第65話 ザルード家の秘技
僕達は残り二つの要衝を、あっさり終わらせることになった。
それは決して、僕が望む終わらせ方では無かったけれど。
※
「んー、おかしいな……」
「この辺り?」
「ああ、斡旋所で見た地図ではこの辺りで間違いないんだが……」
「何も無いですね」
「のどかなのん」
目的地と思われる場所の近くに来た僕達だったけれど、その地点には要衝も町らしきものも見当たらなかった。
まさか要衝を作らず平地でそのまま波を待ち構えているなんてことは無いだろう。そもそも地理を把握している斡旋所がサドヴァと言う町があると言っているのだから、要衝を作る作らないに関わらず、市民が逃げ出した後の町そのものはある筈だ。
「一応これ」
そう言って三人に各種回復薬を数本ずつ渡す。僕も一応二本ずつくらいは飲んでおこう。
「って言うか。【
「全く?」
「ああ、全く。もしかして移動したのか? いやでもそれなら要衝残ってるよな」
「斡旋所の地図がそもそも間違えていたのでは?」
「そっちの方が納得出来るな」
飲み終えた小瓶を【
「少し走るか」
記憶にある地図を頭に思い浮かべながら、町がありそうな方向に走る。遠目に見る限りではそんな場所は無く、これは本当に地図が間違っていたかと思っていると、ミミリラが思念で声をかけてくる。
《ジャスパー、あっちに何かある》
《ん?》
言われてそちらを見ると、確かに何かの跡地らしきものがある――いや違う。
【
近くまで来てようやくそれが何なのか分かった。
そこには完全に破壊され尽くした、要衝らしき建物の残骸があった。
「これは……もしかして」
「ああ、波に飲まれたな」
波に飲まれた。
つまり大発生と言う魔獣の大群に全てを食われ、破壊し尽くされたのだ。
よく見れば、辺りには風化しかかっている血の痕らしきものも見える。数多くの食い千切られた鎧や折れた剣、曲がった槍の残骸もある。
ふと見覚えがあるものが視界に入り、しゃがんでそれを手に取ると、汚れへしゃげた
「……」
「大丈夫?」
胸をかきむしりたくなる情動が湧いた。大事な何かを奪われたような感覚だ。
何だろう。何故だろう? ここは発生推測地点に近い。だからより多くの兵や冒険者達が居て、強固な砦を築いていた筈なのだ。それがどうして落ちた? 何故飲まれた? そんなにも大きな
と、そこで気づく。顔をミミリラに抱きしめられていた。ニャムリとピピリも後ろから抱きしめてくれている。その温もりと匂いに、気持ちが落ち着いていく。
一度大きく息を吸い、顔を上げた。
「助かった」
「うん」
「いいですよ」
「元気出してね」
ピピリの口調がやけに耳に残った。彼女の口調が変わる程に僕は酷い状態だったのか。僕の視線の先、見上げたミミリラの顔はどこか泣きそうにも見えた。かなりの心配をかけてしまったようだ。
僕は立ち上がった。
「大丈夫だ。本当助かった」
「うん」
僕はもう一度だけ周囲を見渡し、その景色を瞳に、記憶に焼き付けた。
※
夜。昨日と同じように街道沿いで野宿をすることにした。
僕達があそこに到着した時点でもう夕暮れ間近だったし、何より今日はここで終わると決めていた。だから大人しくあの場から離れ、こうして身体を休めている。
僕達は現在のところ、東から西に向かって進んでいることになる。一番東にあったシシリアード地区のレーニル町。その左隣のクーレイド地区のマリラ町。そして最後に訪れたサドヴァ町は更に左隣のスタード地区になる。
残り一つの要衝地である城郭都市セントナは同じくスタード地区にあり、今までの要衝地の中で最も大きな規模となっている筈だ。ここは発生推測地点に最も近い。どれほどの魔獣が腹を空かせているか想像も付かない。
正直に言おう。本音を言おう。今すぐそこに向かって全力で足を進めたい。こんなところで休んでいる暇はあるのかという自問自答がひたすらに頭の中で浮かんでは沈み、また浮かんでくる。
