番外編 終わりとこれから1

 島にかかっていた魔法が解け、外との国交が完全に復活したのは、戦争が終わってから約二年後だった。


 この二年の間にどれほど色んな事があっただろう。毎日はめまぐるしく通り過ぎ、未来は今まで止まっていた時間を早送りするかのように過ぎていった。


 最近では毎日のようにルイスとキャロラインから、テオと遊ぶルイスの妹オーロラと、ルイスとキャロラインの第一子、ライアンの写真が送られてくる。


 アリスはベッドに転がって皆から送られてくる写真を一枚一枚眺めながら珍しく考え事をしていた。


 あの夢の様に楽しかったキャロラインの結婚式から二年だ。その間にリアンとライラも無事に結婚して、まさかのオリバーとドロシーまで結婚を前提にお付き合いを始めてしまった。


 ダニエルの所にも女の子が生まれてエマは育児休暇を取っているそうだ。


 ライラに至っては現在妊娠中で、毎日のようにリアンからノアに電話がかかってくるという。内容はどれも妊婦さんと赤ちゃんが生まれた時の扱いについてだと言うから、リアンは思っていたよりもずっと子煩悩になりそうだ。


 カインの所にも第一子が生まれたばかりでそれはもう美しい男の子だった。シャルルの所の男女の双子ちゃんといい勝負だと妖精王が既に周りに自慢したおしている。


「皆、どんどん進んで行っちゃうな……」


 アリスはスマホを枕元に置いてベッドから降りると、何となく思い立って妖精手帳に『ノア』と書きつけた。時間は夜中の三時だ。


 アリスが行くと、ノアは既に眠っていた。小さい頃と同じように相変わらずピクリとも動かず、思わず呼吸を確認してしまう。


 アリスはそんなノアの隣にこっそり寝転がると、ぴっとりとノアに身を寄せた。相変わらずノアはローズマリーのいい匂いがする。小さい頃からずっとこの匂いを嗅いでいた。だから今では一番安心するのがこの匂いだ。


「結婚かぁ……皆の赤ちゃん可愛かったな……兄さまの赤ちゃんも可愛いんだろうな……」


 小さい頃のノアを思い出して思わず笑ったアリスにノアが気づいたのか、珍しく呻きながら寝返りを打ってアリスを抱きしめて背中を撫でてくれる。


「んー……、大丈夫アリス、怖くない怖くない……」

「……兄さま……」


 ノアの行動はまるで小さい頃のまんまだ。アリスが夜中に怖い夢を見ると、ノアはいつだってこうやって抱きしめて慰めてくれた。


 そうして安心したアリスはノアに抱きしめられたまま鼻をすすって眠るのだ。そして明け方ノアをベッドから蹴りだすのだが。


 ふとそんな事を思い出したアリスは、じっとノアの寝顔を覗き込んで何かに納得したように頷く。


「結婚かぁ! うん、楽しそうだな!」


 アリスはそう言って昔のようにノアにくっついてそのまま眠りに落ちた。


 

 朝、ノアは何故かベッドから落ちた衝撃で目を覚ました。驚きすぎて一瞬何が起こったのかよく分からなかったが、ふとベッドの上を見て納得したように頷くと大の字でベッドを占領しているアリスに毛布をかけて顔を洗いに行く。


 しかしいつの間にやってきたのだろう。これでは何のためにアリスと距離を取っているのかさっぱり分からない。首を傾げながら支度をし終えたノアが部屋に戻ると、そこには既に目を覚ましたアリスがじっとこちらを見ていた。


