番外編 『幸せな日々』前編

「父さま、あのね、私ね、これ手伝ったよ!」


 そう言ってアミナスが嬉しそうにノアに差し出してきたのは、何だかどこかで見た事のあるような雑巾である。


 ノアは書いていた書類を一旦止めて、大分大きくなったアミナスを抱き上げてそれを受け取り一応アミナスに尋ねる。


「えっと、アミナス、これはもしかして枕カバー……かな?」

「うん! 母さまと作った! 父さまのも解れてきてたもん!」

「あー……うん、ありがとう」


 確かにノアの枕カバーは端が少しだけ解れていた。ほんの少しだけだが。


 そろそろ直さないとまたアリスにや(殺)られるなぁ~なんて思いながら放置していたのがいけなかったようだ。どうやらアリスは目ざとくそれを見つけて、あくまで善意で直してくれたらしい。


 アリスは今も何も変わらない。ずっとあのままだ。


 苦笑いを浮かべて見事に雑巾に変身してしまった枕カバーを手にアミナスの頭を撫でていると、そこにノエルがやってきた。


「あ! アミナス、父さまの分まで母さまに任せたの⁉ 駄目でしょ! あれは兄さまのだけって約束だったでしょ?」

「ぶー!」

「ぶーじゃないの! 父さま、ごめんなさい。父さまの枕カバー守れなくて……」


 そう言ってしょんぼりと眉を下げるノエルも抱き上げてノアは言った。


「ノエル、もしかして僕のをずっと守ってくれてたの?」

「……うん」

「そっか。その気持ちが嬉しいよ、ありがとう。明日アランの所に新商品の試供品持って行くから、ついでに王都で新しい枕カバー見に行こうか」


 ノアが言うと、ノエルがパァっと顔を輝かせた。


「うん!」

「私も! 私もアランのとこいく!」

「あれ? でもアミナスは明日アリスと森に入るって言ってなかった?」

「そうだった! 森行く! パパベアとお相撲さんする!」

「だよね? もちろんちゃんとアミナスにもお土産買ってくるから、いい子にしててね」

「わかった。いい子にしてる!」


 機嫌良く頷いたアミナスを見て、ノアとノエルは顔を見合わせて無言で同じ事を思っていた。


『ほんとかなぁ?』


 と。


「にーいさま!」


 そこへ今度はアリスがやってきた。両手に大量の雑巾を持って。


「アリス、それは?」

「うん、何かノエルと兄さまの枕カバー直すついでに皆の分も直したんだ! ほら、私だってもう立派な奥さんだしね! キメッ!」


 自信満々にキメ! のポーズを見せられるともう何も言えないノアである。相変わらずアリスにはヨワヨワなのだ。


「そっか、うん、皆喜ぶと……思う。うん、多分」

「……父さま……」


 憐れむようなノエルのつぶやきを聞こえないふりしてノアは言った。


「そうそうアリス、明日の試供品の受け渡しなんだけど、ノエルと二人で行ってくるからアミナスお願いね」

「珍しいね、二人で行くの?」

「うん。そろそろノエルにも仕事手伝ってもらおうと思って。アリスとアミナスには何かお菓子買って来るよ」

「父さまのお仕事、早く覚えたい!」


 本当はノエルの枕カバーを見に行くだけである。それでもアリスのプライドを守るための嘘は欠かさない相変わらずのノアだ。そしてそんな夫婦を赤ん坊の頃から見ているノエルは、大変空気を読む子に成長していた。少々可哀相な話だ。


 そんなノエルの頭をアリスはわしわしと撫でてニカッと笑う。


「そっか! ノエルは偉いなぁ! 晩御飯何が良い? ノエルが好きな物作っとくね!」

「え! えっと、じゃあね、ハンバーグがいい。それとミモザサラダ!」

「あはは! うん、分かった。じゃあオマケにコーンスープもつけてあげよう! アミナス、お手伝いよろしくね!」

「いいよ! 兄さまのハンバーグは私が丸める!」

「よ~し! じゃあ明日はハンバーグパーティーだ~! そうと決まればお肉買いに行かなきゃ!」

「私も行く! 私も~~~~!」

「よし! じゃあアミナスついてこ~い!」

「ひゃはぁぁ~!」

「……」

「……」


 ドタドタと部屋から飛び出して行ったアリスとアミナスの背中を、ノアとノエルは無言で見守っていた。そしてノアはそっとノエルを抱きしめてポツリと言う。


「ノエルが居て本当に良かった。僕一人じゃ、怪獣二匹は手に負えなかったよ……」

「……うん」


 齢5歳にして既にノアに同志として扱われるノエルの心境は複雑だが、ノアの言う通りアリスとアミナスを一人で相手していたら、きっとノアは早死にしてしまう。


 幼心にそんな事を考えたノエルは、ノアの腕をギュっと掴んでノアにしがみついた。


「大丈夫、僕は父さまの味方だから!」

「ははは! うん、ありがとう、ノエル」


 素直で真っすぐなところはアリスにそっくりのノエルに思わずノアは笑ってしまう。こんな所は本当に自分に似なくて良かったと毎日、心底思うのだ。


 

