第五百七話 先代妖精王のミス
叫んでからアリスは顔を両手で覆った。それを聞いていたノアとキリ、そしていつの間にかやって来ていた騎士団が微妙な顔をしている。
「……お嬢様……泥棒猫……とは……」
「アリス……古くない?」
そんなセリフ、こちらの人には絶対に通じないし、恐らくあちらの世界でも若い人にはもしかしたらもう通じないかもしれない……。
「訳の分からない事言わないで! あんたなんてあんたなんて……邪魔なのよ! 自分で何も出来ない小娘が!」
エミリーはそう言ってアリスの台詞に唖然としていた騎士の隙をついて、隠し持っていたナイフを取り出してアリスに飛び掛かった。ところが――。
「よっせい! そんなおもちゃで私に勝てるかっての!」
「っ!」
エミリーのナイフは呆気なくアリスの手刀で弾かれ、逆に羽交い絞めにされてしまった。華奢なアリスのどこにそんな力があるのかと思うほど強く締めあげられたエミリーは思わず咽る。
「ヤバ! ごめん、絞めすぎた⁉」
「ばぁか! これでもくらえっ!」
ほんの少しアリスが力を緩めた隙に、エミリーはグルリと振り返って拳に力を入れて殴りかかった。
こう見えて好戦的なエミリーだ。喧嘩では誰にも負けた事はない。大抵顔面を殴ってやれば相手は失神してしまうのだ。
ノアの前ではお淑やかでいたかったが、もうそんな事言ってられない。拳をいつものようにアリスの顔面にぶち込んでやらなきゃ気が済まない。
そんなエミリーを見てノアとキリと騎士達が呆れた視線をエミリーに向けた。
「あーあ、僕しーらない」
「俺も、見なかった事にしておきます」
ノアとキリの言葉に騎士達が頷いた瞬間、アリスの目の色が変わった。
散々アーロに待てをされていたアリスは、もう爆発寸前だった。目の前で倒れていく仲間を見ながら本気で戦えないこのジレンマ。そこに来てこのエミリーである。簡単にアリスのスイッチは入ってしまった。
「ふんぬっ!」
アリスは目にもとまらぬ速さでエミリーの拳を避けると、すかさずエミリーの頭を掴んで、思い切り自分の頭をエミリーのおでこに打ち付けた。
何が起こったか分からないエミリーは突然の衝撃によろよろとよろけて後ずさって転び、激しく木で頭を打ち付けてそのまま意識を失ってしまう。
「し、死んでません……よね?」
騎士の一人が言うと、アリスはいつもの様に親指を立ててニカッと笑った。
「大丈夫だいじょーぶ! よし、コイツを牢にぶち込むのじゃ! わははは!」
これも言ってみたかったアリスである。いつも通りのアリスに騎士は恐る恐る頷いてぐったりと動かないエミリーに縄をかけて担ぎ上げた。
そんな騎士達を見送りながらノアとキリは腕を組んで互いの顔を見合わせている。
「マズイですね。さっきの話が本当なら、こちらの戦況はかなり悪くなりますよ」
「だね。とりあえずカイン達に報せに行こう。あーもう! こんな時にドンはどこで何してるんだろう⁉」
ノアが言うと、アリスもキリも頷いた。
こんな時に限ってドンとスキピオはいつもの様にメイリングにデートに行ってしまっているのである。おまけに何故かレインボー隊まで今日は姿を現さない。皆して一体どこへ行っているのか。
とはいえ、小さな彼らがここに居ても出来る事など何もないのだが。
あちらがどんな武器を持ち込んでくるつもりかはさっぱり分からないが、このままでは非常にマズイ。
三人は急いで天幕に戻って今しがたエミリーに聞いた事を話すと、分かりやすくその場に居た全員が青ざめ、この状況を崖上でまだ氷の雨を降らせるキャロラインに伝えると、キャロラインはすぐさま戻って来た。
「どういう事⁉ これで全てではないという事⁉」
「落ち着け、キャロ」
「まだ分からないんだよ。でも、森の監視に行ってる妖精達からあちこちに小さなフェアリーサークルがあるって話が入ってさ。で、それを全部地図に落とし込んできてもらったのがこれだよ」
そう言ってカインが机の上にこの戦場一帯の地図を見せると、そこには点々と赤い印が付いている。それを見て妖精王がハッと息を飲んだ。
