第五百二十九話 アリスの卒業式
アリスは胸に下級生から貰った花をつけ、廊下に並んでいた。一時たりとも静かになど出来ないアリスは、さっきからずっと足踏みをしている。
「先生、早く早く!」
「待て、バセット。まだ前のクラスが出発してないだろ。いいか、何が心配だって、俺はお前が一番心配なんだ。頼むから最後ぐらいじっとしててくれな?」
担任のカーターがアリスの肩を掴んで言うと、アリスはコクリと頷いた。そんなアリスを疑わしい目で見ているのはクラスメイト達である。
「先生、やっぱりバセットは椅子に縛り付けておいた方がいいんじゃ……」
「だったら猿轡もしてないと、何叫ぶか分かりません!」
口々にそんな事を言うクラスメイト達にカーターは苦笑いをして言った。
「気持ちは分かるがな、お前ら。嫌だろ? 後で自分達の卒業式思い出した時にクラスメイトに縛られて猿轡されてた奴がいたなー、とか」
カーターの言葉にクラスメイト達は一瞬黙り込んで大爆笑する。そんな光景にカーターは目を細めた。
フォスタースクールではクラス替えという概念はない。だから六年間クラスメイトは変わらないし、担任もずっとカーターだった。
最初はぎくしゃくしていたこのクラスは、一番力のある家柄のイザベラがボスだった。カーター自身もスペンサー家の娘だと言う事でどこか遠慮がちだったし、生徒たちもそうだった。
そんなイザベラの標的だったのは、ライラだ。資産家とはいえ子爵家だという理由だけでイザベラの恰好の的だったのだ。
ライラはいつも大人しく、自分の気持ちをいつも飲み込んでしまう、そんな生徒だった。最初の頃はそれこそしょっちゅう幼馴染のリアンの元に逃げていたのだが、それも手伝ってライラへのクラスメイト達の攻撃が徐々に激しくなっていったのは言うまでもない。カーターも何度も止めに入ったが、いつも強くは言えなかった。
階級が絶対のこの世界では、何かの拍子に首が飛ぶ。比喩ではなく本当に。口ではいくら生徒を思っていると言っても、やはり自分の身は可愛いし、何よりもカーターには守らなければならない家族も既に居る。
『ライラ・スコットへの虐めが酷くなってるんだ……どうしたらいいんだ……』
何度そんな風にイーサンに相談しただろう。
イーサンは内気なカーターとは違い、はっきりとした性格で伯爵家の中では変わり者で有名だった。そんなイーサンとカーターはいわゆる同期という奴だ。
『お前、また痩せたな。いい加減校長に言えよ。体壊すぞ』
『いや……校長に言ったらスコットの方を退学にされてしまうかもしれない……スペンサー家には校長でも逆らえないだろ? スコットは飛びぬけて勉強が出来る訳じゃないが、人とは違う感性があるんだ。誰も見ていないような事に気がつく、素直ないい子なんだよ。スペンサーだって、本当はあんな事がしたいはずじゃないんだ。もちろん、それは他の子達もだ。何かのボタンをかけ違えてるんだよ、あの子達は……』
そう言ってカーターは何度も泣いた。生徒は皆等しく可愛い。
けれど、どうやってその掛け違えたボタンを直してやればいいのかが分からなかった。
そう、アリスが学園にやって来るまでは。
アリス・バセットは編入してきた時から生徒の間でも教師の間でも注目の的だった。何せ兄はあの優秀なノア・バセットだ。それだけでも注目だったのに、使う魔法が一歩間違えればとても危険な魔法だったからだ。ただ、それは教師たちにしか知らされていなかったのだが。
『どうしてよりによってうちのクラスなんだ!』
カーターはアリスが編入してくるまでずっとそう叫んでいた。
何せあのノアが溺愛する妹だ。きっと大人しくてお人形さんのように主体性の無い内気な少女に決まっている。ましてや男爵家だ。下手したら今度は標的がアリスになりかねない。
ところが数週間後。
『イーサン……バセットを何とかしてくれ……』
