第四百八十二話 いつもの三人

 魔法陣を描き終わったドロシーは、オリバーに頼んでノアを連れてきてもらう。


 教会の魔法陣の中にノアの遺体はゆっくりと寝かされた。


 仲間たちもゾロゾロとやってきたが、仲間たちの中にアリスとキリは居なかった。


「あの子達は来ないの?」


 キャロラインが言うと、ミアがそっとキャロラインの手に自分の手を重ねてくる。


「もしも、もしも失敗したら、と考えたのではないでしょうか……きっと、私も同じ事があったら、ここには来られません……」

「……そうね……期待をするのは……怖いわよね」


 そう言って蝋人形のようなノアを見つめたキャロラインは、涙を拭いてはっきりと言った。


「ドロシー、気負う事はありません。後先も考えなくて構いません。こうなったのは私たちの責任です。何が起こってもあなたの責任ではない。それだけは、覚えておいてちょうだい」

「……はい!」


 キャロラインの言葉にドロシーの手の震えが治まった。


 これだけの人達に見守られながら、もし失敗したらどうしようかと思っていたのだ。そんなドロシーの不安を、キャロラインは綺麗に取り去ってくれた。


 ドロシーは大きく息を吸い込んでノアの遺体に手を翳し目を閉じた。すると、おぼろげにノアの姿がまぶたの裏に見えてくる。


「ノア・バセットの魂を、この世にもう一度召喚する。生を司る精霊達よ、私の声に応えなさい」


 ドロシーが言うと、どこからともなく金色の光がドロシーの体にまとわりつき出した。そして手の平から伸びた金色の光がノアの遺体を包み込む。


 ドロシーは全神経を手の平に集中させた。


 ノアはどこだ? どこに居る? 精霊達、ノアを探して連れてきて!

 

         ☆


「さて、これからどうしよっか。妖精王はちゃんと約束守って僕の体だけ持ってってくれた訳なんだけど……」

「魂はここに取り残されてますもんね。まぁでもちゃんと時間が経てば消滅して転生しますよ。どれぐらいかかるのかは分かりませんが」


 あっけらかんとそんな事を言うシャルを軽く睨んだノア。


 こうなる事は全く予想していなかったと言えば、嘘になる。


 元々ノアは転生する前にはこうなる事が予測出来てきたのだ。ところがうっかり転生などしてしまったばかりに欲が出てしまった。アリスと幸せになりたいなどと、おこがましい事を考えてしまったのだ。


 ノアは大きなため息を落として言った。


「言ってくれるよね、体が出来た途端に。シャル、ここって真っ暗になったりする?」


 突然の素っ頓狂なノアの質問にシャルは頷いた。それを聞いてノアは顔を歪ませる。


「そっか、じゃあここに居るのも嫌だなぁ。……ん?」


 その時、突然何かに引っ張られる感覚がしてノアは振り返って首を傾げた。


 最初は優しめに引っ張られていたが、次第にその力が増していく。


 流石に恐怖を感じて顔を引きつらせたノアを見て、ふとモニターを見ていたシャルが小さく笑った。


「良かった、モブの機転でどうにかなりそうですね!」

「え? オリバー? ちょ、どういう意……っ!」


 最後まで言い終える前に、ノアの体が宙に浮いた。それと同時にシャルがこちらに向かって満面の笑みで手を振って叫ぶ。


「次は外で会いましょう!」

「は⁉ ちょっと! どういうこ――」


 最後まで言い終える前に、ノアの体は強い力で乱暴に何かに引きずられた。


 体感としてはアリスと喧嘩をして森中引きずり回された時にとてもよく似ている。


 こういう時には逆らわない方がいいのだ、絶対に。それを良く知っているノアは大人しくその見えない何かに体を預けたのだった。


        ☆


 ドロシーは焦っていた。なかなかノアの魂が戻らないのだ。また失敗した? そんな事を考えて震えそうになったドロシーの体をオリバーが支えてくれた。


 それに気付いたドロシーは、足に力を入れ直してさらに力を注ぎ込む。


 どれぐらいそうしていただろうか。多分、本当はそんなに長い時間でもないのだが、ドロシーやその場に居た仲間たちにとってはとてつもなく長い時間だった。


 一番に異変に気付いたのはルイスだ。


 それまでずっとグスグスと涙を拭っていたルイスが、恐々ノアの遺体に視線を移したその時、ノアの手がピクリと動いたような気がしたのだ。


「ノア!」


 思わず駆け寄ろうとした所をトーマスに引き留められて慌てて立ち止まったが、よく見るとノアの胸が上下している事に気付いて、ルイスは思わずトーマスに飛びついた。


「戻った! ノアが戻った!」


 その声に驚いた仲間たちが立ち上がって横たわるノアを見てゴクリと息を飲んだ。確かにルイスの言う通り、ノアがゆっくりとだが息をしているではないか!


