番外編 ノエルとアミナス 前編

 あるとてもよく晴れた穏やかな日、メインの仲間たちは全員バセット家に集合していた。


 昨夜遅く、ノアからこんなメッセージが届いたのだ。


『アリスのお産が始まった!』


 これを見てキャロライン、ライラ、シエラ、そしてオリジナルアリスは全てを投げ出してすぐに駆けつけた。


 ミアは既にキリとバセット家に三日ほど前から、半年ほど前に生まれたばかりの双子と共に滞在していたのだが、他のメンバーはとりあえず身の回りの仕事を片づけてバセット家に集まった。


「思い出すな……キャロの時もこうしてヒヤヒヤしながら待っていたんだ」


 部屋の中をウロウロと歩き回るルイスに、カインはすっかり冷めた紅茶を飲みながら頷く。


「うちもだよ。フィルがそれは難産だったからさ……男は部屋に入れてもらえないし、代われるなら俺がって思ってたよ」

「そういう意味ではうちは割と早かったよね」


 リアンの言葉にライラはアリスが安産祈願にくれた、よく分からない動物の絵が描いてあるブローチを握りしめて頷いた。


「もう生まれた!?」


 そんな声と共に突然部屋に飛び込んできたのは、髪とドレスを振り乱したエリザベスと、そんなエリザベスのドレスを一生懸命直してやっているアーロだ。


「すまない、遅れて。もう生まれたか?」

「ア、アリス、アリスは大丈夫なの⁉ 私がジョーを産んだ時はもう本当に死ぬかと思ったんだけど――」


 エリザベスは思わず初産の時の事を思い出して怖い顔をしてルイスに詰め寄ろうとした時、部屋のドアが開いてノアとキリとミアがやってきた。そんな三人の表情は暗い。


 まさか、何かあったか……?


 仲間たちの脳裏にそんな考えが過ったのだが、三人はドサリとソファに崩れ落ちて大きく息を吐き出した。


「ど、どうしたんだ? だ、大丈夫なのか?」


 恐々ルイスが二人に声をかけると、ノアとキリは疲れ切った顔で頷く。


「もう、食べる食べる。一晩中だよ」

「ザカリーさんとスタンリーさんが来てくれたおかげで、ようやく俺達も休憩できます」

「もう私、指がつりそうです……」

「……?」


 一体何の話をしてるんだ? 首を傾げた仲間たちを見て、ノアが苦笑いを浮かべて言った。


「お産が始まってからずーっとアリスは食べてるの。食べ続けてるの。だから皆で一晩中パンこねてたんだよ。ドンブリとスキピオと皆から借りてたレインボー隊すら手伝ってるからね」


 そう言ってノアは袋に詰められたパンの生地を一生懸命一晩中こねていた、ドンブリとスキピオとレインボー隊を思い出して笑った。


「お嬢様はいかなる時でもお嬢様なのだと実感しました……あれはもう、ああいう種族です。ノア様、お願いです。子供はせめて二人までにしておいてください……」

「それは私からもお願いします……」


 切実なキリとミアのお願いにノアも苦笑いを浮かべて頷くと、体を伸ばして大きなため息をついた。


「……こわ」


 ポツリと言ったリアンに仲間たちは全員頷く。むしろ経験者たちは自分の時を思い出して青ざめている。いくら体力勝負とは言え、一晩中食べている……だと?


「えっと……それで、順調なのよね?」

「ああ、それは大丈夫。本人も元気だよ。ちょっとありえないぐらいなんだけど、皆もああだったの?」


 ノアは、両手にパンを握りしめて時折痛みに顔を歪めながらそれでもパンを齧るアリスを思い出し言うと、全員が同時に首を振った。


 と、その時。隣の部屋から地鳴りのようなうめき声が聞こえて来て皆はハッとして隣の部屋を見た。それを聞いてライラはブローチを握りしめ、キャロラインはミアと手を繋ぐ。


「始まったわね……」

「はい」


 最初は普通のうめき声だった。ところが――。


「……ノア様」

「……うん」


 何か言いたげなキリに、ノアも頷く。


 多分、アリスは苦しんでいる。それでも時折聞こえる、美味い! という叫び声を聞くに、今もまだ食べ続けているようだ。


 そしてうめき声がだんだん大きくなってきて、いよいよ「ふんぬぅぅぅぅぅ!」だとか、「うおぉぉぉぉぉ!」だとか「がおぉぉぉぉぉぉ!!!!!」とか聞こえだした辺りで流石のノアも不安になったのか、部屋を飛び出して行った。