「おはよ、アリス。いつ来たの? 起こしてくれたら良かったのに」


 水を飲みながらそんな事を言うノアに、アリスはいつものようにニカッと笑う。思わずそんな笑顔に釣られたようにノアが笑うと、アリスが言った。


「兄さま! 結婚しよっか!」


 と。


 ノアはその一言に思わず持っていたコップを落としてアリスを二度見する。


「……は? アリス、寝ぼけてるの?」

「寝ぼけてないよ! ちゃんと起きてる!」

「え……いや、それは嘘でしょ?」

「私は! 兄さまと違って! 嘘はつかない!」


 アリスはベッドから飛び降りて寝ぐせをつけたままノアを見上げた。そんなアリスをノアはまじまじと見つめていたかと思うと、突然ポンと手を打った。


「あ、エイプリルフール? アリス、そんな日まで学習してたの? 凄いね」

「だから! 違うってば! もういい! そんなに信じないなら私、違う人と結婚してやる!」


 そう言って部屋を飛び出そうとしたアリスの腕をノアが掴んだ。


「駄目だよ。アリスは僕でないとお世話出来ないでしょ?」

「そうだよ! だから兄さまと結婚しよって言ってるんじゃん!」


 ノアの怒ったような声にアリスは振り返ってノアを睨みつけた。それを聞いてようやくノアは何かを理解したようにアリスを見下ろしてポツリと言う。


「……本気?」

「本気だよ! さっきからずっとそう言ってる!」


 アリスの言葉にとうとうノアはゴクリと喉を鳴らした。ここまで言わなければ信じてもらえないなんて、一体どうなっているんだ。


「……マジか……こうしちゃいられない! アリス! 髪梳かすから早くそこに座って! ついでにキリ呼んで!」

「う、うん」


 突然きびきびと動き出したノアに今度はアリスが目を白黒させながらキリに電話をすると、もうすっかり起きていたであろうキリが部屋に飛び込んできてノアに髪を梳かしてもらっているアリスを睨みつける。


「お嬢様! 一体いつの間に屋敷を抜け出してきたんですか! いつも言ってるでしょう⁉ そういう事してるとそのうち――」

「キリ! 結婚するよ!」

「は?」

「早く結婚式の準備して!」


 急かすようなノアの言葉にキリは首を傾げた。


「つかぬ事をお伺いしますが……誰と誰の結婚式でしょう?」

「僕と! アリスのだよ!」

「……この歳でゴッコ遊びですか?」

「違うってば! ああもう! アリスにプロポーズされたの! アリスの気が変わらないうちにさっさと式挙げちゃうよ。はっ! そうだアリス、これにサインして」


 そう言ってノアは引き出しから既に二人の名前を書き込んだ婚姻届けをアリスに渡した。それを見てアリスは目を丸くして婚姻届けとノアを何度も交互に見ている。


「に、兄さま、これ既に私の名前も入ってるけど……」

「うん、代わりに書いといてあげたの。後はサインだけだから」

「え、何で……」


 純粋なアリスの疑問にノアは何てことない感じでいつものようにニコっと笑う。


「だって、アリス間違えそうじゃない? だから先に書いておいたの。ほら、サインして」

「う、うん……」


 こんなものを一体いつから持っていたのか。アリスはノアに言われるがままサインして婚姻届けをキリに渡した。すると、それを見てようやくキリはこの二人が本当に結婚する気なのだと気付いたようで、大分遅れて二人を凝視して口を開く。


「……正気ですか、ノア様」


 これと? 本当にこの猿と結婚するの? キリのそう言いたげな視線にノアは苦笑いをして頷く。


「正気だよ。とりあえず最終確認だけどアリス、これ、今から役所に出してきていいんだよね?」

「うん!」

「そうしたらもう、本当に僕達は夫婦だよ? 嫌がっても泣いても、一生一緒だよ?」

「分かってるよぅ!」

「言っとくけど、もう僕は兄さまじゃないよ? アリスの夫になるんだからね?」

「知ってるってば! もう兄さまだなんて思ってないよ!」


 何度も何度もしつこく確認するノアにとうとうアリスは拳を振り上げた。それを聞いてノアは一瞬驚いたような顔をして、次の瞬間には破顔してアリスを抱きしめる。


「やっと……やっと! 僕のループが終わるんだ!」


 ゲーム自体のループはとうに終わった。


 けれど、ノアのアリスを追いかけると言うループは今もずっと続いていたのだ。果てしなさすぎてそろそろ泣きそうだった所に突然のアリスからのプロポーズだ。そりゃ何度も確認するに決まっている。


