第四百三十七話 アーロ・バレンシア

「アーロって、アーロ・バレンシアかい?」

「父さん、知ってるの?」

「知ってるも何も、リズの同級生だよ。というよりも、お転婆なリズをいつも面倒見てくれてた人だけど……アーロ君があちら側にいるのかい?」


 アーサーは信じられないとでも言いたげにアリス達を見つめて来る。


「それは……どういう事でしょう?」

「……分からない」

「リズさんの同級生なの? じゃ、どんな人かリズさんに聞けばいいじゃん! リズさん、スマホ持ってるよ!」


 そう言ってアリスはスマホを取り出してリズのスマホの番号を表示した。それを見てアーサーは苦笑いを浮かべる。


「アリス、今何時だか分かってるかい? せめて朝になってからにしてあげなさい」

「そっか! まだ夜中だった!」


 あはは! と笑うアリスを見てアーサーは何だか泣きそうな顔をしてアリスの頭を撫でて来る。


「とにかく、よくわからないけどアーロについてはリズさんに明日聞いてみよう。と言う訳で僕はもう少し寝る……アリス、もう飛び出さないでね」


 そう言って欠伸を噛み殺したノアを見てアリスは頷きアーサーとキリは同情の眼差しをノアに向けた。

 


 翌朝、アーサーはアリスに教えてもらったリズの番号に早速電話をした。隣にはノアとキリも居る。


 生憎アリスはまだクマ一家とぐっすり夢の中だ。さっき覗きに行ったら怪我した子熊を抱えて、パパベアとママベアの間に他の子熊達と一緒になって寝ていた。


「……獣臭くないんですかね……」

「……さあ? 動物の匂いはアリスには慣れっこなんじゃない?」

「……やっぱり、リズが引き取らなくて良かったかもしれないな」


 それぞれの感想を述べた三人はそっと部屋を移動してアーサーがリズに電話をするのを隣で聞いていた。


『兄さん? あれ? 私兄さんに番号教えてた?』

「いいや。アリスに聞いたんだ。どうして僕には知らせないんだい?」


 少しだけ眉をひそめて言うアーサーに、リズは申し訳なさそうな笑みを浮かべる。


『だって、兄さんに教えたら毎日電話してきそうじゃない。それで、どうかしたの?』


 そんなリズの言葉を聞いてアーサーは顔を引きつらせ、ノアとキリは何かに納得したように頷いている。やはりリズはアリスの母親である。


「あ、いや。リズ、アーロ君を覚えているかい?」

『アーロ? もちろんよ! 彼には凄くお世話になったし、忘れた事なんてないわ! 彼がどうかしたの?』

「最近、どこかで彼に会ったりしたかい?」


 アーサーの問いにリズは小さく首を振って悲し気に視線を伏せた。


『いいえ……アーロに最後に会ったのは、ユアンの家から追い出された日よ……あの日、私を助けてくれたのは彼だもの。それは兄さんも知ってるでしょ?』

「……ああ、そうだね。気を失った君をここまで運んで来てくれたのは彼だった……」


 アーサーはそう言って視線を伏せた。


 あれは真冬だった。激しい雪が降りしきる中、アーロが深夜にリズをここまで運んできたのだ。凍えそうに寒い夜、彼はアーサーにリズを預けると、何も言わずそのまま立ち去ってしまったのだ。


『そうよ……あれから何度もアーロに手紙を出したけど、彼はあの後すぐに廃嫡されてしまっていて、連絡が取れなかった……今もどこで何してるのか分からないわ……』


 もしもアーロに会えたら、彼にはお礼が言いたい。そして、あの時アーロが後押しをしてくれた人と幸せに暮らしていた事を伝えたい。生憎旦那には若くして先立たれてしまったが、それでも今、自分は幸せなのだ、と。


 それなのに、アーロとは未だに連絡が全くつかないのだ。


 悲し気に視線を伏せたリズにアーサーも黙り込む。そんな二人を見ていたノアはキリの腕を引いて部屋を後にした。そのまま自分達の部屋に戻った二人は、お互い顔を見合わせる。