 さて、翌日。すっかり余所行きの服に着替えたノエルは、キリに髪を梳かしてもらいながらソワソワしていた。


 実を言うと、ノアの仕事について行くのはこれが初めてなのだ。


 今日はアランに試供品を渡すだけと言っていたが、リアンもダニエルも来ると言う。


 バセット家の品位を落とさないよう、いつも以上にしっかりしなくては! ノエルは大きく息を吸い込んで胸を張った。そんなノエルにキリがいつもの調子で言う。


「ノエル様、そんなに気負う事はありません。大丈夫、バセット家の評判はこれ以上おかしな事にはなりえません」


 今のバセット家の評判を築き上げたのは良くも悪くも間違いなくアリスだ。


 もしも今日一緒に行くのがアミナスだったら、キリだってアミナスを柱に縛り付けてでもじっとしていろと言う所だが、ノエルはキリから見ても本当によく出来た子である。


 何ならノアから悪魔の部分がそっくり取り除かれているので、ノアよりも優秀と言える。


 キリの言葉にノエルはアリスの様にニカッと笑って頷いた。それが愛嬌になると領地でも評判のノエルなのだ。


 キリがノエルのネクタイを結び終えた所に、キリの自慢の双子の息子たち、レオとカイがやってきた。手にはしっかりとロープや粘着テープが握られている。アミナス用だ。


「父さん、ノエル様、それでは俺達はお嬢について山、行ってきます」

「お嬢様の方は任せておいてください」

「ええ、お願いします、二人とも。俺はこのままノア様について行きますが、お嬢様の事もついでにお願いします」


 それを聞いて双子の顔が引きつった。アミナスだけでも十分厄介なのに、アリスもか、の目だ。


 そんな二人を見てノエルは苦笑いを浮かべて言う。


「ごめんね、二人とも。母さまとアミナス、お願いね。二人のお土産にチョコレート買って来るから、ね!」

「……じゃあ、俺はピスタチオクリームの奴がいいです」

「俺はジャムが入ってる奴にしてください」

「分かった! アニーは苺クリームのやつかな? チョコよりもクッキーの方がいいかも」

「ええ」

「だと思います」


 まるで兄弟のように育ってきた三人は、ノアとキリのように主従というよりは三兄弟である。そういう所もここは何も変わっていない。


 こうして準備が出来たキリとノエルはそのままノアが待つ馬車に向かい、カイとレオはすっかり戦闘服に着替えたアリスとアミナスの元に向かう。


 妖精列車が開通したので本当なら馬車など使わなくてもいいのだが、せっかくなので馬車でゆっくり行こうと言い出したのはノアだ。何か話したいことがあるのだろうと気付いたキリは、大人しくそれに従った。


「それじゃあ、行ってきます!」

「は~い! 行ってらっしゃ~い! 皆、気を付けてね~!」


 嬉しそうに馬車から手を振るノエルにアリスが笑顔で手を振ると、すかさずキリが窓から顔を出して怒鳴る。


「それはこちらの台詞です! お嬢様、あなたが一番心配なんですよ!」

「だいじょ~ぶだいじょ~ぶ! カイとレオが居るもんね~? それじゃ、出発しんこ~う!」

「しんこ~~!」

「……」

「……」


 アリスに抱き寄せられて頬ずりされた双子は何やら複雑な顔をしているが、アリスはそんな事などお構いなしである。アミナスを背中に張りつけて、双子の手を引いてそのまま森に消えてしまった。


「……カイとレオ、大丈夫かなぁ」

「大丈夫だよ、キリの子だし」


 ニコッと笑ってノエルの頭を撫でたノアを見て、キリは複雑な表情を浮かべる。


「いえ、そこは多少お嬢様達には自制してほしいです」

「キリってば、アリスとアミナスの辞書に自制心って言葉が載ってないのは誰よりも僕達が一番知ってるでしょ?」

「……はい、残念ながら……」


 良く言えば何をするにも全力の二人だ。


 だが、その分必ず周りを巻き込む。アミナスが大きくなるにつれて完璧にアリスのコピーだと分かったキリは、すぐさま胸の内をミアに伝えた。


 するとミアはてっきり心配するかと思っていたのに、笑顔で言ったのだ。


『それは良かったです。ではあの二人もキリさんぐらい逞しくて忍耐強くて優しい子に育ちますね!』


 と。


 それを聞いた時、キリはミアには一生敵わないだろうと悟った。やはり、ミアと結婚して良かった、と。

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