番外編 『幸せな日々』 後編

 道中はとても穏やかだった。窓の外の景色にノエルがはしゃぎ、三人でおやつを食べて領地の話や森の話をして、ノエルが大好きな最後の戦いの話をしている内にノエルはノアの膝枕でいつの間にか眠っていた。


 そんなノエルの頭を幸せそうに撫でながらノアがポツリと言う。


「ねぇキリ、あの話、どう思う?」


 つい最近、ルイスからあまり嬉しくない情報が入ったのだ。


「どうでしょうね……もしもあれが本当なら、ちょっと厄介な事になりそうです」

「だよね……はぁ、この幸せを壊したくないなぁ」


 そう言ってノエルにそっと毛布をかけてやるノアに、キリもノエルの頭を撫でて頷いた。


 せっかく仲間たちで掴んだ幸せだ。手放したくないし、誰にも邪魔されたくないというのに、この世界ではまた何かが起ころうとしている。


「とりあえず、今日は皆の枕カバーを調達しに行こう。キリの所のもね」

「そうですね。え? ……うち?」

「うん。アリス、キリの所のも持ってたよ? キリが渡したんじゃないの?」

「まさか! ミアさんも渡さないと思いますし……アニー!」


 キリはミアによく似た一番下の愛娘、アニーの顔を思い浮かべて頭を抱えた。


 アニーは何故か幼心にアミナスを尊敬している。いつの間にそんな事になっているのかは分からないが、となかくアニーはアミナスが大好きだ。


 頭を抱えたキリの肩をノアがポンと慰めるように叩いた。


「あー……ご愁傷様。それにしても、やっぱりアミナスに感化されてくんだねぇ。アリスに感化されてった子達みたいに」

「……本当に勘弁してください」


 まだ自分達に子供が居なかった時はどんどんアリスに感化されていく子供達を見てもどこか他人事だったキリだったが、いざ自分がその立場になるとそうはいかない。


 アニーが何でもアミナスの真似をしようとするのを手放しに放っておいて、いつか大怪我でもしないかヒヤヒヤしている。


 がっくりと項垂れたキリにノアは苦笑いを浮かべていた。


 やがて待ち合わせ場所のフォスターパークに辿り着くと、そこには既にアランとリアン、そしてダニエルが到着していた。


「ちょっとあんた達、何で馬車なんかでちんたら来んの!」


 ノア達が到着して開口一番にリアンが怒鳴るが、全く悪びれないのがノアとキリである。


「ごめんごめん、ちょっとキリと話がしたくてさ。はい、これ。今回の試供品ね、それじゃ!」


 さっさと試供品を渡してそのまま立ち去ろうとするノアを流石に全員が止めた。


「待てよ! お前なぁ、相変わらず……ん? ああ、ノエルも来てんのか」


 ダニエルが馬車の中で寝こけているノエルを見て笑みを浮かべ、小声で続きを話し出した。


「とりあえずどっか入って飯でも食おうぜ。ついでに試供品の説明してくれ。今度は美容液、でいいんだよな?」

「そうだね。じゃ、ノエル起こすよ」



 馬車を妖精列車でバセット領に送り返したノアは、まだ寝ぼけているノエルを抱いて皆が待つ食堂に入る。


「こっちだよ! ノエル、おはよう」


 リアンが笑顔を浮かべて手を挙げてノエルに挨拶すると、ノエルはそれを見て慌ててノアから下りて服装を整えてペコリとお辞儀をした。


「お久しぶりです、リアンさん、ダニエルさん、アランさん」

「はい、お久しぶり。うちのジャスミンとローズがノエルに会いたがってたよ」

「あ、はい! また二人に会いに遊びに行ってもいいですか?」

「もちろん! 喜ぶよ、二人とも君が大好きみたいだから」


 あまりにも礼儀正しいノエルにリアンは思わず目を細めてしまう。これが怪獣と魔王の子供だと、未だにどうしても信じられないのだ。


 そんなリアンの心の内を察したのか、ノアが笑顔で言った。


「良い子でしょ? でも駄目だよ、リー君。ノエルの婚約者はアニーだから」

「えっ!?」


 笑顔で言い切ったノアにノエルは恥ずかしそうに俯いて、キリは珍しく声を出して動揺している。


「ノ、ノア様、そ、それはいつ決まりました……?」

「いつって、アニーが生まれた時? え? もしかしてキリ、アニーの相手にノエルは相応しくないって思ってる?」

「い、いえ、そうは言いませんけど……え? いつ決まりました!? 俺何も聞いてませんが」

「うん、言ってないもん。でもミアさんは知ってるよ。アリスがご飯一緒に作りながら将来について語ってたから。あ、それかカイかレオの所にアミナスを嫁がせるのでもいいよ!」