今こうしている間にも大きな波に襲われているのでは無いかと考えるだけで吐きそうな程に胸が苦しくなる。自分の選択は正しいのか、間違っているのか。間違ってない筈だ、とこの数日で学んだ僕が言う。本当にそれで良いのか、と今までの僕が言う。
目を瞑ることすら恐怖する僕は、現在ベッドの上で仰向けに寝ている状態だ。左右ではニャムリとピピリが腕を抱きしめていて、胸の上にはミミリラがうつ伏せに寝ている。
普段であれば心地よさを感じるその柔らかさすら煩わしく感じる。大きく息を吸い、吐く。落ち着かぬ自分が気にかかり個体情報を見ても、状態の欄には何も表示されていない。こんなにも心臓が鳴り気分も悪いのに。
咄嗟に【
これはいけない。寝なければ回復量は上がらない。
そう思い無理やり瞼を閉じた時、唇に柔らかい感触があった。すぐに分かった。ミミリラに口づけられていると。その直後に鼻腔に入り込んできた匂いで確信した。
そのまま舌を割り込ませてきたので素直に応じた。二人のそれを交わらせていると、【
ただただ心配し、癒そうとする気持ち。そして何故か本人が泣きそうな程の切ない気持ち。それらが僕の中に染み渡り、先程まで胸の中を埋め尽くしていた不安と焦燥をかき消していく。
それがもっと欲しくて、僕は自分から唇を押し付けた。すると、ミミリラの両腕が僕の後頭部に回され、強く抱きしめられた。まるで元々一つであったかのように合わさった唇と唇。一つになろうとする舌と舌。
どれ程そうしていただろうか。気づけば僕の中にあった不快なものは全て消え去っていた。それに気づいたのか、ミミリラが顔を離していく。
僕達は濡らした唇をそのままに、ただ見つめ合う。
「感謝する」
「うん」
言葉はそれだけで十分だった。だって、僕達は違う部分で繋がっているのだから。魔術で、魔力で、そうじゃない。もっと深いもので繋がっていると、何故か確信出来た。
その後もう一度軽い口づけをして、僕達は眠りについた。
※
目覚めた朝は驚く程に爽快だった。
昨日感じていた重たいものが全て抜け落ちていったかのような身体と心の軽さ。
それを感じ取ったのか、ミミリラもニャムリもピピリもどこか機嫌が良さそうだった。まぁ多分、この二人も昨日起きていたんだろうな。でないと起きた時に心配そうに僕を見てくるなんて無いだろうし。
四人共が気持ちの良いままに朝食を取り、少しばかり食休みをしてから出発となった。
もう生命力と精神力も随分と回復してきている。特に今日は恐ろしい回復量だった。気分がよかったからなのかな、なんて苦笑すら浮かぶ。
そうしてまたいつものように【一心同体】で三人を浮かし走りだす。
同じ地区で場所が近いこと、そして精神力も随分回復していると言うことで
出来れば早く終わらせて、その足で城塞都市ポルポーラに向かいたいものだ、なんて思いながら、足を進め続けた。
そしてたどり着いたそこで、決して見たくなかった光景を目の当たりにする。
《嘘なのねん》
ピピリが零した心の声は、正に僕達全員の代弁であった。
昨日のサドヴァ町と同じように、完全に破壊され尽くされた要衝。
それだけじゃない。ここは城郭都市。やや低いものの、都市を覆うように城壁が囲んでいる。その城壁すらも半分以上が崩されている。中に残っていただろう建物もその殆どが瓦礫の山と化している。
悲惨。ただその一言しか思い浮かばなかった。
「――あ」
そこで気づく。
城郭都市セントナとサドヴァ町の要衝は最初の二つの要衝よりも多くの戦士達がいた筈だ。何せ発生推測地点に近い上に一つは城郭都市を砦として守っていた程。間違いなく他の二つよりも遥かに大きな波を押し留めていた筈だ。
そして現在、発生推測地点に近い、規模の大きな二つの要衝が波に飲まれてしまっている。
――では、その二つの要衝を飲み込んだ巨大な波は、どこへ行った?
