第四百三十六話 ベア一家 ※残酷描写が含まれます
そう言ってアリスは真正面から男の顔を思い切り殴りつけた。一体どれほどの力で殴りつけたのか、その拍子に男の口から歯がボロボロと抜け落ちる。
「あ……あぁ……あぁぁ!」
抜け落ちた歯を拾いながら、男はそのまま意識を失ってしまった。
パパベアに殴られた男は、多分もう生きては居ない。パパベアはアリスとは違って手加減などしない。アリスにはそれもよく分かっていた。
見境がなくなったパパベアがユラリとこちらに近寄って来たが、アリスは男の前から退かなかった。
「パパベア、もう止めたげて。この人ももう動けないよ」
「グォォォ!」
「分かってる。悪いのはこいつらだよ。だから私も怒ってない。パパベアは家族を守ろうとしただけ。凄く優しいのも知ってるよ。だから、もう止めたげて。こいつはこのまま人間の法律でちゃんと裁くから」
「グォ……」
「それでもやるんなら、私が相手だよ」
アリスが構えると、ようやくパパベアは四つん這いになって近寄ってきて、子熊の血が染みついたアリスの手を舐める。
「ありがと、パパベア。大丈夫、すぐによくなるよ。一緒に来る?」
「グゥ」
「うん。じゃ、一緒に行こ。でも先に奥さんたちにもう大丈夫だよって言ってきてあげて。きっと心配してる」
「グ」
クルリと踵を返したパパベアを見送っていたアリスは、後ろからズルズルと何かを引きずるような音を聞いて振り返った。
するとそこには、アリスがやっつけた男達を縛り上げて引きずって来るノアとキリがいる。
「一体何事? アリス、怪我したの?」
「お嬢様が? ありえません。相手の血では?」
そんな事を言いながらもキリは駆け寄ってきてアリスの手を見てホッと息を吐いている。
「兄さま、あっちの人は死んじゃった」
しょんぼりと頭を下げたアリスに、ノアは顔を覗き込んで言った。
「どうしたの? いつも加減するのに珍しい」
「私じゃないよ。パパベアだよ。でもね、あいつがパパベアの赤ちゃんの足にナイフ刺したの……だからパパベア怒っちゃって……パパベア、怒られないよね?」
子熊にナイフが刺される前に助ければ男は死ななかったかもしれない。何よりも、人を傷つけた生き物は最悪殺されてしまうかもしれないのだ。
そんなのは絶対に嫌だ。パパベアは家族を守ろうとしただけなのだ。それが悪い事だとはアリスには思えない。
「怒らないよ。大丈夫、誰もパパベアを責めないよ。それどころかバセット領に勝手に侵入してきて妖精を狩ろうとしてたんだから、むしろパパベアは表彰ものだよ」
「そうです。そもそも冬眠中のクマに喧嘩を売るなど、言語道断です。パパベアが責められる事などどこにもありません。で、怪我をした子熊はどうしたんです?」
「ルンルンに家に連れて帰ってもらったよ。多分、今頃治療されてると思う。パパベアと様子見に行こうと思って待ってるの」
ノアとキリの言葉に安心したアリスが言うと、ノアもキリも頷いて歯が折れた男を縛り上げてパパベアを待った。
「グォ!」
「パパベア! ママベアも皆も起きちゃったの? 可哀相に……ごめんね」
「グゥ~」
「そっかそっか。じゃあ皆で迎えに行ってあげよ」
アリスはそう言ってクマの親子を引きつれて森から出た。バセット家にはこんな時間なのに明かりが灯っている。きっとハンナ達が治療してくれているのだろう。
駆け出したアリスにクマ一家も走り出した。傍から見れば完全にクマに追いかけられて逃げる人である。
「……ねぇ、冬眠から起きたクマってさ……また寝るっけ?」
ポツリと言ったノアに、キリは首を傾げる。
「どうなんでしょうね……え、寝てくれないとどうなるんです? まさかまた家にいつきます⁉」