「これは……先代との契約……か……」
「え?」
アリスが聞き返すと、妖精王がゴクリと息を飲んだ。
「ノアも知っての通り、我らは契約が成立すれば、たとえそれが誰の願いでも叶えなければならない。そしてそれは、叶えるまで有効だ。どこの誰かは知らんが、先代の妖精王と契約をしていたようだ。この赤い点を全て繋ぐと、召喚魔法の陣になる」
そう言って妖精王は地図の上の赤い点を鉛筆で繋ぎ始めた。すると、そこには不思議な模様が出来上がる。
それを見てカインの肩に居たフィルマメントが青ざめた。
「パパ、これ、大変だよ! 先代様は何してるの⁉ 何でこんな事に手を……」
「恐らく先代もこんな事に使われるなどとは夢にも思っていなかったのだろうな」
腕を組んで魔法陣を見つめる妖精王に取り乱したフィルマメントが掴みかかろうとしたが、そんなフィルマメントを慰めるようにカインが小さな頭を撫でながら言う。
「フィル、こっちもまだ全員揃ってない。レスターとダニエルを信じて待とう」
「そうだよ、フィルちゃん。それに、考えようによってはこれはチャンスかも」
「チャンス?」
「うん。外の敵を二分させるいい機会だよ」
ノアが言うと、カインも納得したように頷いた。
「確かにそうだな。よしノア、作戦練り直すぞ」
「うん」
未だに到着しない仲間、ダニエルとレスター。
あの二人が来たところでどう戦況が変わるかは分からないが、特にレスターは妖精達との繋がりが今やカインよりも広い。どれだけの仲間たちを連れて来てくれるか信じて二人を待つしかない。
「父さん、とりあえずこちらはアメリアを拘束しましょう。ノア達が聞いた事が本当なら、どさくさに紛れてアメリアを殺されてしまいます。それに万が一あちらの魔法を使われたら……」
「あ、アメリアなんだけど、捕まえたら装飾品の類は全て取りあげておいてください。自死されたら堪らないので」
ルイスとノアの言葉にルカは頷く。
「そうだな。ルーイ、どうなっている?」
「はい。キャスパーはアーロが始末しました。エミリーはアリス嬢が懲らしめたようです。残るはアメリアですが、もうあちらの天幕には蒼の騎士団が集結しています。号令一つで動かせる状態です」
ルカの言葉にルーイは早口で告げた。そこへ赤の騎士団長、ゾルが転がり込んでくる。
「報告します! こちらの騎士が半数を切りました。向こうも半数程には減らしましたが、数は圧倒的です」
「てかさ、早くアリスゴーしてくんない⁉ 僕もモブも、もう限界だよ!」
そこにいつの間にか戻って来ていたリアンが肩で息をしながら言う。クローにはびっしりと血がこびりついていて、その表情は疲れ果てていた。
「そうしたいのは山々なんだがな、もう少し耐えてくれ。嫌な続報が入った所だ」
それまで黙って戦況を見守っていたルイスが言うと、ルカも頷く。
「どういう事?」
「えっとね――」
ノアが簡単に説明すると、リアンは分かりやすくその場にしゃがみ込んだ。
「……嘘でしょ? 本気でヤバイじゃん……ドン達はこの非常事態に何してんの?」
ドンが一人でも居れば少しは楽になるのに。そう考えたリアンに、ノアとキリが困ったように項垂れた。ただ、外からどんな武器を持ってくるつもりかは知らないが、向こうの出方次第ではドンとスキピオが居た所で戦況は変わらない。
「あっちが増える前にこっちはもう少し減らしておきたいけど、シャルもまだだしどうしたものかな」
そう言ってチラリと戦場を見下ろしたノアを見て、アーロが小さな息を吐いた。
「アリスを投入するか……」
「そうですね。それが一番いいかもしれない。まだ全然疲れてないの、アリスだけだろうし」
アーロの言葉にノアも頷いた。それを見てルカもロビンも頷きアリスを見ると、アリスは剣を握りしめてさっきからずっと足踏みしている。もうこちらも待ての限界である。
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