そのまま東に向かうことは無いだろう。南下することも無いだろう。
だって、もっと多くの人や食料がある巨大な都市が、ここから近いところにあるのだから。
「――」
全力で地面を蹴った。強化も技能も全開。出せる限界の速度で走り出す。
先程までは満足出来たその速度も今は酷く緩慢に感じる。遅い、遅すぎる。どうしてこんなにも遅いのか。僕が求めている場所まではまだ距離があるのに。
向かう先がどこよりも遠くに感じ、情けない程に顔を歪めながら走る。
走って、走って、走って――それからどれだけの地を蹴ったか。僕は足を止めてミミリラ達を下ろした。そして、それを瞳に映した。
辿り着いた丘の上。
数キロ先に見える頑強な城壁を構えた威風堂々足る、ザルード公爵の住まう城塞都市ポルポーラ。人口凡そ二百万が住む、ザルード領が誇る巨大都市。
長年に渡り凡ゆる敵を、凡ゆる魔獣を弾き、住まう人々を守り続けてきた広大なる不落の公爵城。
そこが今、魔獣色の波に飲み込まれようとしていた。
城壁の周囲は数え切れない程の魔獣に囲まれていて、既に第三城壁の城門は落ち、大量の魔獣が中に入り込んでいた。城壁にも魔獣という魔獣が張り付き登り越えようとしており、壁一面が魔獣で出来ているかのようだった。
都市内はもう魔獣だらけなのが見なくても分かった。
――どうしてだろう。優しいお祖母様の笑顔が脳裏に浮かぶ。
「戯けがぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
全力で駆けた。【万視の瞳】で確認すると、三つある城壁の内、二つ目の内側に既に大量の魔獣が入り込んでいる。
城塞都市ポルポーラは多層型城塞。城壁は全部で三層。最後の城壁を抜かれてしまうと、もう都市の防衛機能は失われ、そこに住まう全ての人々が魔獣の群れに飲み込まれてしまう。
それはつまり、公爵邸に大量の魔獣が押し寄せるということでもある。
「退けぇぇぇい痴れ者共がぁぁあああああ!!!!」
城門に向かって真っ直ぐ駆け抜けた。
視界に映る群れを剣で伸ばした光の刃で一閃し、その奥に見える開いた城壁目掛けて手を突き出す。先日の【
更に道を塞ぐ群れを斬り裂き吹き飛ばし燃やし貫き駆け抜ける。視界一面全て魔獣のそこを斬り開き、ようやく見えたその第二城壁門。その前に立ちふさがる巨体に目を見開いた。
巨人種が何故ここに?