「……分からない……明日動物オタクに聞いてみようか……」
ノアはそう言って完全に気を失っている男達を素っ裸にして、庭にある小屋の梁に括りつけて上から一人ずつ吊るした。
もしも暴れれば男達を縛っている細い鉄製のワイヤーが体にグイグイ食い込んでいく、恐ろしい仕様である。
ちなみにこのワイヤーはノアの特注品だ。彼が何を思ってこんな物を特注したのかは、誰も知らない。
「お嬢! あれま、あんた達も皆来たのかい⁉ 一体何があったんだ、こんな夜中に」
窓に張り付いて中を見ていたアリス達に気付いたハンナが子熊の足に包帯を終えると、子熊の頭を撫でて窓を開けた。
「何かね、侵入者が居たの。そんで、その一人がこの子の足刺したからパパベア怒っちゃって」
アリスの言葉にハンナは全てを理解したように頷いた。
「なるほど。大丈夫だよ、思ったよりも傷は浅かったしすぐによくなるさ。それまで預かってやるから、あんた達はチビの怪我が治るまで裏の小屋に居な」
ハンナが言うと、アリスの後ろからひょっこりノアとキリが姿を現した。
「それは無理かも。今、その侵入者吊るしてあるんだよ。下手したらあの人達食べられちゃう」
「……もういいんじゃないですか、食べられても……本当に迷惑な話ですよ」
そもそもキリの夜中のレース編みを邪魔した時点で万死に値する! キリの怒りにノアが苦笑いを浮かべながら言った。
「まぁまぁ。明日朝一であっちに運んでもらうから、一晩だけ家の中に入れてやってくれないかな?」
「仕方ないねぇ。旦那様に聞いて来るよ」
そう言ってハンナが振りかえると、そこには既にアーサーが腕組をして困ったように笑ってこちらを見ている。
「構わないよ。ただし、チェルシーちゃん達と喧嘩しない事。あと、クッションは出来るだけ破かない事。いいね?」
まぁ言ってみても、相手はクマである。
翌朝、初めてのフカフカのクッションにテンションが上がった子熊達が、暖かい暖炉の前ではしゃいで遊んで、結局クッションはズタズタになってしまっていた。
今、バセット家の空き部屋はそれぞれの動物たちが占領している。彼らは何となくちゃんと住み分けて、上手くやっているのである。
そんな彼らは昼間は庭で転げ回って一緒に遊び、夜はそれぞれ自分の部屋へ戻って行く。そこに二度寝に失敗したクマ一家が春までの間追加されたのだった。
そんな動物たちの餌を取ってくるのは、気がつけばドラゴン達の役目になっていたのはもう少し先の話である。
「ところで兄さま、あのアーロって人はどうしたの?」
「ん? ああ、逃がしたよ」
「え⁉」
アリスはクマ一家を無事に部屋に押し込んで談話室に戻ってくると、ノアとキリとアーサーがお茶を飲んでいた。
「捕まえようかとも思ったんだけど、どうやってフェアリーサークルを作るのか見たかったんだ」
「ですが不思議ですよね。あのアーロという男、皆が妖精探しに行ったのを見てすぐにあちらに戻りましたが、一体何がしたかったんでしょう?」
「恐らくだけど、アーロはここがバセット領だって知ってたのかもしれない。ユアンを父さんが追い詰めたんだって事も……」
「じゃ、じゃあ父様に復讐しに来たって事⁉」
一体何の話かさっぱり分からないが、処刑されたユアンという男はアーサーと何か因縁があったようだ。そう解釈したアリスが言うと、ノアは首を振った。
「いや、復讐とかは別に思ってないと思うけどね。ただの確認ってとこじゃないかな。あのアーロっていう奴をちょっと調べてもらおうか。宰相様に言って」
ノアの言葉にキリが、そうですね、と頷こうとした所に、ふとアーサーが口を開いた。
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