第四百五十九話 ほんの少しでいいから
「アーロはね、私の学園での唯一の友人だったの。あの頃学園は今よりもずっと閉鎖的でね、男爵家なんて上にも下にも居なかった。そんな中で私はいつも一人ぼっちで――」
エリザベスは目を閉じてあの頃の事を懐かしむように話し出す。
エリザベスの魔法はアリスと同じ、危険な魅了だ。だからこそエリザベスは十三歳で学園に入る事になった。入れ替わりで兄が卒業し、学園には男爵家はただ一人となってしまったのだ。
元々明るい性格のエリザベスだったが、それでも一人は寂しくて、どうしても寂しくて仕方ない時は、屋上に出る鍵をこっそりと開けて屋上に出て一人で泣く。いつの間にかそんな習慣がついてしまっていた。
ある時、いつものように屋上に出ると、そこには先客が居た。それがアーロだった。
アーロはクラスメイトだったが、一言も口をきいた事はなかった。
というのも、アーロもまたクラスの中で浮いていたからだ。理由は簡単だ。あまりにもアーロは美しすぎたのだ。
というよりも、冷たささえ感じるアーロに誰も迂闊に近寄る事が出来なかった、というのが正しい。そんな彼だから陰では絶大な人気があったし、もちろんエリザベスの事など知りもしないだろう。そう思っていたのに。
『誰かと思えば、バセットか。ここは立ち入り禁止だぞ』
『……それはあなたもじゃないの?』
『俺はいいんだよ』
シレっとそんな事を言うアーロに、普段ならイラっとしたかもしれないが、珍しくアーロは微かに笑っていたのだ。だからそれがすぐに冗談だと分かったエリザベスは、了承も取らずにアーロの隣に腰かけた。
『隣に座るのか』
『だって、寒いんだもん』
屋上は風が冷たい。背が高いアーロはいい風よけである。そしてこんな所はアリスとそっくりである。
てっきり怒られるかと思ったが、アーロは怒りも笑いもしなかった。ただ呆れたような顔をしてエリザベスを見下ろしただけだったのだ。
それに気を良くしたエリザベスは、それから屋上に行く度にアーロを探した。
いつもしていたのは他愛ない会話ばかりだったが、その会話がどれほどエリザベスの心を救ったか知れない。
アーロとの思い出は沢山ある。数えきれないぐらいに。アーロは伯爵家の長男で、エリザベスなんかとは本来口も利かないような地位の人だった。それでもアーロは在学中、何かとエリザベスを助けてくれていたのだ。それこそ、エリザベスが妊娠するまでずっと――。
「これはノアにも話した事無かったわよね。私、あなたを十六歳で産んでるの。その事で家と揉めた時に力になってくれたのが、アーロなのよ。ただの庭師だったお父さんと私の恋を後押ししてくれたのも、あの人のおかげだったの」
好きな人がいるのだとアーロに告げた時、彼は目に見えて戸惑っていた。どうして突然男爵家の娘に恋愛相談などされるのかきっと戸惑ったのだろう。
けれど、全てを話し終えた時、良く考えて行動しろ。それで決めたなら、それを貫け、と背中を押してくれたのはアーロだ。
何よりも……あの時ユアンの手からエリザベスを救い出してくれたのも……アーロだった。
アーロはどこからその話を聞きつけたのか、寒空の下に薄い夜着一枚で放り出されたエリザベスを抱きかかえて家に連れ戻してくれたのだ。
エリザベスはそれからしばらくの間の事はショックすぎてすっかり忘れてしまっていたのだが、それからすぐに離婚手続きをしろとユアンに迫ったのもアーロだと聞いている。
エリザベスはアリスとノア(ジョー)にそれを伝える事は出来なかった。特にアリスには絶対に告げられない。
そんなアーロが捕まった。何故? 何故女王の肩など持ったのだ。エリザベスが愕然とした顔をしていると、正面に座っていたノア(ジョー)が言った。
「母さん、その人に母さんは会うべきだ。やっと謎が解けたよ。母さんがずっと探してた人って、その人なんだろ?」
「……ノア」
「父さんが死んだとき、母さんは真っ先に誰かに手紙を書いてたよな? それって、その人に宛てたやつだったんじゃないの? 今もずっと書いてるやつも」
「……ええ、そう。出してもアーロにはもう届かないって分かってた。でも、何かあったら嬉しい事も悲しい事も全部アーロに宛てた手紙に書いてた。アーロならこんな時、何て言うかしら? そんな事を想像しながら……いつも……」
