番外編 魔道士ともう一人のアリス 3

 とりあえずアランはその本を購入して家路を急いだ。屋敷の煙突からは煙が出ている。今は夕食の支度の真っ最中なのだろう。


 そんな事を考えながらアランは屋敷に入ってコソコソと自室に戻ると、買ってきた本を開いてみる。


 本には、『恋に必要なのは勇気よ! 上手くいってもいかなくても、伝えないよりはいくらかマシよ!』だとか『恋はアタックあるのみ! 当たって砕けて骨は誰かに拾ってもらってね♪』なんて失敗前提のものまである。とりあえず全部読んでみたものの、はっきり言って何の参考にもならない。


 本を投げ出してやっぱり机に突っ伏したアランの部屋のドアを誰かが叩いた。


「アラン様、もう帰ってる?」

「アリス? ええ、さっき戻りましたよ」


 アランが答えると、遠慮がちにドアが開いた。ドアの隙間からそっとこちらを伺うチビアリスにアランは手招きする。


「どうぞ」


 手招きしたアランを見てチビアリスが嬉しそうに部屋に入ってくると、何かを書き付けたメモを差し出してくる。


「あのね、さっきのケーキの味をまとめてみたの。後でアリスさんに送ってくれる?」

「へ? あ、ああ! わ、わざわざまとめたんですか?」

「うん。その方がアリスさんも分かりやすいかなって。上のクリームが凄く美味しかった! でも、もうちょっと硬い方が崩れにくいかもって思ったんだ」


 いつでも誰かの役に立ちたいチビアリスは言いながらアランに近寄った。ふと机を見ると、そこにはピンク色のファンシーな本が一冊置いてある。表紙には『恋の病から抜け出す方法』と書かれていた。


 あまりにも可愛い表紙に思わずチビアリスが本に手を伸ばすと、それを見たアランが慌てて手を伸ばしてきて本を隠そうとした。その時にアランの手がチビアリスに当たり、チビアリスはバランスを崩してこけそうになる。


「危ないっ!」

「ひゃっ!」


 気付いたときにはチビアリスはアランに抱きかかえられてそのままアランと床に二人して倒れ込んでしまった。


 びっくりして目を開けると、目の前にアランの顔があってチビアリスの心臓は体の外に飛び出しそうなほど跳ね上がる。


 そんなチビアリスを見てアランは慌てて起き上がると、すぐさまベッドに置いてあったローブを引き寄せて頭からすっぽり被ってしまう。


「す、すみません!」

「う、ううん! だ、大丈夫! あ! 手、下敷きにしちゃってごめんなさいっ!」

「そ、そんな事は別に! ぼ、僕は大丈夫だから!」

「う、うん! えっと、ご飯! そう、ご飯出来たよっ!」

「ああ、ご飯……すぐ行きます。その……先に行ってて」

「う、うん! 先行ってる!」


 アランがフードを被ったまま言うと、チビアリスはそれだけ言って慌てて部屋を飛び出して行く。


 完全に足音が聞こえなくなったのを確認したアランはそっとローブを脱いで鏡を見てみた。自分でも引くほど顔は真っ赤だ。


「はぁぁ……リー君とノアがあんな事言うから……」


 完全にチビアリスを意識しているのをアランはとうとう自覚してしまった。これが恋か。そういう意味ではこの本はそのきっかけを強制的に運んできたのだから凄いのかもしれない。


 そしてこの日からアランの地獄が始まった。一度意識してしまうともう何も思わなかった頃には戻れない。


 けれど何をどうすればいいのか分からない二人は、何の進展も無いまま時間だけが無情に過ぎていった。


 そしてとうとう運命の日はやってきた。


「アラン、アリスをうちの養子に迎えようと思う」


 アベルの突然の報告にアランは思わず食事の手を止めてアイリーンを見た。アイリーンは何故かしょんぼりと項垂れている。


「それは……僕の妹になると言うことですか?」

「ああ。流石にこれ以上放っておくわけにもいかなくなったんだ。とうとうレヴィウスの公爵から絵姿が届いたんだよ」

「レヴィウスの……公爵?」

「そうなんだ。相手は40歳で離婚歴が3回もあるらしい。アリスは今はうちが保護している状態なのだから、うちの許可など本来はいらないはずだなどと言ってきてね」

「そんな所に嫁がせるのは絶対に嫌よ! それなら正式にうちの養子にするわ」


 強い口調で言ったアイリーンの目は潤んでいる。ふとチビアリスを見ると、青ざめてフォークを持つ手が微かに震えていた。


 ノアとリアンが言った通り、チビアリスは幼少期を奴隷と過ごし、このままでは倍以上も年の離れた男の所に嫁ぐ羽目になる。かと言ってチビアリスが養子になどなってしまえば、それこそもう二度と告白する事すら許されない関係になってしまう。


「アラン、いいね? アリスは週末にはお前の妹だよ」

「……」


 自分は孤児だ。両親には返しきれないほどの恩がある。その両親に歯向かう事など自分には出来ない。


 けれど、チビアリスが妹になってしまうのも嫌だ。一体どうしたらいいのだ!