人の何倍にもなる巨体を持ち、その身に恥じぬ怪力を誇る。個体によっては火の息を吐き、人の鼓膜を破る程の
そう、彼らは魔獣ではない。亜人族は巨人種、立派な知性ある生物なのだ。
「何をしておるか
今正に頑強な拳を振り下ろそうとしているそいつの首めがけて跳び上がり、光で伸ばした剣で一気に切り飛ばす。僅かな抵抗も無く通ったその刃の後を追うように、巨人種の首がズレ、身体が倒れていく。その巨体によって何体もの魔獣が潰された。
これで城門は壊されていない。だが第二城壁内側の生活圏には既に大量の魔獣が入り込んでいる。
この都市の城壁にはそれぞれ四つの城門が設けられている。大量に魔獣が入り込んでいると言うことは、第二城壁門のどれかが壊されているか、あるいは城壁を登る魔獣に侵入されたのだろう。
事実僕が見える範囲でも、手を使える魔獣が次々に城壁を登っていっている。場所によっては互いの身体を積み重ねてそこを坂道に走っているものまでいる。
嫌な考えに歯を噛み締める。それを振り払うように右に身体を向け足を進めようとした。城壁を越える為に積み重なっている魔獣を利用する為だ。
その一歩を踏み出した瞬間だ。甲高い爆音が響き、ゆっくり門がこちらへと倒れてきた。急ぎ跳んだその場に、頑丈な鉄の門が音を鳴り響かせながら倒れ込んだ。
「――」
門の向こうには僕を見据える巨人種が居た。破壊したのはあいつだろう。
その姿に、先程の嫌な考えが脳裏に浮かぶ。再び歯を強く噛み締めた。
そう、分かっていた。分かっていたさ。【万視の瞳】には第一城壁に接している魔獣の反応があるのだ。今この瞬間も、大発生の本流が止めど無く第二層に流れ込み、その大群が第一城壁に襲いかかってる。それが何を意味するのかだって、分かっていたつもりだった。
だけど、目の前の光景に、改めてそれを突きつけられた気がした。僕を見下ろすその巨人種の瞳が、まるで嘲笑しているように見て取れた。
――無様だな、と。
その巨人種の顔を【
この勢いでは間違い無く、この都市は落ちる。
一人では間に合わない。都市中を駆け巡って倒していってもどれだけ時間が掛かるか分からない。直接第一城壁を守ろうとしてもあれは一周が数キロ以上ある。守りきれる訳が無い。
【ザルードの槍】でも十万を優に超すこの数は対応しきれない。対象が十倍に変わったから精神力の消費量も十倍と言う訳ではないのだ。ましてや
――それとも、己の死を前提に倒せるだけ倒すべきか?
そんな考えに内心首を振る。殺しきれるか分からないし、もし発動した瞬間に僕が死ねば、その魔術が効果を発揮するのか分からない。
どうすればいい? どうすればいい? どうすればいい?
「何が――」
剣で胴体を斬り捨て、拳で首を殴り飛ばし、足元に倒れた魔獣を内臓が溢れる程に踏み潰し、新たに姿を見せた巨人種すら純粋な物理攻撃でなぎ倒す。でも足りない。この程度では微塵も役に立たない。
「何が――」
英雄級の力が手に入った?
戦に大勝する指揮を見せた?
万を越える魔獣を圧倒出来た?
そんなもの、今この場では糞程の役にも立たない。
「――何が出来るものかこの無能がぁぁぁぁあああ!!!!」
叫ぶと同時、自分を中心に光の輪を一気に広げ周囲の魔獣を二つに分かつ。
僕は結局、何も変わってなんていなかった。無能は無能。力を得たからと言って何を成すことも出来ないのだ。
ミミリラは言った。無能とは何も成せず生きる価値が無い者だと。
そうだ、僕がそうだ。生まれた時から何も成せず、国王と王妃という父と母の間から最初に生まれただけで王太子となった、価値無き存在だ!
それを今、この重大な時に思い出すとは、それこそ無能の証明!!