 何だか狼狽えるキリがおかしくてノアが言うと、それを聞いた途端キリが青ざめて首をブンブン振る。


「それだけはお断りします!」


 とんでもない。それならアニーをノエルに嫁がせる方が数倍、いや、数百倍安心である。何より、よその土地にアニーを嫁がせなくてもいいというオマケつきだ。


 そんなノアとキリの様子を見ていたアランがポツリと言った。


「ここだけの話、ルイスの所のライアンとエイダンもアミナスが好きなんでしょう? 最近はアミナスの絵姿まで持ち歩いてるとか……」

「あー……ね、らしいね。最近それが尋常じゃないって聞いたよ。次期宰相んとこのルークもだって嘆いてたけど、何でそんな高位貴族ばっかにモテんの? あんたんとこの娘」

「そりゃ、可愛いからに決まってるじゃない! アミナスはちょっとそこら辺の子とは一線を画した可愛さがあるでしょ?」

「……」

「……」

「……」

「……あれをそこまで言えるの、悪いけどあんただけだからね」


 沈黙する三人の心の内をまとめるようにリアンが言うと、それを聞いていたノエルが言った。


「アミナスは可愛いけど、強いからモテるんだよ!」

「そうなの?」


 ノアが首を傾げるとノエルは大きく頷く。


「うん! 前のバーベキューの時、子供達だけで森に入って怒られた日に色々あったんだ!」

「色々、ですか? そう言えばあのバーベキューの日以来ですね、突然皆がアミナスアミナス言い出したのは」


 そう言ってキリがノエルを見ると、ノエルはアミナスを褒められるのが嬉しいようで、物凄い笑顔で頷いた。こういう所はやはりノアにとてもよく似ている。


「一応聞きますが、アミナスは何をしたんです?」

「えっとね、見た事ないクマに森の中で会ったの。パパベア達とは違って真っ黒で凄く怖かったんだけど、そのクマが立ち上がったのを見てアミナスが一歩前に出てね、こう――」