「すみません、少し……考えさせてください」


 アランはそう言って食事の途中だと言うのに席を立った。食堂を出る前にちらりとチビアリスを見ると、チビアリスは泣きそうな顔をしてアランを見ていた――。


「どうしてこんな事になってしまうんだろう」


 アランはベッドに転がって天井を見上げた。天井にはアランが喜ぶだろうと両親が作ってくれた星座を模した夜になったら光る魔石で出来た飾りが埋め込んである。


 まだここに来て間もない頃、両親は一切話さないアランを挟んで沢山の星座を教えてくれた。話すことは出来なかったが、聞いてるうちにいつも眠ってしまっていた。


『あれがオリオン座だよ、アラン』

『違うわよ。その隣のよ、あなた』

『? そうだったかな? おかしいな。昨日辞典を見たんだけどな』


 結構適当な両親にアランはいつもバレないように笑いを堪えていた。そしてつい最近まで、チビアリスも同じことをしてもらっていたのをアランは知っている。『相変わらず適当な星座でしたか?』と聞くと、チビアリスは申し訳無さそうに笑いながら頷いていた。


 そんな両親だ。愛すべき人たちなのだ。だからこそ期待は裏切れない。自分のどうしようもないワガママなどで困らせる訳にはいかないのだ。


「アラン様……もう寝ちゃった?」


 うつ伏せで枕に顔を押し当てて唸っていたアランの部屋に、またチビアリスがやってきた。


「いいえ、まだ寝てませんよ」


 アランが答えると、泣きそうなチビアリスの声が外から聞こえてくる。


「入ってもいい?」

「……どうぞ」


 ベッドから起き上がったアランが言うと、ドアがゆっくり開く。チビアリスは部屋の中にまで入っては来なかった。入り口で立ち止まり、スカートをギュッと握りしめて震えている。


「あのね、私、アラン様の妹になっても……いい?」

「……なりたいのなら」

「っ……」


 突き放したようなアランの言葉にチビアリスはスカートを握る手に力を込めた。


 本当は妹になんてなりたくない。アランのお嫁さんになりたいのだ。でもそれは言えない。言ってはいけない。恩を仇で返すような事は……出来ない。


「僕は……多分、君を一生妹だとは思えないと思う……きっと君の結婚も祝えないし喜べない。随分勝手だと……自分でも思うけど」

「私も……アラン様をお兄さんとは思えない。結婚もしてほしくないよ……でも、それは絶対に……叶わない」


 アランの強大な魔力を残すためにアランは絶対に子孫を残さなければならない。


 それはチビアリスもちゃんと理解しているのに、これはただのワガママだと分かっているのに止められない。


 それだけ言ってチビアリスはアランにペコリとお辞儀をして部屋のドアをそっと閉めて走って自室に戻ると、そのままの勢いでベッドに突っ伏して声を殺して泣いた。



 それから三日後。アランとチビアリスはまるで示し合わせたように互いに出来るだけ顔を合わさないよう行動していた。会うと辛くなる。想いを打ち明けてしまいそうになる。


 アランはいつも忙しい振りをして、チビアリスも無理やり用事を作ってアレックスチームの研究所に入り浸るようになっていた。


 いよいよ明日、チビアリスは正式にクラーク家の養子になる。


「また来てるのか」

「……うん、ごめんなさい」

「いや、別に俺らは構わないさ。ドジ踏んで邪魔さえしなきゃな」


 そう言ってスニフが意地悪な笑みを浮かべる。それを聞いてアレックスが苦笑いしながらスニフを肘で小突く。


「こら! そういう事女の子に言わない! だからスニフは女の子に逃げられるんだよ」

「ついこの間までドロシーに失恋してグズグズ言ってた人に言われたくないな」

「こ、こら! それはもっと言っちゃ駄目だよ!」


 それを聞いてチビアリスは目を丸くした。


「アレックス、ドロシーが好きだったの?」


 チビアリスの質問にアレックスは困ったように笑って頷く。


「誰にも内緒だよ? そう、僕はドロシーが好きだった。でも告白する前にフラれちゃったんだよ。綺麗だったね、真っ白のドレスを着たドロシー」


 そう言って泣きそうな顔で笑うアレックスを見てチビアリスまで泣きそうになってしまった。まだ失恋の傷が全然癒えてなさそうなアレックスを見てチビアリスはスカートを握りしめる。


 恋ってこんなに苦しいんだ。もしも実らなきあったら、いつまでも辛いんだ……。


「ねぇアリス、君は後悔しないようにね。伝えなかったから傷は浅いなんて事、全然無いんだよ。むしろその方が後々引きずる事になるって僕は思い知った」

「何で……言わなかったの?」

「勝ち目が無かったから。僕なんて全然眼中にないんだもん。分かってるのに告白なんて出来ないって思ったんだ、あの時は。でも……今は後悔してる。言っておけば良かったって」

「……そっか。いつか……元気になる?」


 チビアリスが泣きそうな顔で言うと、スニフがアレックスの肩を慰めるように叩いた。


「また新しい恋が始まればな。そうしたらもうドロシーの事なんて引きずっていられないさ。そうだろ? リーダー」

「そうだね」


 苦笑いを浮かべるアレックスを見てチビアリスは胸を撫で下ろす。いつまでも続く訳ではないのか。少しだけ心が軽くなったチビアリスはアレックスの研究所を出た。

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