そんな激情に胸を駆られながら、少しずつ第二層の中を進んで行く。もう遥か向こうまでが魔獣の波に飲み込まれている。一面が魔獣の
それでも不思議と分かる。見覚えのある景色だ。僕が幼い頃、馬車の中から幾度も見たあの大好きな景色だ。
それが今、汚されている。侵されている。踏みにじられている。
「ああ……」
幼き頃から僕を救ってくれた場所が失われていく。
あの救いと幸せに満ちたお祖父様とお祖母様の居る場所が奪われていく。
あの。あの。あの、お屋敷が――
『良いかカイン、泣いてはいかん』
――ふと、記憶が蘇る。
『お主にはこの先、必ず辛い時が訪れる。されど、泣いてはならぬ』
これはある日、お祖父様が僕に言い聞かせた言葉だ。
まだ何も知らぬ頃、お祖父様をじぃと呼んでいた頃。お祖父様の屋敷の庭で、僕の頭を撫でながらお祖父様は言い聞かせるように言葉を紡いでいた。
『お主は国王と王妃の間に生まれた第一子。この国の次期王となる存在。それを
その言葉に込められた意味は、当時の僕には全く伝わっていなかった。僕はただ頷き、分かりましたと答えただけだった。
『うむ。それで良い。その頷きを胸に歩み続けよ。
だから、とお祖父様は言う。
『お主は王太子。泣かず、
そう言って頭を撫でてくれたお祖父様は、その後に内緒だと言って見せてくれたものがあった。
――ああ、思い出した。僕が今忘れていたのは無能であることではない。誰よりも王太子であることだ。あの言葉があったからこそ僕は前を向けた。己が無能と理解しつつも、誰に
――そう、“私”はカー=マイン。誰が何と言おうとこの国の王太子。
その王太子は何があろうと膝を着くことは許されぬ!!
「
周囲の魔獣を一気に吹き飛ばし駆ける。
そうだ、何を弱気になっている。私は歩き続けたではないか。何があろうと王太子である自分を胸に、歩き続けたではないか。何を今更恐れるものがあるか。私はただ前を向き、歩くだけで良いのだから!
他の誰でも無い、私カー=マインが彼らにその道を見せてやらねばならぬが故に!
そうして見えた先。まだ張り付かれてはいるものの、城壁を登ろうとする不埒者を蹴散らしている兵士や冒険者達の姿がある。強固な門もまだまだその威風を崩すことを許していない。
ならばやれる。やれぬ道理はどこにも無し。
第一城壁まで近寄ると同時、その手前で思い切り地面を踏みしめ一気に跳んだ。英雄に匹敵する王太子の跳躍だ。乗り越えられぬものなどありはしない。
そうして飛び乗った城壁の上、そこから視界に映る第一層の中を見つめた。視力を高めなくたって分かる。遥か先には、あの優しい屋敷があった。
「おいあんた何してる!? どこから来た!? 何でも良いから手伝え!」
近くで戦っていた冒険者が怒声を浴びせてくる。今の私にとってはそれすらも心地よい。
だから、その者に対して笑ってやった。これ以上ない程の、不遜な笑みだ。
「黙っておれ」
「あっ!?」
「黙っておれと言うておるのが聞こえぬか?」
冒険者は怯えたように一歩下がった。それで良い。
振り返り、襲いかかる魔獣の群れを見下ろす。何とも汚らしい存在だ。これがお祖父様の都市を蹂躙しているのかと思うと虫唾が走る。
思い切り息を吸う。
「無礼者共がぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!!」
その声は、きっと都市の全てに響き渡っただろう。
「ここを
再び大きく息を吸う。
「貴様らのその罪、万死に値する!! 今この時、ザルード公爵に代わり私が罰を下してくれようぞ!! その光栄に
言い終わり一つ呼吸をしてから、天を仰いだ。
その先へ届かんばかりに腕を伸ばし、手のひらを掲げた。
――あの日、お祖父様は私に大切なことを言い聞かせた後、一つの魔術を見せてくれた。それはザルード家に代々伝わる魔術で、本来は当主にのみ教えられる秘伝の技だと言う。
今思えばそれは仕組み自体は単純で、ただその結果を
何故なら、私は