そこまで言った時、エリザベスの目から涙が零れた。それを見てアリスがハンカチを取り出そうとしたが、それをノア(ジョー)が止めた。
「俺は怒ってるよ、母さん。どうしてそんなに大事な人なら、今まで手紙を書くだけで満足してたの? それはただの自己満足だよ。もっと探せば良かったじゃないか! そうしたらその人は捕まるような事しなくて済んだかもしれない! 父さんは死ぬ前に言ったんだ。泣いて暮らすなって。いつまでそうやってずっとそこで止まってんだよ!」
何となくピンときたノア(ジョー)が怒鳴ると、エリザベスはビクリと体を震わせた。
エリザベスは父親が死んでから、手紙をずっと書き続けている。
エリザベスの中ではきっとアーロは心の支えで、そこにどんな感情が含まれているのは分からなかったが、少なくともエリザベスにとってアーロはとても大切な人なのだという事だけは伝わってくる。
「……ノア……」
「三年だ。父さんが死んで。あれから母さん、変な笑い方するようになったんだ。俺だってちゃんと見てるんだよ。アリス、母さんを無理やりにでもそのアーロさんって人に会せてやって」
ノア(ジョー)の言葉にエリザベスはギョッとしてアリスは大きく頷いて力こぶを作る。
「分かった! 担いでくね! さ、そうと決まればリズさん! アーロさんへのお手紙持って!」
「え? い、今から行くの? ま、待って! まだ化粧も何も……」
「そんな事言ってる間におばあちゃんになっちゃうよ! お兄ちゃん! 手紙ちょうだい!」
「ああ」
ノア(ジョー)はそう言ってエリザベスの部屋から綺麗な箱を一つ持ってきた。それを見てエリザベスは慌ててそれを取り返そうとしたが、生憎それはすっぽりとアリスの鞄に納められてしまった。
そしてアリスはいそいそと取り出した手帳に何かを書きつけて、次の瞬間にはエリザベスをひょいっと担ぎ上げる。
それを見て流石のノア(ジョー)も驚いている。
「お、おお、本当に担いでいくんだ……えっと、じゃ、二人とも気をつけて。家の事はやっとくからゆっくりしてきてよ、母さん」
「帰りもちゃんと送って来るね~! 行ってきま~す!」
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい! わ、私、こんな部屋着で……ノ、ノアーーー!」
「行ってらっしゃ~い!」
目の前で消えた二人を見送って、ノア(ジョー)は窓辺に飾ってあった絵姿を見て小さく笑う。
「父さん、これで良かったよね? これでまた母さん笑えるかな?」
もしかしたら近い将来、エリザベスは再婚するかもしれない。そうなればいいとは思うが、息子としては複雑だ。
でも、ノア(ジョー)は父と一緒に居た時のエリザベスの笑顔が好きだった。あの顔をまた見られるのなら、そんなもの何て事ない。
そして出来るなら、もう二度とエリザベスを置いて逝かないでやってほしい。ほんの少しでもいいから、エリザベスよりは長生きしてほしい……。
アリス達が辿り着いたのは、牢の入り口の真ん前だった。
いきなりこんな所に現れたら不審者だと捕らえられても仕方ない。アリスはエリザベスを担いだままどうしようか悩んでいると、そこに案の定騎士達がわらわらと集まって来た。その中の隊長らしき人がすぐさまアリス達に槍を突きつけてくる。
「貴様! どこからはい……ア、アリス様⁉ うわぁぁぁ! アリス様が出たぞーーー!」
「……それは失礼じゃない? そんなクマが出たぞーみたいなさぁ」
慌てる騎士達にアリスが言うと、後ろから聞きなれた笑い声が聞こえて来て振り返ると、そこには仲間たちと共にノアとキリが立っていた。
「兄さま!」
「アリス、随分遅かったね。ていうか、早くリズさん下ろしてあげな」
「そうだった! ごめんね、リズさん!」
アリスはノアに言われてようやくエリザベスを下ろすと、呆けているエリザベスのスカートの裾を直してやる。
「あ……あなた達……」
エリザベスは目の前の二人の青年を見て息を飲んだ。二人とも小さい頃の面影がどことなくある……ノアとキリだ。
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