第62話 狂った心、病んだ魂

「久しぶりにこんなに食べた気がするな」

「私は初めて」

「私もです」

「私もなのーん」


 丸型のテーブルの上に置かれていた料理を食べ終えるなり、その場の全員が背もたれに身体を預けた。

 誇張抜きに普段の五倍以上は食べただろう。それでもまだ食べられそうな自分にびっくりだ。他の三人もそうなのだろうか。


「そう言えば俺は倒れてたからよく分からないけど、三人とも急激に魂位上昇レベルアップした時、何も無かったか?」


 言うと、三人とも思い出すように考え込んだ。

 最初に口を開いたのはミミリラだ。


「身体がムズムズと言うかくすぐったい感じはあった気がする」

「あ、それ分かります。あと何かちょっとぽかぽかしましたね」

「私は自分の中が膨らむ感じだったのん」

「ああ、それも分かります。力が湧いてくると言うか、変な感じでした」

「へぇ」


 そう言えば似た感じは以前にもあったなと思い出す。

 ジブリー領で『木で出来た埴輪クレイウッド』を倒した時だ。あの時は気が昂ぶっていたこともあって気のせいだと思っていたけれど、間違いではなかったんだな。

 他には無いのかなとミミリラを見ると、逆に見返された。何だろう?


「私はジャスパーが心配で正直それどころじゃなかった」

「それなら仕方無いな」


 それを言われては僕としては何も言えなくなってしまう。

 これはいけない、話題を逸らそう。


「本来急激な魂位上昇って言うのは良くないことなのかもな。あんまり聞かないから知らなかったけど」

魂位レベルが数百以上一度に上昇するなんて初めて聞きましたよ」

「でもさ、例えば魂位が低い案内人ガイド荷物持ちポーター万能人レンジャーがたまたま危険度第5段階とか6とか倒したらあってもおかしくないんだよな。特に万能人とか」


 万能人とは偵察、索敵、罠の発見・解除、剥ぎ取り、採取等、冒険者に取って必須とも言える技能に優れた職のことだ。実際の各種集合体パーティーの中にはこれを専門としたものは基本的にいない。それぞれの技能をそれぞれ分担して覚えているからだ。

 ただ、未踏の魔窟ダンジョン天至の塔バベル、大森林等々、完全に未知の場所に足を踏み入れる時には案内人と併せて雇うことがある。


 そんな万能人は集合体が休息する時に罠をしかけることがあり、それに魔獣が引っかかることも少なくないと言う。

 その罠によって魔獣を倒しに倒し、行く時には一番弱かった万能人が一番強くなって帰って来た、なんて冗談話まで生まれている。

 実際にそんなことがあったかどうかは分からないが、そう言った運の良い急激な魂位上昇があってもおかしくはないと思うのだ。


 そう思う僕に、ミミリラが突っ込みを入れた。


「ジャスパー」

「ん?」

「危険度第5段階以上を単独で複数討伐はあっても、3から5を万単位でまとめて倒す存在なんて普通はいない」


 ミミリラが言うと、ニャムリとピピリが「ああ……」と言う顔をする。確かに言われてみればそうだ。僕だって覚醒して初めてなんだから。


「まぁ、今後は気を付けないとな」

「本当に止めて欲しい。今日も倒れた姿見た時は悪寒が走った」

「ですね」

「何かが終わった気がしたのん」


 流石にそこまで言われると大げさな気がするが、まぁ主人が死にかけた訳だし合ってるのか? そんな気持ちにさせてしまった側だから何も言えないが。

 どちらにせよ僕だってまだ死ぬつもりなんて毛頭無い。


「俺もまだ死にたくないから気をつけるさ。まだって言うか、そもそも死にたくないからジャスパーになってるんだけどな。今はサガラの為って言うのもあるか。死んだら約束破りになるしミミリラも困るだろうしな」

「サガラはどうでも良い」


 その言葉に、一瞬空気が固まった。


 思わず瞠目とともに凝視したミミリラの顔は、しかし普段と何も変わらないものだった。視線を向けると、ニャムリとピピリの二人も驚愕と言った表情を浮かべている。恐らく僕も似たような表情をしているだろう。

