機械人形に捧ぐ終末の讃美歌

世楽 八九郎

トトと星空

「負傷兵万歳だっ!」


 青黒い夜空に少年の歓喜の声が響き渡る。金細工のように眩い満月の輝きに霞むことのない笑い声をあげながら少年がぴょこぴょこ草原を跳ねまわっている。彼の右脚は膝から下を欠損しており、その動きは危なっかしい。それでも彼は構わずに跳ね回り笑い続ける。やがてバランスを失い転り倒れたがそれでも彼は豪快にそれさえ愉快だと言わんばかりに笑い声をあげる。冷えた夜風に揺られた紅いサルビアの花が彼の頬をくすぐった。


「トト、何してるの?」


 倒れたままの片脚の少年に誰かが声をかける。トトと呼ばれた少年がそちらを見やると民家の玄関から女性が顔を覗かせていた。トトと同じくすんだ白色の髪の女性は軽い身のこなしで傍までやって来て訝し気な表情で彼を見下ろす。


「おう、テレジア。俺は今まさに『この世を我が手に』って気分なんだよ」

「意味が分からない」


 一見して姉と弟のような二人だが、少年のぶっきらぼうで偉そうな言動は年下らしからぬものだ。テレジアと呼ばれた女性の方もトトの態度に不快感を示さず、小首を傾げ彼の言葉を待っている。その様子はどこか幼さを感じさせる。


「いいか、テレジア。俺達はここで何もせずに三日滞在した。三日もだ」

「うん。トトが損傷したから」

「その通り。だから我が隊の人類捜索の任を中断した。それでいて俺は損傷の修復にも勤めなかった」

「そう。人間を探していないし、トトの修理もしていない」


 トトが自身の欠損部位を撫でる。膝にあたる球体関節は叩き潰すことで形を整えられ、はみ出した配線は切断されている。ヒトの身体を模した機械であった。


「ああ。もっともな理由にかこつけた職務怠慢だ。通常であれば上位命令マスターコードに引っかかるとこだ。けど、三日経っても警報アラートなし。わかるか?」


 頭をトントン突いてみせるトトを見つめてからテレジアはしばし考えるそぶりを見せたが、結局首を横に振った。


「……つまり?」

戦闘型ターミネーターは単純だなぁ。つまり、いくらでもサボれるってことだよ」

「人間を探さないの?」

「探さねーよっ、見つからねーし。もう滅んだんじゃねーの?」

「それは……」

「それこそ、あの婆さんが最後の人類だったとか」

「ありえなくはない。だけど……」


 三日前にトトとテレジアが立ち寄った際、民家には危篤状態の老婆とその飼い猫がいた。実に十年ぶりに発見した人間だった。戦闘型のテレジアは迅速に老婆に手をかけようとしたがトトが命令によってそれをいさめた。老婆は二人を見て何かしらを呟いてから静かに息を引き取った。その内容はトトにも理解できなかったが、老婆は穏やかな表情を浮かべていた。

 トトはテレジアに老婆の亡骸を埋葬させると、突然人類捜索の中断とこの家に滞在することを彼女に告げた。待機命令による手持無沙汰のままテレジアが三日を過ごした頃、トトが家を飛び出して今に至るのであった。


「いくらでもサボれる……負傷兵万歳ってわけさ」

「任務放棄が嬉しいの、トトは?」

「当たり前だろ。まるでこの星空に手が届くようだ」


 うっとりとした表情で両手を満天の夜空へと伸ばすトトを見てテレジアはぼそりと吐き捨てた。


「……トトは指揮官機ドミネーターのくせにバカだ」

「なんだよ?」

「デブリは危険。今日みたいな空だと特に」

「ハッ、二度も流れ星に撃たれるかっての。テレジアこそバカか?」

「…………」


 余裕綽々といった表情で笑ってみせるトトを睨みつけるテレジアであったがやがて踵を返し戻っていってしまった。


「……なんだよ、自由を手にした日の空だぞ。見ねぇのかよ兄妹」


 トトは寂し気に笑ってから夜空を見上げた。地上の灯りはとうに絶え夜空は無数の光に彩られていた。そのいくつかはときおり流れては地上へと降り注ぐ。それは人工衛星の欠片か、はたまた滅亡を目の前にした人類の悪あがきの残り香か。


「まったく置き土産が多すぎる。迷惑な連中だ。でも、この眺めは……悪くない」


 気まぐれな星空を眺めながらトトは笑う。

 人類の築いた文明が絶えて十年以上が経過していた。

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