第五百二十八話 それぞれの日常2
ライラは今日もアリスの絵を拝んで眠りについた。学園での生活も後わずかだ。どうか、アリスが無事に卒業できますように。それが最近のライラのお祈りの内容である。
ライラは今、アリスの教科書を作る傍ら、絵で見る歴史書を描いている。
最初はイラストに文章を付けただけの歴史書だったのだが、アリスがそれを見て、漫画にしよう! と言い出したのをきっかけに、ノアに漫画とはどういうものなのかを聞いて絵の練習を始め、その第一号がついこの間出来上がったのだ。
ロビンに出来上がったものを見せるとロビンは大変感動して、すぐにそれを印刷し始めた。流石に配る訳にはいかないので販売をした所、これの続きはないのか、という問い合わせが既にあちこちから入っているのだという。
それを聞いてノアは出来上がった漫画を見ながら笑って言った。
『ライラちゃんがこの世界で初めての漫画家になるんだね』
と。
本来漫画家とは創作した話を描くものなのだと聞いて、ライラはふと思い立ってアリスに相談し、リアンと共に雑誌社を立ち上げた。
世の中には絵を描くのが得意な人が沢山いる。そしてお話を考えるのが得意な人も沢山いる。こういう人達を集めて色んな物語を世に出したい。
そんな中、アリスにいつか自分達の身に起こった事を創作のお話として描いてみたらどうだ? と言われ、ライラは老後の楽しみが一つ出来た! と手を叩いて喜んだ。
もちろん、アリスが主役の話だ。タイトルは『アリス・バセットの受難』
それをリアンに言うと、リアンは『アリス・バセット以外受難』の方がいい、と言っていたが、元々は支倉乃亜がアリス・バネットに恋をした事から始まって、完全にアリスは巻き込まれただけなのだから、やはりこれでいい! と押し切ったライラである。
そしてライラとリアンが立ち上げた雑誌社には、既に何人かの作家と漫画家が在籍している。面白いのは、その中に妖精も含まれている事だ。
今まで謎だった妖精達の生活を赤裸々に描いたほぼギャグ漫画『妖精達の至って普通の毎日』は今や大人気である。笑えるし泣けると言った感想が届くたびに作者の妖精は大喜びしている。他の作品も色んなのがあった。ロマンス溢れる王子様とお姫様の恋物語や、英雄が大活躍する冒険もの、推理力が試されるミステリーなど。
「もう少し作者が増えたら、カテゴリーに分けて雑誌を増やそうと思うの」
「いいんじゃない? 小説だけ読みたい人とか漫画だけ読みたい人も居るだろうし。あはは! ねぇ、これほんと?」
リアンは最新版の試し刷りされた雑誌を見て笑い声をあげて、寮の部屋にいつの間にか住み着いているブラウニー妖精のリンに言った。リンは『妖精達の至って普通の毎日』を読んで笑って言う。
「本当ダヨ! ちょっとだケ脚色されてるケド、大体こんな感ジ」
「そうなんだ! 面白いね。これ、人間バージョンも誰か描いてくんないかな」
リアンも大のお気に入り『妖精達の至って普通の毎日』である。これを今度、一冊にまとめて本にしようと言い出したのは他の誰でもないリアンだ。
楽しそうなリアンにライラは目を細めて頷くと、コロンボンの手帳に書き込む。
ちなみに、コロンボンの社長は今や何を隠そう、この雑誌社の筆頭出資者である。同じ紙を扱う仕事だと聞いて興味を示したコロンボンの社長は、ライラと同室のユリの父親だったのだ!