ここは水と火司る、ザルード家が守護する地である。そこを汚す者共にはこれ以上無く相応しい
【万視の瞳】を魔獣の反応が無くなるまで広げる。意識の中に映る魔獣を示す反応全てを認識する。これで目標は出来た。後はそう、その魔術を創造するのみ。
さぁ姿を見せろ。
それを成すはカー=マイン。アーレイ王国王太子にしてザルード公爵家当主の孫である。
「『尊き二色の礎よ。今一度の邂逅を。噛もうと合えぬ一時に』」
【万視の瞳】の中、全ての魔獣の前に紫色の玉が生まれたのが見て取れた。僕が知るそれよりも遥かに小さいけれど、確かに生み出されたそれ。
――お祖父様曰く。本来水と火は相反する属性であると言う。どちらかが強ければどちらかが消える。そんな決して交わらない属性。
しかしその配分を上手く調整してやると、互いの属性が反発しあう瞬間を生み出すことが出来ると言う。これを凝縮し魔力で封じ込めてやると、その中で互いの反発力が高まり、魔力を開放した時に強力な破壊を生み出すと言う。
これこそがザルード家に代々伝わる秘技、その名も――
「【
――天に掲げた手のひらを、強く握り締めた。
「……ははは」
第一城壁の外、都市中に広がる、美しさすら感じさせる紫色の強烈な閃光と爆発。
十万を越える小さな爆発が一斉に存在を
凄まじい光景だった。見える全ての魔獣の頭や身体が爆発で吹き飛んでいく。敷き詰められた魔獣の絨毯がまるで強風に凪いだ草原のように倒れ沈んでいく。
「は……はは……」
頭痛がする。目眩が視界を揺らす。咄嗟に後ろに重心を傾け、そのまま城壁上に落ちる。思い切り頭を打つが、痛みはそう無い。
「おいあんた大丈夫か!」
先程の冒険者が駆け寄って来るが、返事が出来ない。全身の力が抜けていく。
個体情報を見なくても分かる。間違いなく精神力は枯渇して、生命力を大量に奪い、今も尚削り続けている。【ザルードの槍】を創造した時なんて比較出来ない程の脱力感が満身を蝕んでいる。
【紫玉の嘆き】はその威力とは裏腹に、単純な魔術を合わせただけなので精神力の消費量は少ないと思っていた。それは正しかった。だからこそ、魔術もきちんと発動してくれた。
しかし、純粋に魔獣の数が多すぎた。これはいけない。このままでは確実に死んでしまう。
「――」
父上の勇ましい顔が浮かぶ。
母上の柔らかい顔が浮かぶ。
弟の親しみ溢れる顔が浮かぶ。
お祖父様の朗らかな顔が浮かぶ。
お祖母様の優しい顔が浮かぶ。
ジャルナールの賢しげな顔が浮かぶ。
ロメロの実直な顔が浮かぶ。
エルドレッドの逞しい顔が浮かぶ。
ニャムリやピピリ、ニールにガガール、シリルにイリール、ヒムルルと言ったサガラの面々の顔が浮かぶ。
――そして、ミミリラの愛らしい顔が思い浮かぶ。
どうしてだろう。皆の顔が、見えていたそれが消えていく。今見えている空の向こうに薄れて見えなくなってしまった。それどころか段々と視界すら暗くなっていく。
それが、猛烈に苦しく感じた。今すぐ泣きたくなる程の胸の痛みが襲ってくる。
気づかされた。改めて思い知らされた。自分は一人で生きることは出来ない、そんな弱い人だったんだと。
だって、皆と会えなくなることがこんなに怖いだなんて、知らなかった。
「――」
――けれど、ああけれど。私は冒険者に向かって笑ってやった。
どんな時でも、王太子は弱き姿を見せないのだから。
どれだけ力を込めようとも、彼らに向ける声は出てくれそうに無い。
だから、せめて笑みだけは絶やさなかった。不遜な笑みを浮かべたまま、もはや薄暗闇の向こうにしか見えない冒険者の瞳を見て、気持ちを伝える。
放った【紫玉の嘆き】は不完全なもの。巨人種や力ある魔獣のように、生命力の高い奴は生き残っているだろう。誠残念なことながら、それはもう私では倒せない。
だから、まぁ、お前達。自分の家でもあるのだから。後は、任せ――
――そこで、私の視界は完全に暗闇に覆われた。
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