 今、冗談抜きでとんでもない発言を聞いたぞ。


 そんな動揺する僕達に、ミミリラが言葉を続ける。


「私はもうサガラの為に尽くした。サガラは安寧を得た。今の私はジャスパー……カー=マイン様の為だけに生きる存在だから。それ以外はどうでも良い」


 そう言って、ミミリラはサガラの二人を見た。


「もちろんニャムリもピピリも大事だし、サガラの皆も大事。でもジャスパーとは比べられない。この言葉はサガラの皆に伝えてくれても良い」

「ミミ……」

「むむむ……」


 僕はその言葉を聞いて尚、反応出来ないでいた。自分の身を捧げてでも守ろうとした一族のことをどうでも良いだなんて言えるミミリラが、本当に理解出来なかったのだ。

 あの日、涙に顔を濡らしながら僕に頭を下げたミミリラに嘘は無い筈だ。それなのにこうもあっさりどうでも良いだなんて。


 これは決して主人に対する忠義や忠誠と言ったものでは無い。最早もはや狂信。神の存在こそを唯一とする狂信者と同じだ。

 最初は救いの為に神に祈る者も、一度進む道を外せば神の為だけに生きる狂信者へと成り果てる。


 今のミミリラは正にそれだ。一族の安寧を目的とし、その為に僕に救いを求め尽くすという手段を選んだのに、今では僕に尽くすという手段が目的へと変わっている。


 僕は指でテーブルを叩き、【変化ヴェイル】を解いた。

 これは曖昧なままに済ませていいことじゃない。互いに理解ある状態にしておかなければ今後の関係に差し障りがある。よって、一切の虚偽は許されない。

 ここからはカー=マインとサガラ族長とのやりとりだ。


「ミミリラ」

「はっ」


 同時に三人が跪いた。それを見て、僕は立ち上がった。


「貴様、始まりに求めるは安全。続き求めるは安寧」


 そう言いながらミミリラの正面で膝を着き、指で顎を持ち上げる。

 その瞳、美しい。こんなにも心が狂っているのに、澄んだ透明な光を保っている。


「では今貴様が求めるは何か。答えてみせよ」

「安堵安楽。カー=マイン様の御側に仕え、ただ御身の為だけに生きることで御座います。その存在を感じることこそが恐悦至極に御座いますれば」

「貴様、傲慢の極みと理解しての言葉か?」


 分かった。ミミリラが求めているのは自分だけの幸福だ。そこにサガラ一族は入っていない。やはり狂信者と全く一緒だ。彼ら彼女らも、ミミリラも、結局求めているのは自分が求めるがままの幸福だ。

 果たして何と返事が来るか待つ僕に、ミミリラは間も無くしてその愛らしい唇を開いた。


 出てきた言葉に感じたのは、愛らしさの真逆だった――即ち、憎悪。


「恐れながら。私は傲慢ではありませぬ。ただ無能なだけに御座います」


 殺す。


「私を前によくぞ申した。褒めてつかわす。褒美だ。死に方を選ばせてやろう。口にせよ」


 首を掴んで持ち上げる。こんな軽い小娘如き片手も要らぬ程。僅かに力を込めれば喉の骨、一瞬で砕けるだろう。


 本当によくぞ言えたものだ。まさか僕に対する返答に無能だなんて。

 それも無能とは比べ物にならない程の優れた能力値を持っていながらだ。これ程の屈辱は生まれて初めてだ。王城の中ですらこれ程のものは無かった。

 あの日ミミリラは僕に全てを捧げると金の神に誓ったが、まさかこんなにえのような捧げ方をされるとは思いもよらなかった。

 まぁ良いだろう。短くもこれまで仕えた褒美として僕の手で世界へ還元してやろうではないか。


 僕の手の中で苦しそうに歪む顔を見ながらなんと答えるか待っていると、ミミリラの小さな唇が笑みを象った。


 思わず手を離した。


「何を思う。何故笑う。何が貴様をそうさせる」


 足元のミミリラはえづき、咳き込み、先程食べたものを嘔吐した。止まらぬその苦しみがどれほど過ぎたか。吐くものを吐いたミミリラは自分の顔に【還元する万物の素リターン・オブ・マナ】をかけて視線を上げた。

 その顔は幸福に満ちた微笑みに彩られていて、それを僕は、何故か美しいと思ってしまった。


「能とは成し遂げる力、無とは存在無きこと、即ち何も成せず生きる価値無き者。王太子殿下は無能と呼ばれ無能にあらず。されど、私は誠の無能。貴方様の存在無くば何も出来ぬ無能者で御座います」

「……」


 本当に嬉しそうに自分の能力――即ち存在価値を否定する女に、僕は一つ尋ねた。


「何が貴様をそうさせた」

「里が滅びた後、皆があてもなく彷徨いました。不安に先が見えぬ中、幼く一族の長となった私を皆が寄る辺よるべつどいました。支えてくれる者あれど、行く宛も無く私は一族を引き連れ各地を怯えながらに渡り歩き、王太子殿下まします城塞都市ガーランドへとたどり着きました」


 そこで小さく、ミミリラは息を吸う。


「それでも不安は尽きませぬ。先は無い、追われるがままの里人。それを導かねばならぬ無能な長。そんな中、貴方様に出会いました。私が求めた安全な場所を貴方様は与えて下さいました。先へと続く安寧を、縋る私に下さいました」


 ミミリラが小さく首を振る。


「お解りになられますでしょうか? 私が五年、ただ探し求めるしか出来なかったそれを、貴方様は何事も無く、当然のようにお授け下さいました。豪奢ごうしゃ足る屋敷を目にした時、感じた安堵に涙しました。初めて情けを頂いたあの日、荷が下りた肩の軽さを覚えました。連日続いた恐れ多い寵愛の日々に、幸福が総身そうみを満たしました」