 アミナスは立ち上がったクマを前に腰を抜かした仲間たちを背中に庇い、手をスッと翳したかと思うと、静かな低いドスの聞いた声で言ったのだ。クマに向かって。


『止めておいた方がいい』


 と。


 クマはそんなアミナスに一瞬戸惑ったような顔をしてその場を立ち去ってしまった。そんなアミナスを見て皆に刷り込まれてしまったのだ。


 アミナスは凄い! と。


 そしてそれを今しがた聞いたノア達はと言えば――。


「……間違いなくあいつの娘だよ」

「いや、本当にな。何でそんな似てんだ」

「怖いぐらいそっくりですね……」

「アミナスはもう……」

「……お嬢様が二人……分かってはいましたが、地獄ですね」


 どうしてそんな所までアリスにそっくりなのか。本気で遺伝子の神秘である。


「おまけにアミナスはあんたの魔法受け継いでんでしょ?」

「そうなんだ。その代わりノエルがアリスの魔法を継いでる」

「それも一番恐れていた事ですよね。ただノエルはあなたと違ってかなり常識人だと言う事が救いでしょうか……」

「それは言えてる」


 口々に失礼な事を言う仲間たちにノアは苦笑いを浮かべた。


「ちょっと、どういう意味? 酷いな、皆」

「いや、酷くねーだろ。お前、自分の胸に手当ててみろよ」

「父さまは常識人だよ! 母さまは……ちょっと変わってるけど……」


 何だかノアが虐められているような気がしてノエルが言うと、それを聞いて仲間たちは声を出して笑った。


「ごめんごめん、別に虐めちゃいないよ。それにしてもあいつ、息子にまでこんな事言われちゃってんじゃん」

「まぁ、お嬢様が変わっているのは仕方ありません。今更です。百人居れば百人は変わってるって言いますよ。アミナス以外は」

「確かに」


 アリスのする事を何でも真似するアミナスである。そんなアミナスにアリスも嬉々として既に戦い方を伝授しているから恐ろしい。


 この間など、とうとうアミナス専用の刀を発注していた。ちなみにノエルにはノアとお揃いのガンソードをプレゼントしていたアリスだ。


「ほんと、凄いよあんた達。あれと一生を共にするって、その一点だけでも尊敬する」


 ため息を落としてお茶を飲んだリアンに、アランもダニエルも頷く。


 それぞれが自分の家族達を思い浮かべていたのだが、バセット家が居なければ自分達の家族も居なかったかもしれないと思うと、感謝は本当にしきれない。


 こんな風にして商品説明の話など全くすることなく仲間たちは別れ、リアンは領地に、ダニエルはチャップマン商会に戻って行き、ノア達はアランと共に王都に向かった。


「そうですか、枕カバーを! アリスさんは相変わらずですねぇ」

「そうなんだよ。結局全部雑巾になっちゃってね。でも嬉しそうに、奥さんだから! キメッ! とか言われると何も言えなくなるよね」

「ルーツが同じだと似るのかどうかは分かりませんが、うちのアリスも裁縫はからっきしですよ。リリーの産着を縫うと言って10針中8針は自分の指を刺してましたから」


 傷テープだらけになったチビアリスの手を思い出してアランは笑った。


 一年と少し前にチビアリスと結婚したアランには、つい最近リリーという娘が生まれたばかりだ。そして全く同じ日にオリバーの所にも第一子が生まれた。男の子で名前はサシャ。これがドロシーによく似ていてとてつもなく可愛い。


「そんな訳だから僕達はこのまま買い物してから帰るよ。アランは?」

「僕はルイスに呼ばれているので。多分、あの話かと」


 真剣な顔をしたアランを見て、ノアとキリは頷いた。


「そっか。また何か分かったら教えて」

「ええ。間違いなくあなた達の力も借りる事になるでしょうから。では、僕はこれで」


 アランはそう言って眉をひそめて静かに言うと、大きなため息を落として城に向かって歩き出した。


 その後ろ姿をしばらく見つめていた三人だったが、ふとノエルがノアの手を引く。


「父さま、何か起こるの?」

「ん? んーどうかな、まだ分からないんだ。でも、そうならないようまた頑張らなきゃいけないかもしれない」

「……僕も手伝える事ある?」


 不安気なノエルを抱き上げたノアは、随分大きくなったノエルを見て笑みを浮かべた。


「今はまだ無いかな。でも、必要な時はちゃんと助けてって言うよ。その時は助けてくれる? アミナスを守ってくれる?」

「うん! 助けるしアミナスもちゃんと守る!」

「うん、流石僕の自慢の息子だ。それじゃあ可愛いアリスとアミナスにお土産買って帰ろっか」

「うん!」


 そんなやりとりを見ていたキリは深く頷く。本当にノエルはよく出来た子だ、と。

 


 それぞれの家族へのお土産を買い付けた三人がバセット領に戻ると、屋敷の外にまでハンバーグの良い香りがしていた。それを嗅いだ途端にノエルのお腹が鳴る。


 ドアを開けて屋敷に入ると、真っ先に駆け出してきたのはアミナスだ。背中にはアニーがしっかりと背負われている。


「お帰りなさい、父さま兄さまキリ!」

「ただいま、アミナス。良い子にしてたの?」

「してた! アニーも元気だよ! もうお風呂も入った」


 そう言って背中のアニーをキリに渡すと、アミナスはニカッと笑う。


 そんなアミナスの背中からアニーを受け取ったキリは、アミナスの頭を撫でて言った。


「そうですか、ありがとうございます。ミアさんとカイとレオもこちらに?」

「うん! 今日はハンバーグパーティーだから皆一緒に食べるの!」

「そうです――」


 キリが頷こうとした時、キッチンの方から双子の怒鳴り声が聞こえてきた。


「母さん! だから母さんは触っちゃ駄目です!」

「そうですよ! どうやったらこんな膨らむんですか! 何故母さんが丸めたハンバーグだけこんな風船みたいになってしまうんですか!」

「うぅ……なんでだろう……」

「あははは! いいよいいよ~! 風船ハンバーグ可愛いじゃん」

「僕、ちょっと見て来る! いこ、アミナス」


 怒鳴り声と笑い声が交互に聞こえてきて、ノエルはアミナスの手を引いて走り出した。それと入れ替わりにアリスがやって来てノアに飛びついて来る。


「お帰りなさい、兄さま、キリ!」

「ただいま、アリス」

「ただいま戻りました。何です、随分賑やかですね」

「いや~それがミアさんが丸めたハンバーグがことごとく膨らんじゃってさ。何でミアさんが作ると全部膨らむんだろう?」

「やっぱり魔法使っちゃってるんじゃないの?」

「分かりません。ですが、ただのトーストでも少し膨らむので、本気で謎です」


 一体何がどんな風に作用しているのかは分からないが、キリの家では料理全般キリと双子の管轄である。


「まぁでも皆楽しそうだからいいよ。僕達も手伝おうか」

「ええ」

「ありがと、二人とも!」


 アリスはそう言って両手にそれぞれノアとキリの手を繋いで賑やかなキッチンに向かった。


 ずっとずっと、こんな幸せな日々が続けばいいのに、そんな事を考えながら――。

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