番外編 魔道士ともう一人のアリス 4
しばらく歩いていると、スニフが何故か慌てた様子でチビアリスを追いかけてくる。
「アリス! 忘れ物だぞ!」
「え?」
振り返った拍子にチビアリスはいつものように足元にあった小石に躓きよろける。それを見たスニフが慌ててチビアリスの腕を掴んで支えてくれた。
「ご、ごめん!」
「本当にお前はドジだな。駄目だぞ、ちゃんと気をつけないと」
「うん……スニフ?」
笑ってチビアリスの頭を撫でようとしたスニフの体が、まるで石になったかのように動きを止めた。
ハッとして振り返ると、そこには魔法の黒板を持ったアランが怖い顔をして立っている。
「ア、アラン様?」
「アリス、君が好きなのは僕だよね⁉」
「……え?」
アランが一体何を言っているのか分からなくてチビアリスは思わず首を傾げると、アランは怖い顔のままチビアリスに近寄ってきてチビアリスの肩を強く掴む。
「アリスは僕しか好きになれない! 違う⁉」
「ち、違わない」
あまりのアランの勢いに押されたようにチビアリスはうっかり答えてしまった。それを聞いた途端、アランはさらに怖い顔をする。
「じゃあどうして? どうして僕を避けるの⁉ どうしていつもみたいに研究室に来ないの⁉ どうして……妹になってもいいかなんて聞きに来るの……」
「そ、それは……だって、私……元奴隷だし……」
「僕だって元孤児だよ。手足を縛られて口枷もつけられてた。君と何も変わらない」
「で、でもアラン様はクラーク家の跡取りだよ! 私はどこの子でもないっ!」
思わず叫んだチビアリスを今度はアランが強く抱きしめてきた。
「順番が逆だったら、きっとアリスがクラーク家の跡取りだった。僕がどこの子でもないって泣き叫んでた。ね? 僕たちは同じ。僕だけが……君の気持ちを本当に理解出来る」
「……」
「僕は君が好きだよ。君の前でだけ、クラーク家の跡取りじゃなくてただのアランで居られる。だから……妹になんてならないで。お願いだから……置いていかないで……」
チビアリスの存在は自分でも気づかないうちにアランの拠り所になっていた。突然放り込まれた高位貴族の重圧は自分で思っていたよりもずっと重く、それ以上に両親への感謝と恩を裏切れないという思いがアランをずっと縛っていた。
きっとこんな気持ちなど誰にも理解出来ないだろう。義務感じゃない。正義感でもない。愛情深くて優しすぎる両親に勝手に感じた恩に縛られ続けているだなんて、一体誰に分かるというのだ。
こんな気持ちを理解して共有してくれるのは、世界でたった一人チビアリスしか居ないではないか。
「わ、私も……アラン様の事が好き……でも、言っちゃ駄目って。立場が違うって……で、でも……嫌だよ。追い出さないで。ずっと……ずっと側に居たいよ……」
刷り込みだと言われてもいい。それでもアランの側に居たい。
初めて助け出された時から、初めて治療というものをしてもらった時からチビアリスにはこの人しか居ない。前髪の隙間から覗いた赤い目は優しくてとても寂しそうで、一瞬でこの人とずっと一緒に居たいと思った。
皆チビアリスに優しい。それでもアラン以上にチビアリスの心を掴んだ人は居ない。
チビアリスがおずおずとアランを抱き返すと、アランはさらに強く抱きしめ返してくれた。それだけで今までの全てが必要だった事だったのかもれないなんて思える。全てはこの人に出会う為だったのだ、と。
二人がそれぞれの思いを打ち明けて感動に耽っていたその時だった。
後ろから低い呻き声が聞こえてきて思わずアランとチビアリスがハッとして振り向くと、そこには顔を真っ赤にしてまだ動けないでいるスニフが居る。
「ス、スニフ!」
チビアリスが青ざめて叫ぶと、慌ててアランが黒板の文字を消す。その途端スニフはその場に膝から崩れ落ちた。
「は、恥ずかしい……穴があったら入りたい……」
「だ、大丈夫⁉ スニフ!」
「す、すみません、頭に血が上ってつい!」
部屋の中から見えたスニフとチビアリスがあまりにも仲よさげにしていたので、黒板を引っ掴んで後先考えずに動きを縛る魔法陣を描いてしまったアラン。