 僕を見るその目。その奥に、光と闇を見た。

 人見の瞳。僕は今、確かにミミリラの奥底を見ている。


「初めてでした。求めていたものを与えて下さった。一族の長ではなく私を求めて下さった。幸福を与えて下さったのは王太子殿下だけだったのです」

「たまたまだ。そこに違う上位者がおれば違った話よ」

「私をそうして下さったのは王太子殿下です。それ以外の塵芥ちりあくたはどうでもよいのです」


 よく分かった。ミミリラは僕が安寧を約束したあの日に長である自分を捨てたのだ。そうして自分を満たす僕に救いを見た。例え身体であろうとも、求めてくれる、必要としてくれる僕に全てを捧げることで自分だけの安堵安楽を得たのだろう。


 狂ってるし、言い換えれば魂が病んでいる。はっきり解かった。こいつはもう決して引き返せない。それが、嫌と言う程に強く伝わってきた。


 僕はミミリラの全身の汚れ、腔内や地面の吐瀉物を【還元する万物の素ディ・ジシェン・ジ・マナ】で分解した。そうして膝を着き、再び顎を指で持ち上げる。

 僕の瞳とミミリラの瞳が交わった。


「よろしい。ならば改めて己の全てを捧げよ。髪の毛一本から爪先、全て私の物となるが良い。私の命の全てに従え。私の言葉を至上とせよ。他の男に僅かも触れさせることあればその場で自害せよ。その覚悟を持って金の神に誓うが良い」

「この身この心この魂、一片の欠片もカー=マイン様に捧げることを金の神に誓います。この約定、僅かにも違うことあらば自ら命を断つことを金の神に誓います」

「今の言葉、契約紋カラーレス・コアとしてその身に刻むことを金の神に望むか?」

「望みます」

「よろしい」


 そう言って、僕はミミリラに口づけた。腔内を犯すくらいに舌を差し込み、応えてきたミミリラのそれと絡み合わせる。

 暫くそのまま口づけを続けて離す。開いた瞼のすぐそこに、ミミリラの瞳があった。


 人見の瞳。僕以外の全てを捨てた女の、確かな狂信がそこにはあった。



 ※



「まぁ固くるしいのはここまでで良い。おいニャムリとピピリ。ミミリラが腹が空いているだろうから新しく作れ」


 姿をジャスパーに戻した僕はそう言って新しい食材をボンボンと出していく。

 ミミリラの可愛いお腹の中身はどこかの誰かのせいで空っぽだろうし、何やら話している内に僕まで腹が空いてきた。


「あ、はい。畏まりました」

「分かったのねん」


 そう言って準備を始める二人に、僕は【還元する万物の素】をかけてやった。僕がミミリラの首を絞める瞬間に漏れ出た魂の波動が原因かは知らないが、二人の猛烈な恐怖が僕に届いてきていたのだ。

 さっき口づけが終わった時に視線を向けて確認すると、膝を着いたままの二人の股ぐらの下に水溜りが出来ていた。まぁこの【還元する万物の素】は優しさだ。そのままの方がそれはそれで面白かったかも知れないな。


「しかしお前、今後あの二人との付き合い大丈夫か?」

「問題ない。そもそもあの二人とはサガラの中で一番関係が深いから。多分いつも通りだと思う」

「へぇ。前々から気になってたんだけど、お前とあいつらの関係って何なんだ?」

「ニャムリが異母姉妹。ピピリが従姉。ニャムリは私の世話役で姉みたいな関係。ピピリは私の遊び相手。二人共幼馴染」

「ああ、それは確かに関係深いな」


 通りで三人共似ている部分がある訳だ。そう考えると姉妹を抱いたんだな。いや、この言い方って何か酷く淫猥だな。駄目だ、思考がニールに似てきている。

 って言うかサガラって全員幼馴染みたいなもののような気がするんだけどな。


 そんな感じで、一見何も変わらぬままにミミリラの尻尾や耳を触りながら二人の調理姿を眺め、また結局四人で食事を取り、日も暮れない時間からキングサイズのベッドで四人くっついて眠るというよく分からない状態で暗くなるまで過ごし、そして夜になってまた四人で晩飯を食べてから一日を終えることとなった。


 何だかとんでもない一幕もあったけれど、僕にとっては何も不都合は無い。自分だけの優れた配下であり至上の女が生まれたのだ。喜びこそあれど、それ以外は何もない。精々せいぜい昼も夜も僕に尽くして欲しい。


 明日からは今日のような迂闊な失敗はしないようにせねばいけないな。

 そんな思いを抱き、僕は三人に包まれたまま意識を閉ざした。


 ちなみにそう言ったことは流石にしなかった。

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