 そこからのノアとキリの行動は驚くほど早かった。


 まずノアはアリスを着替えさせると何故か婚姻届けを写真に撮ってアリスの朝ごはんを作り、そのまま役所に提出する為に家を飛び出して行ってしまった。


 キリはと言えばその間にミアに電話して事情を話し、すぐさまミアの元へ向かう。


 その間、アリスはポツンとノアの部屋で二人が戻って来るのを即席で用意された朝食を食べながら待っていたのだが、ノアは戻ってくるなりアリスと手を繋いで妖精手帳を使って屋敷に二人で戻った。


「お嬢! 何で坊ちゃんと一緒にいるんだい⁉」


 いつまでも起きて来ないアリスを心配したハンナが屋敷中探し回っていた所に、ノアに連れられてアリスが戻って来た。


 ノアの顔は何故かいつも以上にピカピカと輝いていて、アリスは手にトーストを握りしめてモグモグしている。これは誰がどう見ても朝帰りである。


「……一応聞きますが坊ちゃん……お嬢に何かしたりしてません……よね?」


 不安気なハンナにノアは満面の笑みで言う。


「嫌だなぁ! 何かするとしたら今夜だよ! ハンナ! 僕達結婚する! いや、した!」

「……え?」

「ほら! 証拠! こうしちゃいられない! アリス、父さんの所に行くよ!」


 ノアはハンナに先程撮った婚姻届けを見せるとアリスの手を引く。


「うん。あ、兄さま、まだ目玉焼き残ってたんだけど」

「そんなものいくらでも後で焼いてあげるから!」

「じゃあいいよ!」


 アリスはそう言ってまだ呆けるハンナを残して仲良くアーサーの部屋を尋ねた。

 


 アーサーはいつものように自室でお茶を飲みながらグレースの焼いたパンを食べていた。うん、今日のパンも美味い! いつもと何の代わり映えもない朝だ。


 窓の外ではドンとスキピオが今日も朝からイチャイチャと戯れている。


 二人の足元にはこの間ドンが産んだ卵が八つ。その卵のお世話をしているのはレッドとレッドαだ。時間になったら甲斐甲斐しく転卵しているあたり、最早親はレッド達である。

 ちなみにレインボードラゴンはそれぞれレインボー隊と同じ色の領地に住み着いた。そして何かイベントの時だけ竜騎士として王都に集まって来るのだ。


 そんないつもの朝、それはやってきた。


「おはよう、父さん!」

「おはよ~父さま」

「おや、おはよう、二人とも。どうしたんだい? 朝から手なんて繋いで仲良しだね」


 いつもの調子でニコニコしながらお茶を飲みながらいつでも仲良しな二人を見て言うと、ノアがニコッと笑った。


「父さん! 僕達、結婚する! ていうか、もうしてきた!」

「テヘペロ!」

「ぶふぅーーーーーー! はっ⁉」


 親指を立てるノアとテヘペロをするアリスに、アーサーは思わず口に含んでいたお茶を全て噴いてしまった。それを真正面から浴びた二人は何とも言えない顔をしている。


「父さん……汚い」

「あつ! あっつい! 父さま何度のお茶飲んでるの⁉」


 一度口に入れているはずなのにこの温度って、一体どれほど熱いお茶を飲んでいるのだ、アーサーは!


 アリスがアチチ! と顔を袖で拭っていると、横からノアがいそいそとアリスの顔をハンカチで拭いて自分の顔も拭いている。


「ご、ごめん、二人とも! いや、それより……何だって?」

「だから、結婚した! 役所にはもう婚姻届け出してきたよ。ほら」


 そう言ってノアはやっぱり写真をアーサーに見せて胸を張った。ノアの今までに見た事もないぐらいのドヤ顔にアーサーは何度も写真とノアを見比べて口をあんぐり開けている。


「も、もう出したのかい?」

「うん、さっき。役所のモーガンさんもビックリしてひっくり返ってたよ。思い切り腰打ってたけど大丈夫かな」

「そ、そうだろうね……後で湿布を持って行っておこうか。それで、その感じだと受理もされたんだよね?」

「もちろん! ちゃんと僕の目の前で判子押してもらったよ」


 そういう抜かりは一切ないノアである。


「アリスはそれでいいんだね?」


 それを聞いてアーサーは深く息を吐いて椅子に座りなおし、机の上の零れたお茶を拭きながら落ち着こうと思ってまたお茶を飲む。

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