「つい、で動き止められちゃいい迷惑だ!」
「す、すみません。アリスとあまりにも仲良さそうで腹が立ってしまって。でも、聞いてたと思いますがアリスはもう僕のですから今後は手出し無用です」
街に下りた時もそうだったが、チビアリスはどこへ行っても声をかけられる。ここでしっかりと牽制しておかなければならない。
ドヤ顔でそう言ってチビアリスを抱き寄せたアランを見てスニフは目を丸くしている。
「えっと……いや、手出しも何も……俺、結婚してるんだが」
「えっ⁉ ア、アリス狙いではないんですか⁉」
「ないない! 娘よりちょっと上だぞ⁉ そんな感情抱ける訳ない!」
「そ、そうだよアラン様、何か凄い勘違いしてると思う!」
「か、勘違い?」
アランがポカンとして言うと、チビアリスとスニフは同時に頷いた。
「そもそも俺を含めアレックスチームがアリスに構うのは、皆アリスの事自分の子供ぐらいに思ってるからでだな」
「そうだよ! それに街で色んな人に声かけられるのも、私がしょっちゅうこけたりお財布忘れたりしてるからで……アラン様が思ってるような理由じゃないよ……」
それほど毎度ドジを踏んでいる事はアランにはバレたくなかったが、見境なくアランが皆に動きを封じる魔法をかけて回るのは困る。
「そ、そうなん……ですか?」
「そう……だよ」
改めて確認されると悲しくなるチビアリスだ。それを聞いてアランは耳まで赤くしてあからさまに狼狽えている。そんなアランとチビアリスを見てスニフは笑った。
「勘違いして良かったじゃないか。おかげでやっと思いが通じたんだから!」
「そ、それはそうですが……アリス、僕と結婚してくれる?」
これ以上恥ずかしいのは堪らないとついでのようにアランが言うと、チビアリスは一瞬目を見開いて涙を一粒零す。
「うん……うん!」
「良かった。それでは誤解も解けたことですし、父さん達に報告しないと! 行きますよ、アリス」
「うん!」
「おめでとう! アリス!」
差し出されたアランの手を取り駆け出す二人の背中にスニフが声をかけると、二人は振り返って満面の笑みを返してくれた。
本当にいつまでもグズグズと世話の焼ける二人だ。アイリーンからどうにかしてアランとアリスをくっつけてくれと言われた時にはどうしようかと思ったが、全て上手くいって本当に良かった。
胸を撫で下ろしたスニフは踵を返して早足でアレックスの研究所に戻った。今夜は祝杯だ。
アランとチビアリスが手を繋いでアベルの執務室に行くと、そこにはアイリーンも居た。二人は大きな溜息を落として一枚の書類を眺めている。
「父さん、母さん、少しお話があるのですが」
「アランか、丁度いい。僕からも話があるんだ。座りなさい、二人共」
「え、は、はい」
アベルの真剣な声にアランとチビアリスが頷いてソファに座ると、目の前に一枚の書類が置かれた。それはチビアリスが正式にクラーク家の養子になったという書類だ。
それを見てアランもチビアリスも息を呑んで互いの顔を見合わせた。
「な、なんでこれ! あ、明日でしょう⁉」
「う、嘘だよね⁉ こ、これ間違い⁉」
同時に叫んだ二人を見てアベルもアイリーンも悲しそうに首を振る。どうやら間違いでも勘違いでもなく、正式な書類らしい。青ざめた二人を見てアベルがポツリと言った。
「王がね、週休二日制を取り入れたじゃないか」
「え、ええ。それが?」
「明日ね……役所、お休みだったの。それでレヴィウスの公爵の返答期限が明後日だったのよね」
「……ま、まさかそれで急いで?」
「そう……急いで申請をしてさっき受理されたんだ……」
「ルイス!!! 余計なことをっ! 困ります! 今さっき僕アリスにプロポーズしたとこなのに!」
勢い余ってついうっかり言ってしまったアランの言葉に今度はアベルとアイリーンが驚いている。
「う、嘘でしょ⁉ どうしてあなた達はそう間が悪いの!」
「今だよ! つい今しがた受理されてしまったんだ! あと10分! いや、5分早かったら!」