『無茶言うな。誰だ、あいつの事をお人形さんのように大人しいだなんて言ったのは! 真逆じゃないか! あれは自己主張の塊だぞ!』
アリスはクラスのボス、イザベラに決して屈しなかった。それどころかいつでも真っ向から向かっていくのだ。そんなアリスと一番に仲良くなったのはライラだ。ここから徐々にクラスの力関係が変わっていった。
とにかくアリスは暴れん坊で変わり者だった。従者のキリにさえお花畑だと揶揄されるアリス。カーターはノアが何故アリスをあんなにも溺愛できるのかが未だに分からない。
ただ、アリスはとにかく発想が豊かだった。次から次へと色んな事を思いついては学園を変えていった。挙句の果てにドラゴンまで拾ってきて学園側を悩ませたが、気がつけばクラスは一つにまとまりつつあった。
クラスの繋がりが強くなったのは、きっとあのフォルスへの留学だったのだろう。フォルスではフォスタースクールよりもずっと階級社会だ。
それを客観的に目の当たりにした事で、生徒たちの中に何かが芽生えたのかもしれない。何よりも黒い覆面に襲われた時、学園と生徒を守るんだ! と飛び出して行ったアリスを見て、生徒たちはようやく何かに気づいたのだろう。
あのアリスを見て、カーターも目が覚めたのと同じように。
カーターはそんな事を思い出しながら、胸に花をつけた生徒たちを一人一人見渡して言った。
「皆、卒業おめでとう。誰一人欠ける事なく卒業出来る事を、俺は誇りに思うよ」
「先生……」
突然のカーターの言葉に生徒たちは全員唇を噛みしめて涙を堪えた。必死になって今まで耐えていたのだ。それをこんな所で泣かせに来るのは止めて欲しい。
今にも泣きだしそうな生徒たちを見てカーターはすぐに意地悪な笑みを浮かべて言った。
「特にバセット。お前だけは絶対に留年すると思っていたよ。偉大な魔法使い、ファンコ・ローモンの名前をアンコ・ローモチって書いてるのを見た時に……」
それを聞いてライラがすぐさまアリスの肩を掴んだ。
「アリスってば! あれだけ動物と食べ物に関連付けて覚えちゃ駄目って言ったのに!」
「だってだって! 知らない人だもん! 会った事ないもん!」
「会った事無くても分かるでしょ? アンコ・ローモチって……あなた、それはもう人の名前ではなくてよ。ライラ、やっぱり早くあの歴史漫画を完成させてやってちょうだい。そしてこの子に一番に渡してやって」
「そうね。ベル、また手伝ってくれる?」
「もちろんよ」
「ぶー!」
呆れた顔のイザベラと怒るライラに生徒たちは一斉に笑い出した。このクラスはアリスのこのお花畑に救われたのだ。もちろん、カーターも。
「何にしても、お前達のおかげで楽しかった。卒業してもここでの事、忘れるなよ」
今やアリスもライラもこの国を救った英雄だ。
けれど、その前にカーターの大事な生徒だ。
「もちのろんだよ! 先生も私達の事忘れないでよね!」
「忘れる訳ないだろ! 忘れたくても忘れられんわ!」
何がアンコ・ローモチだ。何がルートヒヒだ。誰だ、それ。
思わず爆笑したカーターに釣られたように生徒たちも笑い出す。いつまでも廊下で笑っていると、気がつけば後ろのクラスの担任に、笑っていないで早く行け、と叱られてしまった。
こうして無事に卒業式を終えたアリス達は、急いでそれぞれの部屋に戻ってこの後のパーティーの準備をする。
「ねぇキリ、このドレス派手じゃない? 動きにくいしめっちゃ重いよ」
「ええ、派手ですね。ですが、それを着ろとノア様からのお達しです」
そしておそらく、あえてノアがこの驚くほど重いドレスをアリスに着せたのは、見栄えももちろんの事、何よりもアリスの動きを制御する為だという事にキリは気付いている。
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