「どういう事だと思う?」

「アーロはリズ様が好きだったんでしょうか」

「そうなんだろうね。それでもリズさんの恋を後押ししたって事なんだろうね。ちょっと僕には考えられないけど、ユアンはそれを知っていてリズさんに手を出したのかな」

「だとしたらユアンは相当嫌な奴ですよ。もしかしたらアーサー様にユアンの情報を流していたのはアーロなのでは?」


 バセット家の秘密について、キリは既に全てノアに聞いていた。アリスの本当の父親の事も、ユアンを処刑に追い込んだのがアーサーだと言う事も。


「そうかもしれないね。やっぱりアーロについて宰相様に調べてもらおう。どうして廃嫡になったのかも知りたいし」

「ですね。では、集まりますか?」

「うん。あ、でもアリスは連れて行けないから、ちょっとの間キャロラインに相手しててもらおうか」


 アリスはキャロラインの弟を早く見たくて明け方までずっとウズウズしていた。


 けれど、ようやく朝になったと思ったら、そのままクマたちと眠ってしまったのだ。どこまでも間の悪いアリスである。


 ノアはキャロラインに昨夜起こった事を簡潔にメッセージにして送った。どのみちキャロラインは今は生まれたばかりの弟の側を離れたくはないだろうと思ったのだが、そこは流石正義感の強いキャロラインである。すぐに電話がかかってきた。


『大丈夫なの⁉ すぐに集まりましょう!』

「あ、うん。大丈夫だよ。ただキャロラインには少しの間アリスの相手をお願いしたいんだ」

『……どういう事?』

「アリスには少し聞かれたくない話だからだよ。詳しい事はルイスから聞いて」


 真剣なノアにキャロラインは神妙な顔をして頷いて見せた。


『よく分からないけど、そうした方がアリスにとっていい事なのよね?』

「うん。これを知ったら、きっとアリスは酷く悲しむ」

『……分かったわ。じゃあ私はタイミングを見計らってアリスを呼ぶわ。まだ寝てるんでしょう? あの子』

「多分お昼には起きると思うけど、起きたら僕からメッセージ送るよ」

『ええ、分かったわ。それじゃあ、また』

「うん、また。それから……ありがとう、キャロライン」

『なによ、気持ち悪いわね! いいのよ。私だって、アリスが大好きなのよ。あの子をむやみに傷つけたくないわ』


 そう言って笑ったキャロラインを見て、ノアは目を細めた。もしここにシャルルやシエラが居たら泣いていたのではなかろうか。


「おはよ~兄さま、キリ~」 


 昼過ぎ、ようやくアリスが体中にクマの毛をつけて起きだしてきた。


「おはよう、アリス。すっごい獣臭いから早くお風呂に入っておいで。キャロラインの弟、見に行くんでしょ? そんな匂いで行ったら叩き出されるよ」


 まだ眠そうに目を擦るアリスにノアが言うと、アリスはハッとして返事もせずに急いでお風呂に駆けて行った。その間にノアはキャロラインにメッセージを送る。他の仲間たちには既にメッセージ済みだ。カインにはアーロについても既に調べてもらっている。


 お風呂から出て来たアリスはキャロラインから電話があった事を知るなり、全身から石鹸のいい匂いをさせてお土産という名の大量のバターサンドを持って早速キャロラインの元へ向かった。


 それを確認したノアは、皆にメッセージを送る。


「ノア、調べたよ。アーロが廃嫡された理由、これは多分、自分から廃嫡されるように仕向けたんだと思う」


 秘密基地に到着するなり、カインがノアに資料を手渡してきた。


「一体何があったんだ? バセット領の皆は無事なのか?」

「アリスには話せないって、一体どういう事なんですか?」


 カインに続いてルイスとライラが心配そうに寄って来る。


「とりあえず一から説明するから座ろうか。皆もごめんね、突然呼び出して」

「それは別に構わないけど、あいつは大丈夫なの?」

「アリス? ああ、大丈夫、今頃赤ちゃん撫でまわしてキャロラインに怒られてると思うよ。じゃ、まずはアリスの事から説明しようか――」

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