アベルとアイリーンが思わず立ち上がると、アランとチビアリスは二人して縮こまってしまった。別に叱った訳ではないが、本当に間の悪い二人である。
アベルは咳払いをしてソファに座り直すと、大きなため息を落として言った。
「まぁ、とりあえず半年だよ。半年たったらもう一度アリスの籍を抜いて、今度はアランの妻として積を入れ直そう」
「え?」
その言葉にアランとチビアリスがキョトンとすると、アベルとアイリーンがクスクス笑う。
「二人共どうしてそんな顔するんだい? まさか養子にしたら一生籍を抜けないと思っていた訳じゃないだろう?」
「いや、一生は無いと思ってましたけど、半年……だけ?」
「そうよ~。半年だけあなた達は兄妹って事になるけど、その間は清いお付き合いしてなさいな。はぁ、これで肩の荷が下りたわ!」
「ははは! 一体どれぐらいかかると思ってたんだ!」
「で、では何故さっきあんな剣幕で……?」
思い切り怒鳴られたアランとチビアリスは完全に怒鳴られ損である。その質問にアイリーンがコロコロと笑って言う。
「だって少しでも早く孫の顔が見たいじゃないの! あなた達の子供よ? 可愛いに決まってるもの!」
「そうだね。くぅ! あと5分早かったらもう今すぐにでも結婚式の準備が出来たというのに!」
「……」
本人たちよりもウキウキしているアベルとアイリーンを見て、アランはそっとチビアリスの手を引いて部屋を出た。
二人は無言で外に出て庭を突っ切って森を抜けると、魔石で出来た鉱山に入っていく。
「アラン様、どこまで行くの?」
「もう少し先です。怖い?」
「ううん。ここは入っちゃ駄目っていっつも言うのに……」
「今日は僕が一緒だから」
アランはそう言ってチビアリスを引き寄せて坑道を進んだ。やがて見えてきたのは、光る魔石の部屋だ。それを見てチビアリスが目を輝かせた。
「凄い! 綺麗な所!」
「綺麗でしょう? ここの石をね、父さんと母さんは採ってきてくれてたんです。二人で毎日少しずつ掘り出して。アリスの部屋のは僕も手伝ったんですよ」
「そうなの?」
「ええ。掘って加工して僕たちの天井に辞典を見ながら埋め込んで。愛しい人たちですよね」
「……うん」
そんな事は少しも知らなかったチビアリスが頷くと、アランがチビアリスを抱き寄せた。
「僕の幸せが父さんと母さんの幸せなんだそうです。アリスも言われる?」
「うん。毎日言われる」
「はは、やっぱり。僕も未だに毎日言われます。ねぇアリス、さっきは勢いで言ったけど……僕と、これから幸せになってくれる?」
そう言ってはにかんだアランは、やっぱり恥ずかしくて思わずフードを探してしまった。その手を空気を読んでずっとじっとしていたパープルがはたく。そんなパープルを見てチビアリスは笑う。
「叱られてる」
「パープルはもう僕の第二の母のような存在ですよ。いや、お姉さんかな?」
「アラン様いっつもお世話されてるもんね。アラン様、私アラン様に会ったのは運命だって思ってる。私が元奴隷だったのもアラン様が元孤児だったのもこの時の為だったのかなって。だから……お父さんとお母さんに恩返ししよう。一杯幸せになって、いっぱいいっぱい恩返し……しようね」
そこまで言って涙が溢れ、そんなチビアリスの頭をアランが撫でてくれた。その手は助けてくれた時と何も変わらなくて。
半年後、とびきりの笑顔で両親に感謝を伝えよう。
自分たち以外の誰かがいつもいつも自分たちの幸せを願ってくれている。そんな両親だ。アランとチビアリスは手を繋いで光る魔石を見ながら、両親の幸せを心から願った。
それから、二人は半年のお付き合い期間を経てようやく夫婦になった。お見合いや結婚の事をせっつかれる事は無くなったけれど、両親は今度は毎日のように孫の顔を! とせがんでくる。
そんな両親を見てアランとチビアリスはいつも思うのだ。
幸せだなぁ、と。
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