに目を向けていた。
※
最初に向かい合ったのはザイルと言うサガラの男と先頭を走っていた傭兵だ。二人の個体情報を見る限りでは力以外はあまり差はない。ならば二人の勝敗は戦い方次第で決まるだろう。
そして、僕は今までサガラを
ザイルは思い切り踏み込んで傭兵に近づくと同時、手に持っていた剣をいきなり投げつけた。それを咄嗟に弾く傭兵に一瞬で近づくと、腰の短剣を首に突き立てていた。【
ザイルはすぐさま離れると、今度はその短剣を少し離れたところで味方と向き合っていた傭兵へと投げつけた。その後またすぐに自分が投げつけて落ちていた片手剣を拾うと次の目標へと向かっていった。
ちなみにザイルが投げた短剣は見事傭兵の首に刺さり、戦っていたサガラの男が首を刎ねて止めを刺していた。
ある場所ではバングルと言うサガラの男が傭兵三人に囲まれていた。
バングルは必死に動き回りなんとか躱したり受けたりしているが、あっと言う間に追い詰められていく。これは死んだかな、と僕が見ていると、傭兵二人がいきなり倒れ込んだ。それに戸惑っている残りの傭兵を、追い詰められていたバングルが一気に斬り捨てた。
倒れ伏した二人の首元には矢が刺さっており、その出処では小さな弓を持ったサガラの女が次の標的に向けて矢を
ある場所では、二対一でありながらも押されているサガラも居た。
傭兵の個体情報を確かめると、傭兵集団の中でも優れた能力値を持っているようだった。魂位も高いし、何より力と頑強の等級値が高い。これならば実力第4等級は確実だな、と思えるような強さだ。
そんな傭兵に押され、致命傷を避けながらもダメージを負っていく二人。味方の援護が入るまで粘るのか、なんて思っていると、二人は手に持っていた片手剣を捨てて腰の短剣を抜いた。
まさか捨て身の
直後、一人が無謀にも突撃した。
僕の目から見ても「死んだな」と思う程の一撃だった。
しかしサガラの男は何とそれを、短剣を緩衝材に使いながら両手で受け止めたのだ。短剣は二つに折れており、間違いなくその腕には傭兵の太い両手剣が振り下ろされているのに、体毛、いや獣の毛に覆われた腕がしっかりと受け止めている。
そしていつの間にか後方に回っていたもう一人のサガラの男が傭兵の首筋に短剣を突き刺していた。腕で剣を受けていたサガラの男も、首の後ろに短剣を突き刺したサガラの男も、倒れた傭兵から距離をとって警戒を解いていない。
確実に死を確認するまで待つつもりか。僕がそう思う間も無く、その男の首に一本、そして頭にもう一本と矢が突き刺さっていく。
その出処ではやはり、先程の女とは違うサガラの一人が弓を引き絞っており、三本目の矢を男の首に打ち込んでいるところだった。
僕もまた彼らを観察しながら、この戦場を常に【アーレイ王国】で把握しつつ常時彼らを支援し続けている。
「『その瞳は何も映さず』【
数の多い相手側にどうしても手が回らない部分の傭兵には瞳に暗闇を纏わせ視界を無くし、一瞬の隙を作る為に瞳の前に小さな光を発して視力を潰す。
土の柱で敵の足を貫き攻撃する瞬間を邪魔し、光の円月輪を手首に発生させて一気に狭めることで切り離し、怪我をしたサガラには治癒を施す。
手が回るようになれば敵にかけていた暗闇などを消していく。ずっとそれを繰り返していく内に、次々に傭兵達が地に沈んでいっている。
僕はここまで確認して何となく、集団なら負けないと言う意味が分かった気がした。そして理解した。別に
なるほど、確かにこれならネイルやキース、グリーグやマッシュが相手であろうとも負けることは無いだろう。流石にあの二つの
連盟拠点に残してきている実働部隊は七十四名。木っ端な冒険者や傭兵が少数で来たって問題はない。
満足の頷きをしながら、ずっと確認し続けていたジャスパー集合体の三人を直接肉眼で見た。
死屍累々だった。
三人から離れたところには三十を超える傭兵達が呻きと悲鳴を上げながら転がっている。どう見ても全員が四肢を砕かれるかへし折られている。矢で四肢を地面に縫い付けられている傭兵も居るが、もしかしなくても
敢えて殺していないのは、僕が薄ら「後で色々聞かないとな」と考えていたのを考慮してくれたのかも知れない。
呻き続けるそいつらを見下ろす三人の表情は、普段僕に甘えてきたり冗談を言い合っているものとはかけ離れている。
それは正に
少しだけ、城塞都市ポルポーラでネインが言った言葉が理解出来た気がする。
僕の視線か感情か、それに気づいたミミリラと、それに釣られるようにニャムリとピピリの二人が僕を見てにっこり微笑んだ。耳や尻尾が動き回っている。伝わって来る感情は「褒めて」、だ。僕は苦笑して手を振った。
他に視線を向ければ、サガラの皆が張り切って敵を殺していた。もう彼らが戦っているのは阻害魔術がかかっている傭兵達だ。先程まで通常の傭兵を圧倒するような戦いを見せていたサガラだ。ここからは殲滅戦みたいなものだろう。
例え逃げようとしても不可能だ。元々速度等級値の高い種族であるサガラに、僕の支援魔術がかかっているのだ。逃げ切れる訳が無い。今も背中からばっさり斬られている愚か者が居る。逃げるなら最初から襲って来るなという話だ。
それにしても皆、普段溜まった鬱憤でも晴らしているのかと言うくらいに張り切ってるな。ニールとかあれ、獰猛な笑みなのか愉悦の笑みなのか最早分からないんだよな。顔が狼のそれになっているから、完全に獣の威嚇の笑みだ。
そう言えば愛玩動物の中では褒めて欲しくて獣を狩って持って来るものも居ると聞く。あるいは指示されたことをこなして褒めて貰おうとするとか。
先程の三人とサガラのこの光景を見て、僕はそんなことを思い出していた。
さて、と僕は新しく動き出した多数のそれに意識を向ける。直接視線を向けると、ようやく領主混合軍がこちらに向かって動き出していた。
ある意味ここからが本番かな、と思いながら僕は彼らを迎える準備を始めた。
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