 一方、仲間たちはと言えば思わず立ち上がって顔面蒼白である。


「き、気合いの入った叫び声ね……」

「本当……ですね……」

「うおぉぉはまだいいけど、がおぉぉは無しでしょ」

「っすね」


 一体どんな子が生まれて来るのか全く予想のつかない仲間たちの耳に、しばらくしてようやく元気な赤ん坊の声が聞こえてきた。


 それを聞いて立ち上がっていた仲間たちは一斉にホッとしたようにその場に腰を下ろし、大きな安堵の息をついたのだった。

 


 隣の部屋に駆け込んでお産の手伝いをしていたノアは、赤ん坊の頭が出て来た途端、涙を零した。


 嬉しいとか幸せとか、そんな言葉では言い表せない何とも言えない気持ちに涙するノアとは裏腹に、アリスはと言えば――。


「パン! 次のパン! 栄養を! もっともっと栄養を!!」

「……」


 無言でアリスにパンを渡すのはハンナである。


 大抵の事には慣れて驚かないハンナでさえ、お産アリスにドン引きしていた。


 陣痛中ならともかく、本番が始まったら食事などしない。というか、痛みで食べられない。それでもアリスは寄越せと言って譲らなかったのだ。


 赤ん坊は頭が出ている状態で、本当はノアと一緒に一喜一憂しながら感動したかったというのに、アリスはこんな時でもそれをさせてはくれない。


「アリス! もうちょっとだよ!」

「おう! がんばるっ! ふんぬぅぅぅぅ! 私は! キャシーの! 娘! 何頭も! 産んだ! キャシーの! 娘だぁぁぁぁぁ!」

「え、いや、それはちょっと……あ!」


 思わず突っ込みそうになったノアが目を離した瞬間、とうとう赤ん坊が出て来て顔をくしゃくしゃにして大声で産声を上げ始めたではないか!


 ノアは出て来た赤ん坊を手早くタオルで拭き上げ、しげしげとその顔を覗き込む。


 バセット家の特徴的な髪の色に、うっすら開いた緑の瞳はノアの色にそっくりだ。それを見るなり、今度は意味もなく笑みが零れる。


「……ふ、ふふふ……ヤバイ……ハンナ、ちょっと抱いてて。僕、今ちょっと駄目だ」


 そう言ってノアは、顔を輝かせるハンナに赤ん坊を手渡して最後のパンを頬張っているアリスを力一杯抱きしめ、顔中至る所にキスをした。


 込み上げる笑みは抑えきれない。こんなキスじゃ全然足りない。どうすればこの気持ちをアリスに伝えられるだろう。


「に、兄さま、ちょ、く、くすぐったいよ」


 顔中にキスされたアリスがノアを両手で押すが、それでもノアは離れない。ふと見ると、ノアは泣きながら笑っていて、思わずアリスはそんなノアを見て笑ってしまった。


「兄さま、顔が忙しいよ」

「誰のせい?」

「赤ちゃんかな?」

「そうだよ! アリスとこの子のせいだよ! アリス! お疲れ様! それから……ありがとう」


 ボロボロと涙を流すノアにアリスはいつもの様にニカッと笑って言った。


「ノア、愛してる。この子に会わせてくれて、私からもありがとう!」


 突然のアリスからのお礼に、ノアは顔を真っ赤にして頷きアリスを抱きしめた。


 そこにキリがやってきて、抱き合う二人を無視してハンナから赤ん坊を取り上げてポツリと言う。


「ノア様そっくりですね。どうか中身もノア様でありますように。いや、ノア様の闇の部分は似ませんように」

「……キリ、酷くない?」

「本当の事です。ノエル、あなたの両親は大分変わっていますが、どうか元気に健やかに真っすぐに大きくなってくださいね。大丈夫、あなたには俺の子供達が味方になります。安心してお嬢様の暴走を止めてください」


 キリがそう言って赤ん坊の頭を撫でると、赤ん坊は嬉しそうに笑った。


 そんな赤ん坊とキリのやりとりを、アリスとノア、そしてハンナは首を傾げて見ていた。


 ノエルって、誰だろう? と。


「キリ、ノエルって?」


 ノアの言葉にキリは、え? と首を傾げる。


「この子の名前ですが」

「……ん? いつ決まったの?」

「今です。抱いて顔を見た瞬間、ああ、この子はノエルだな、と」


 あまりにも淡々と言うキリに、アリスとノアは一瞬目を丸くして次の瞬間噴き出した。


「ちょ、勝手に決める!? それ、うちの子だからね?」

「そうだよ! 何でキリが決めるの! 名前いっぱい兄さまと考えてたのに、もうノエルにしか思えなくなっちゃったじゃん!」


 アリスとノアはそう言ってキリからノエルを受け取って顔を覗き込み、やっぱり噴き出す。


 駄目だ。もうこの子はノエルだ。


「はぁ~……ノエル、これからよろしくね!」


 アリスはノエルのおでこにキスをしてノエルをノアに渡すと、徐にベッドから起き上がって部屋を飛び出し、集まってくれた仲間たちの元に向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る