ユリはいつも何かを熱心に書いていた。そんなユリがたまたまライラが開きっぱなしにしたままホールに置き忘れた父親の会社の手帳を見て部屋に駆け込んできた事で今の雑誌社がある。
そんなユリの書く物語はラブロマンスで、女性たちに圧倒的に指示されて今や売れっ子作家である。ライラと仲良くしたがらなかったのは、作品を書くのに没頭したかったのだと聞いてその日からユリとは友人関係でいい仕事のパートナーでもある。
リアンはライラと立ち上げた雑誌社の編集をするのと、アリスの面倒を見る事でとにかく毎日疲れ切っていた。
「ねぇ……あいつ、いつになったら落ち着くの……?」
ある日、食堂でリアンが言うと、食器を片付けにきていたキリがポツリと言った。
「さあ……俺が聞きたいです」
「……だよね」
真顔でそんな事を言うキリに、同情を禁じ得ないリアンである。
「ごっちそうさまぁ~! さて! 今日も楽しく畑耕すぞ~!」
「俺達もご一緒します!」
「私も!」
アリスがそう言って立ち上がると、数名の下級生達が食器を片付けてアリスの後について行った。あれはアリスの信者たちだ。あの戦争の宝珠を見て、アリスに憧れてこの学園に入学した者が居たと聞いたが、まさか本当だとは思っていなかったリアンである。
「毎日元気だね、アリスは」
「本当ね。でも、それも後ちょっとなのね……」
ライラはそう言ってスープを飲みながらため息を落とした。そんなライラを見てリアンが鼻で笑う。
「ライラ、賭けてもいいよ。卒業したって、あいつはしょっちゅうウチに来ると思うな」
「どうして?」
「だって、あいつ凍土見て何か作るって喚いてたでしょ? 最悪しばらく住み着くんじゃない?」
それを思うと今から既に胃が痛いリアンだ。そして最近分かったのだが、アリスとリアンの母エデルは、どうやら大変よく気が合うらしい。
「そう言えばお義母さま、最近お医者様に驚かれたって言ってたけど、何かあったの?」
「ああ、うん。母さんあんなだけど体弱いじゃん? だからずっと薬とか飲んで定期健診行ってるんだけどさ、その数値がここ数カ月めちゃくちゃいいんだって。薬も飲んでないし、医者に何したんだって詰め寄られたって笑ってた」
「まぁ! 良かったじゃない!」
「まぁ、うん、良かったんだけど。その原因があいつなんだよなぁ……」
そう、エデルが最近見違えるほど元気になったのは、偏にアリスのおかげである。というのも、激しい運動が出来ないエデルは、踊り子だった事で寿命を縮めていたのだ。
けれど、運動しなければ筋力は落ちて、すぐにまた病に倒れてしまう。
それを見兼ねて家で出来る簡単な運動法『ヨガ』というのをアリスに教えて貰ってからというもの、エデルはみるみる間に元気になっていった。今では軽いジョギングなら出来るぐらいにまで回復したエデルは、ハンナの作るポーションを取り寄せて毎日飲み、何なら少し若返ったと喜んでいる。
「アリスってば、本当に相変わらず色んな所で誰かの役に立ってるのね」
「本人にそんな意識ないんだろうけどね。まぁ、それがあいつの良い所なんだけど、他がなぁ……」
勲章の授与が終わってノアが完全に領地に戻ってしまってからというもの、アリスは最早水を得た魚の様にやりたい放題である。
最近ではキリも疲れてきたのか、程々に、としか言わない。そんなアリスの奇行に巻き込まれるのはいつだって、リアン達なのである。可哀相なのは、卒業したはずのキャロラインでさえ、今でもたまに学園にやって来てはアリスにお説教をしているという事だ。
卒業してもなおキャロラインの世話になるアリスに、教師たちはもう呆れを通り越して何も言わない。ああまたか、ぐらいのものである。
「それにさ、卒業したら僕達も週一の商品開発会議に出なきゃなんだよ。結局、これから一生あいつらと一緒だと思うともう僕胃が……」
そう言って胃を押さえたリアンを見て、グリーンがいつものように自分のポシェットから胃薬をくれた。
「ありがとね」
リアンはすっかり常備薬になってしまった胃薬を飲みながら、大きな溜息を落としていた。
オリバーは今日も忙しくルーデリア中を幌馬車で走り回っていた。妖精号は今やどこへ行っても大人気だ。いつの間にかすっかりオリバーとドロシーは一緒にあちこち回るのが板についてしまった。
妖精達が在庫管理や接客もしてくれているので、今や妖精がこの馬車の主だと言っても過言ではないかもしれない。
オリバーはそんな事を考えながら今日もグランに向かう。
御者台のオリバーの隣にはドロシーが農家の人に貰った沢山の林檎を両手で抱えて嬉しそうにしていた。
最近はもっぱら夜はグランへ向かう妖精号である。
オリバーにとってもドロシーにとっても、最早グランは故郷だ。グランの人達もオリバーとドロシーを家族だと思ってくれているかのように、いつも歓迎してくれる。
グランまで戻ってくるとミランダがグランの入り口で待ってくれていた。その後ろには桃と同じ色をしたドラゴンが子供を乗せて歩き回っている。とてもシュールだ。
「オリバー! ドロシー! 今日はあんた達の好きなアリスのグラタンだよ! 早く馬車置いてきなー!」
「はーい!」
「先に行って準備しといてほしいっす。俺はこれ、停めてくるんで」
「うん、分かった。林檎、ミランダさんに渡していい?」
「もちろん」
すっかり家族のようなミランダとドロシーにオリバーは目を細めて皆が馬車を降りるのを待つ。
馬車を操り、いつの間にか出来ていた妖精号専用の馬車小屋に馬を入れて歩き出す。どこからともなくいい匂いがしてきて、思わずオリバーのお腹が鳴った。
足早にミランダの店に向かうと、夕食時だからか店は一杯だ。カウンターの中では何故かドロシーと妖精達もミランダの手伝いをしていてオリバーは笑みを漏らす。
こんな幸せな日常が待っているなんて、あの時は思いもしなかった。そして何気なくドロシーが野菜を切ったり鍋を洗っているのを見てふと未来を想う。
「やっぱ……俺にはドロシーなんすよねぇ……」
近い将来、ドロシーにきちんと自分の気持ちを伝えたい。そんな事を考えながら思わず漏れたオリバーの声は、誰にも聞こえる事はなかった。
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