 それが分かった途端、キャロラインがスッと立ち上がって教会を飛び出した。


「アリス! アリス! キリ!」


 アリスはまだキリに抱き着いて泣いていた。もう獣のような咆哮は上げていないが、いつものアリスよりも随分と小さくか弱く見える。


 キャロラインは足にまとわりつくドレスをはしたなくたくし上げ、邪魔なヒールの靴も途中で脱ぎ捨て、真っすぐにアリスとキリを目指して走った。


 先にそんなキャロラインに気付いたのはキリだ。ぐしゃぐしゃになって走ってくるキャロラインを見て、何かを察したかのように目を見開いてこちらを見ている。


 続いてアリスの耳元で何かを囁き、それを聞いた途端、アリスはハッと顔を上げてこちらを見た。


「アリス! キリ! ノアが戻ったわ! 戻ったのよ!」

「……嘘……だって……兄さま…………ほんとう……?」

「お嬢様! しっかりしてください! 行きますよ!」


 キリはそう言って呆けて動けないでいるアリスを抱え上げて走り出した。それを見てキャロラインもまた教会に向かって走り出す。


「キリさん! アリス様!」

「ミアさん!」


 教会のドアを、ミアが開けたままで待ってくれていた。いつもはシャンとしてるミアも、今は涙と疲れでドロドロだ。


 ミアに促されるように教会に入ったキリは、中央に寝かされているノアの胸の辺りを見てゴクリと息を飲んだ。


「……お嬢様……」

「……やだ! 見ない!」


 アリスはまだキリの胸にしがみついて、少しもノアを見ようとしなかった。


 実の所、アリスはノアの仇を討とうとしたわけではない。シャルルに斬りかかったのだって、何かしてないとどうにかなってしまいそうだったのだ。誰かのせいにしないと、おかしくなってしまいそうだった。


 実際、騙していたのはアリス達だ。シャルルを責める事など、アリス達には出来ないのだ。それはアリスにもよく分かっていた。何よりも一番の原因は、最初から強制力などにアリスが引っ張られなければ、こんな事にはならなかったのだという事も。

  

 それでも、止められなかった。その結果、シャルルは自ら力を解放して消えてしまった……。ノアの計画通りなのかもしれない。それでも、こんな展開は望んでいなかった。


 ノアが居ない。それがこんなにも怖い事だなんて考えた事も無かった。


 絶対に見るもんか! もう誰も信用しない! 


 そんな事を考えていたアリスの耳に、ふと聞きなれたいつもよりも掠れた声が聞こえてきた。


「酷いな……おはようのキス……してくれ……ないの?」

「!」


 その声が聞こえた途端、アリスはキリから飛び降りた。そしてノアに抱き着いて泣き続けているルイスを力いっぱい押しのけて、無言でノアにしがみつく。


「……キリも……ハグ……は?」


 ノアはそんなアリスをどうにか動かした腕で抱き寄せ、もう片方をキリに伸ばす。キリは泣き出す一歩手前のような顔でノアを見つめていた。


 ノアの声にキリが一歩、近寄って来た。そしてアリスと同じようにノアにしがみつき、鼻をすする。


「ノア様は、いつもいつも嘘ばかりです」

「うん……ごめん」


 ノアは出来る限りの力を込めて二人を抱きしめる。


 どれぐらいそうしていたのか、入り口の方からミアの困ったような声が聞こえてきた。


「ドンちゃん、ドンちゃんは無理ですよ! 入れません! 大きすぎて!」

「ギュギューーーーー!」

「分かります! 気持ちはとても分かりますが、もうちょっと! もうちょっとだけ待ってあげてください!」

「ギュギュギュギュgyグユ!!!!!」

「……」


 もう途中何を言ってるか分からないぐらい、ドンの言語が怪しい。そんなドンの声を聞いてノアは苦笑いを浮かべてキリに言った。


「キリ、立たせて」

「無茶です! 生き返ったばかりなんですよ⁉」

「でも、あのままじゃミアさん、ドンに潰されちゃうよ」


 困ったように笑うノアと入り口でドンに押しつぶされそうなミアを見てキリはコクリと頷き、ノアを支えて立ち上がらせた。反対側からはアリスがしっかりとノアを支えている。


 そんな三人を見て、レスターがルイスの服の裾をギュっと握って泣きながら笑った。


「良かった……いつもの三人だ」


 その言葉に肩で神妙な顔をしていたロトも、他の仲間たちもそっと涙を零して頷く。


 でも、シャルルが居ない。心の中にぽっかりと開いたような穴は、仲間たちの誰もが感じていた――。

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